斉家論 / 下
旣比咩大明神の御託宣に、「天にならひ地にうけたりし人心まがらざりせばすなはちの神」とあり、此意味を得心せば、身上有切賣拂、借金皆濟せらるべし、其とき負せ方の心を推ていはゞ、誰もかくさつぱりと、裸には成がたきことなるに、扠正直成仕かた哉と、汝が心を感ずべし、たとへていはゞ、人の生れし時は裸なり、しかれども、裸で凍えし赤子もなし、無智無欲成ものなれど、先產著とて著せる也、親が著するのみならず、親類まで持寄著せる也、人の心は、自然に慈悲正直成所あれば、汝の裸になられし其日より、感心せし負方が寄集りて著すべし、左はいへど、何程の財寶が集るべしとは知りがたし、正直よりあつまる財寶なれば、
新字:既比咩大明神の御託宣に、「天にならひ地にうけたりし人心まがらざりせばすなはちの神」とあり、此意味を得心せば、身上有切売払、借金皆済せらるべし、其とき負せ方の心を推ていはゞ、誰もかくさつぱりと、裸には成がたきことなるに、扠正直成仕かた哉と、汝が心を感ずべし、たとへていはゞ、人の生れし時は裸なり、しかれども、裸で凍えし赤子もなし、無智無欲成ものなれど、先産著とて著せる也、親が著するのみならず、親類まで持寄著せる也、人の心は、自然に慈悲正直成所あれば、汝の裸になられし其日より、感心せし負方が寄集りて著すべし、左はいへど、何程の財宝が集るべしとは知りがたし、正直よりあつまる財宝なれば、
書き下し
既に比咩大明神の御託宣に、「天にならひ地にうけたりし人心まがらざりせばすなはちの神」とあり。此の意味を得心せば、身上有り切り売り払ひ、借金皆済せらるべし。其のとき負はせ方の心を推していはゞ、誰もかくさつぱりと、裸には成りがたきことなるに、扠正直成る仕かたかなと、汝が心を感ずべし。たとへていはゞ、人の生まれし時は裸なり。しかれども、裸で凍えし赤子もなし。無智無欲成るものなれど、先づ産著とて著せるなり。親が著するのみならず、親類まで持ち寄り著せるなり。人の心は、自然に慈悲正直成る所あれば、汝の裸になられし其の日より、感心せし負はせ方が寄り集まりて著すべし。左はいへど、何程の財宝が集まるべしとは知りがたし。正直よりあつまる財宝なれば、
現代語訳
すでに比咩大明神の御託宣に、「天にならい地から受けた人の心が曲がらなければ、それがそのまま神である」とあります。この意味を納得したなら、身代をありったけ売り払い、借金を皆済しなさい。そのとき貸し手の気持ちを推し量れば、誰もがこのようにさっぱりと裸になれるものではないのに、さてもさても正直なやり方だと、あなたの心に感じ入るでしょう。たとえてみれば、人は生まれたときは裸です。けれども裸のまま凍え死んだ赤子はいません。何も知らず何も欲しがらない者ですが、まず産着といって着せてやります。親が着せるだけでなく、親類まで持ち寄って着せます。人の心には自然に慈悲と正直の働きがあるので、あなたが裸になったその日から、感心した貸し手たちが寄り集まって着せてくれるでしょう。とはいっても、どれほどの財宝が集まるかは分かりません。正直から集まる財宝なので、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『斉家論』下先づ名聞利欲を離るべし。然れども柔弱にてははなれがたく、名利のこゝろは発るべし。発るとも一生行はざれば、扠も正直者なりと、天下の人よろこぶべし。天下の人に悦ばるゝほど、目出たきことはあるまじと思へり。いかん。○或る人曰く、正直者といはるゝは、誰も望む所なり。しかれども、借方を済ます事はいかゞすべき。○答ふ、汝世間の者によろこばるゝは、誰も望む所といふ。喜ばるゝが望みならば、家財残らず売り払ひ、赤裸になり、借金を済まさるべし。ことごとく済まされなば、今の世にたぐひ稀なる正直ものと、世挙げてよろこぶべし。其の正直と又神の正直と、正直に二品あるべきや。其の正直が通るならば、汝も直に太神宮の末社同前なり。
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『斉家論』下神に捧ぐる散銭のごとし。しかるに、世間に此の貴まるゝ事を嫌ひ、私欲をもつて邪知者を頼み相談せば、何程の借金有りとも、二三歩通りよりあつかひかけ、弁舌を以ていひまはさば、四五歩どほりにては済むべし。少しなりともおほく残すを手がらとし、其の残る金銀を我が物と思ひ、人をだます事を所作とするは、俗にいふ話盗人といふ者なり。謀計は眼前の利潤たりといへども、必ず神明の罰に当たる。正直は一旦の依怙にあらずといへども、終に日月の憐みを蒙るとは、皇太神宮の宝勅なり。神の罪人とならば、居所はあるまじ。広き世界に住み得ずして、狭き住居するはかなしき事なり。ひろき世界に住み得ずして、せばき住居するといふは、土地のことにてはなし。広大なる心を、微塵のごとくなして、くるしむことを云ふ。又正直を行ひ、心に恥づることなければ、限りなき天下の広居に居て、深長なるたのしみあることなり。我が教ふる所は其の話盗人の難を遁れさせ、正直者といはせ、鏡のごとき神明の御心にかなふやうにならるゝは、目出度き祝ひにあらずやと云ふ。
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『斉家論』下答ふ、此の御歌は、人々天地に受けたる心を直に用ゐるときは、即ち神なることをしらせ玉ふ所なり。汝は父が悪事を証す悪人を、反つて正直者と思ひ、御神託と同じやうに見なすは理に闇きゆへ是非わかれず。彼が不善を知らんと思はゞ、実情を知るべし。実情の発る処をいはゞ、こゝに人あらんに、その父、人を殺さば、はつと驚くは子の常なり。又父が羊を攘みしと聞くときも、はつと驚く情発るは、鏡に物の移り、形に影のそふがごとく、間に髪を入れず。此の所にて豈直不直を論ぜんや。これ惻隠の情にて実情なり。常人は勝手にひかれ思慮おほく、其の意に思ふは、此の事人が知るべきか、定めて知るべし、隠し課することはなるまじ、迚も隠されぬことならば、人にいはれぬ前に、
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『斉家論』下或る人又曰く、汝いふ所の倹約は、正直が本なる事をいひ、且つ常にも正直を第一に教へらるゝにつき、或る人へ答へられし物語、一通り聞こえたり。汝所存の通り赤裸と成りても、正直を用ゆる志に候や。しかれば、論語に、葉公孔子に謂ひて曰く、吾が党に躬を直くする者あり、其の父羊を攘む、然るを子これを証すとあり。父が悪事にても、隠さずあらはすは、ありべかゝりの正直なり。又前にひかるゝ御神託に、「天にならひ地にうけたりし人心まがらざりせばすなはちの神」とあり。天地は見えし通り明らかにして、隠す所なし。汝がいふ所もかくす事なく、ありべかゝりの正直なれば、御神託に同じふして真直なり。然れば、汝がいふ所は、神道の上の事なるべし。某思ふは左にあらず。惣じて世間の事、汝がいふごとくさつぱりと、裸には成りがたき所あり。故に孔子も葉公にこたへて曰く、吾が党の直き者はこれに異なり、父は子の為に隠し、子は父の為に隠す、直き事其の中にありとのたまへり。汝も我も同じく儒書を学び、かやうに相違あるはいかん。
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『斉家論』下金三十両あまりつかはしければ、やうやうと飢ゑは助かりゐらるゝなり。然れども売場もことごとく流れたれば、中々商ひの段にてはなく、これまでの売掛を、取りあつめのぼさるゝは、今年とも来年とも、其の限りはしりがたし。此の仕合はせゆへに際払ひもならず。借金を済まさんとすれば、家財まで売り払ひ、赤裸に成るなれば、是も又成りがたき事なり。日比汝の物語を聞くに、難儀の所にて心を悩まさぬが、学問のちからなりといへり。かゝる時、いかんして心をなやまさず、御慶目出度く祝はるべきや。○答ふ、某がいふ通り、そむかず用ひらるゝならば、いと心やすき事なり。望みの通り万々歳を祝ふべし。祝ふといふは他の儀にあらず、正直を守ることなり。正直を守らんと思はゞ、
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『斉家論』下借りたる物は返し、毛すじほども私なく、ありべかゝりにするは、正直なる所なり。此の正直行はるれば、世間一同に和合し、四海の中皆兄弟のごとし。我が願ふ所は、人々こゝに至らしめんためなり。分けて士は、政のたすけをなし、農工商の頭なれば、清潔にして正直なるべし。もし私欲あらば、其の所は常闇なり。又農工商も、家の主は家内の頭なり。もし私欲あらば、家内が常闇となる。すべて物の頭となるものは慎むべき事なり。然るに欲心に蔽はれ、此の正直を行はずして、あさましき交はりになり行くは、かなしき事なり。故に十五年以来、其の私欲を離るゝ事を説き来たれり。私欲ほど世に害をなすものはあらじ。此の味を知らずしてなす倹約は、皆吝に至り、害をなすこと甚だし。