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斉家論 / 下

金三十兩あまりつかはしければ、やうやうと飢は助かりゐらるゝ也、然ども賣場もことごとく流れたれば、中々商ひの段にてはなく、これまでの賣掛を、取あつめのぼさるゝは、今年共來年とも、其限りはしりがたし、此仕合ゆへに際拂もならず、借金を濟さんとすれば、家財まで賣拂ひ、赤裸に成なれば、是も又成がたき事也、日比汝の物語を聞に、難儀の所にて心を惱さぬが、學問のちからなりといへり、かゝる時、いかんして心をなやまさず、御慶目出度祝はるべきや、○答、某いふ通り、そむかず用ひらるゝならば、いと心やすき事也、望の通り萬々歲を祝ふべし、祝ふといふは他の儀にあらず、正直を守ることなり、正直を守らんと思はゞ、

新字:金三十両あまりつかはしければ、やうやうと飢は助かりゐらるゝ也、然ども売場もことごとく流れたれば、中々商ひの段にてはなく、これまでの売掛を、取あつめのぼさるゝは、今年共来年とも、其限りはしりがたし、此仕合ゆへに際払もならず、借金を済さんとすれば、家財まで売払ひ、赤裸に成なれば、是も又成がたき事也、日比汝の物語を聞に、難儀の所にて心を悩さぬが、学問のちからなりといへり、かゝる時、いかんして心をなやまさず、御慶目出度祝はるべきや、○答、某いふ通り、そむかず用ひらるゝならば、いと心やすき事也、望の通り万々歳を祝ふべし、祝ふといふは他の儀にあらず、正直を守ることなり、正直を守らんと思はゞ、

書き下し

金三十両あまりつかはしければ、やうやうと飢ゑは助かりゐらるゝなり。然れども売場もことごとく流れたれば、中々商ひの段にてはなく、これまでの売掛を、取りあつめのぼさるゝは、今年とも来年とも、其の限りはしりがたし。此の仕合はせゆへに際払ひもならず。借金を済まさんとすれば、家財まで売り払ひ、赤裸に成るなれば、是も又成りがたき事なり。日比汝の物語を聞くに、難儀の所にて心を悩まさぬが、学問のちからなりといへり。かゝる時、いかんして心をなやまさず、御慶目出度く祝はるべきや。○答ふ、某がいふ通り、そむかず用ひらるゝならば、いと心やすき事なり。望みの通り万々歳を祝ふべし。祝ふといふは他の儀にあらず、正直を守ることなり。正直を守らんと思はゞ、

現代語訳

金三十両あまりを送ったので、ようやく飢えはしのげておられます。けれども売り場もことごとく流されたので、とても商売どころではなく、これまでの売掛金を取り集めて送ってくださるのは、今年とも来年とも、いつになるか分かりません。こういう有様なので年末の払いもできません。借金を返そうとすれば家財まで売り払って丸裸になるので、それもまたできないことです。日ごろあなたの話を聞くと、困難なときに心を悩ませないのが学問の力だと言います。こういうとき、どうすれば心を悩まさずに新年をめでたく祝えるのでしょうか。」――私は答えました。「私の言うとおりに背かず用いられるなら、たいへん心安いことです。望みどおり万々歳を祝いなさい。祝うというのはほかでもない、正直を守ることです。正直を守ろうと思うなら、

解説

相談者は見舞いに三十両を送り、売掛金の回収は見通しが立たず、払いもできない。借金を返せば丸裸だ、と追い詰められています。学問の力で心を悩まさずにいられるなら、この状況でどうすればめでたく祝えるのか、という問いは皮肉でもあります。梅岩の答えは意外なほど単純で、「祝ふといふは他の儀にあらず、正直を守ることなり」。祝えるかどうかは状況ではなく、自分がどう振る舞うかで決まるという転換です。危機のときに経営者が最初に決めるべきは、資金繰りの手段より、何を守るかだということでしょう。

この章句が説くこと

正直祝い借金学問危機

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