斉家論 / 下
高下次第も有べけれど、すべて是に準ずべし、夫故たまかにつとむる者には、折々の心付致すべき事也、扠又世間に、人をつかふに、定りの仕著や給銀さへ渡しぬれば、事すむやうにおもひ、其外に心を付る人まれなり、奉公に出る人、親もと不自由ならざる人もあれど、多くは親里まづしきゆへ奉公にも出す、親もと豐なれば、乳母をも添、養ひ育る事也、然れども貧きゆへ、親の手をはなし、遙々奉公に出すものなれば、さぞかなしく不便に思ふべけれど、是は助たきとて、いかんかすべき、又たすくれば助らるゝ事は、たすけたき事也、惣て田舍出奉公人は、布子一、かたびら一重あれば事足りぬと思へり、然れども半季か一季過れば、
新字:高下次第も有べけれど、すべて是に準ずべし、夫故たまかにつとむる者には、折々の心付致すべき事也、扠又世間に、人をつかふに、定りの仕著や給銀さへ渡しぬれば、事すむやうにおもひ、其外に心を付る人まれなり、奉公に出る人、親もと不自由ならざる人もあれど、多くは親里まづしきゆへ奉公にも出す、親もと豊なれば、乳母をも添、養ひ育る事也、然れども貧きゆへ、親の手をはなし、遥々奉公に出すものなれば、さぞかなしく不便に思ふべけれど、是は助たきとて、いかんかすべき、又たすくれば助らるゝ事は、たすけたき事也、惣て田舎出奉公人は、布子一、かたびら一重あれば事足りぬと思へり、然れども半季か一季過れば、
書き下し
高下次第も有るべけれど、すべて是に準ずべし。夫故たまかにつとむる者には、折々の心付け致すべき事なり。扠又世間に、人をつかふに、定まりの仕著や給銀さへ渡しぬれば、事すむやうにおもひ、其の外に心を付くる人まれなり。奉公に出る人、親もと不自由ならざる人もあれど、多くは親里まづしきゆへ奉公にも出す。親もと豊かなれば、乳母をも添へ、養ひ育つる事なり。然れども貧しきゆへ、親の手をはなし、遥々奉公に出すものなれば、さぞかなしく不便に思ふべけれど、是は助けたきとて、いかんかすべき。又たすくれば助けらるゝ事は、たすけたき事なり。惣て田舎出の奉公人は、布子一つ、かたびら一重あれば事足りぬと思へり。然れども半季か一季過ぐれば、
現代語訳
上下の差はあるでしょうが、すべてこれに準じるべきです。ですから、まじめに勤める者には折々に心づけをしてやるべきです。さて世間では、人を使うのに、決まったお仕着せと給金さえ渡せば事は済むように思い、それ以上に心を配る人はまれです。奉公に出る人には、実家が困っていない人もいますが、多くは親元が貧しいから奉公に出すのです。親元が豊かなら、乳母までつけて養い育てます。けれども貧しいために、親の手を離して遠くへ奉公に出すのですから、さぞ悲しく不憫に思っていることでしょう。それを助けたいと思っても、どうしようもないこともあります。けれども、助ければ助けられることは助けたいものです。だいたい田舎から出てきた奉公人は、綿入れ一枚と単衣一枚あれば足りると思っています。けれども半年か一年たつと、
解説
この章句が説くこと
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『斉家論』下常の出会ひは、茶漬飯・したし物などにて、木綿衣類なれば、をのづから心やすく度々出会ひ、親しき上にもしたしくなり、且つ親類は言ふに及ばず、宿持ち手代出入りの人々迄、若し身上不如意なる者あらば、其の訳を聞き届け、不実ならざることならば、何分力を合はせ救ふべし。又家内を恵むにも、先づ木綿衣類なれば、あたらしく仕かへるにも心やすく、古き物は仕著の外に見合はせてつかはし、仕著の新しき物は、貯へおかすやうに仕なし、又半季一季の者は、纔かの給銀を取り、布子一重を拵ゆれば、残りすくなになり、鼻紙代も不自由にて、甚だ不便の事なり。たとへ盆正月に、百二百の銭、又履物などつかはしても、これらにて足るべしとも思はれず。尤も家により奉公人により、
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『斉家論』下傍輩の衣類多く有るを見て羨ましくおもひ、不自由成る親本へいひやれば、親は聞くより不便に思ひ、借金して成りとも、一つづゝもこしらへのぼせ、最早能きかと思へば、又たらぬものをいひやれば、拵ふる事は成りがたく、のぼさねば子共が不便なり。いかゞして成りとものぼしたく思ひ、なやみ煩ふ者多く、いたましき事なり。かやうの類は心を付け、助くればなる事なり。夫故貧しき親兄弟に、其の苦労をさせざるやうにいたしたき志なり。元来今般の倹約は、上を恐れ、己が賤しきことを知り、約を守り、万分の一なりとも礼義を守らば、をのづから親類はいよいよ睦しく、家内の者には、親兄弟の労を遁れさせ、出入りの人々には、恵みの端とも成り、子としては、先祖父母への孝となり、をのづから上を恐るる恭順の道ともならんか。或る人曰く、門人方、倹約の序文をみれば、町家相応にては面白し。しかれども、町家ばかりの倹約にて、大道の用にたらず。同じくば世間一同に用ゐるやうに、教へらるゝがよかるべしと思へり。汝の門人には、武士方もありと聞けり。此等の教はいかん。
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『斉家論』下国恩をあふぎ奉り、先非を悔いぬ。これ教を受くる益ならんか。扠此の御高恩、いかんして報じ奉るべきや。明らかには知らねども、我が身をおさめ、上を犯すことなきやうに慎み、父子夫婦親類縁者、家の小者に至るまで、たがひに睦しく打ち和らぎ、吝きことなく倹約を守り、一人の小者、又は出入り従ふ者を、あはれみ助けたき志なり。これまでも、一家親しみ又人を恵むこと、元来きらふにはあらねども、第一自身のおごりつよく、費えおほきゆへ、人を恵む仁愛の心も外に成り行きぬ。親しき親類の疎に成るも、かの奢りゆへ、一家の出会ひも物毎造作に、料理などもおもくなり、度々の出会ひもなく、遠々しく成りぬ。これを以てみれば、奢りは不仁の本となる。恐れつゝしむべし。今より後、
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『斉家論』上倹約が本となる事を得心せり。其の本立つときは、奢りもやみ、家も斉ふべし。家斉ふれば、をのづから親の心を養ふ孝行となり、其の外出入りの者も、心安く恵まるべき理あり。他の奢り筋にて、当分親の心をなぐさむ事も有るべけれど、約を守らざれば、段々内証に不足立ち、諸事のまはりあしくなりて借金せば、つゐには親の心をくるしむるに至るべし。尤も是までも、内証の事は、約を守る志あれば、つとめ来たりし事もあれど、衣類などは表向きの物にて、世間なみの事なれば、心付きなくうかうかとくらせし所、能々考ふれば、分に過ぎたる衣裳を、是非に著よと言ふものはなきことなり。其の外倹約筋諸事、親しき門弟示し合はせ、急度あらため、家内にて行ふべしといはれけり。
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『斉家論』上都て農工商は下賤也。其の賤しき者として、歴々の武家方と同じやうに思はるるこそ愚かなれ。その奢りたかぶり上を犯す心にて参宮せば、神罰を受けらるべし。是まで知らざるは是非なし。向後は急度慎まるべきことなり。又旦那名よせ帳をみれば、三四十年以前迄、京大坂にて、大金持ちといはれたるかくれなき町人も、往方しれぬ者もあり。又身上衰へ、自炊して暮らすもあり。十軒に七八軒は如斯。其の時に奥あしらい誰にしてもらはんや。遠き慮りなきときは、必ず近きうれひありとは、かやうの類なるべし。夫を笑止に思はれて、物語するぞかし。凡て貴は貴く賤は賤しく、町家ならば町家、相応の名を呼ばるべし。相応の名を呼ぶが、則ち正直なるゆへ、
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葉隠・聞書第二奉公は、色々心持これありと相見え、大体にては成り兼ね申すべし。」と申し候えば、「左様にてなし。生付(うまれつき)の分別にて済むものなり。安き事なり。その中、御家中下々までの為になるようにと思うてするが、上への奉公なり。不了簡(ふりょうけん)の出頭人(しゅっとうにん)などは、上の御為になるとて、新儀を企て、下の為にならぬ事は構わず、下に愁い出来(しゅったい)候ようにいたし候。これは第一の不忠なり。御家中下々、皆殿様のものにて候。又上よりは御慈悲にて済むものなり。その時は礎も御慈悲になるなり。