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斉家論 / 上

牛羊を野飼する地を牧地といふ、人に賴れ、牛や羊を牧ふ者あらんに、必ず野飼の地と草とを求ん、其地と草とを求め得れば、牛羊はをのづから養はるゝ也、又民を養ふ君を人牧といふ、今天下治る時なれば、己々が職分さへ勤れば、自養はるゝは、牛羊を野飼の地に放ち置ば、をのづから養はるゝがごとし、此味を知らず、安樂にくらせば、己が力と思へるは愚なること甚し、暖に著、飽まで喰ひ、逸居をして人の道を知らざるは、禽獸に近きぞと、孟子も戒玉ふなり、今治る御代の、廣大なる御高恩、報じ奉る事を思ふべし、下賤の者、いかんして廣大の御高恩報じ奉るべき、報じ奉る事はならずとも、家内一統和合して、一人のごとく治むるならば、其程の御恩を報じ奉るともいふべきか、世の人、これを思はるべし、

新字:牛羊を野飼する地を牧地といふ、人に頼れ、牛や羊を牧ふ者あらんに、必ず野飼の地と草とを求ん、其地と草とを求め得れば、牛羊はをのづから養はるゝ也、又民を養ふ君を人牧といふ、今天下治る時なれば、己々が職分さへ勤れば、自養はるゝは、牛羊を野飼の地に放ち置ば、をのづから養はるゝがごとし、此味を知らず、安楽にくらせば、己が力と思へるは愚なること甚し、暖に著、飽まで喰ひ、逸居をして人の道を知らざるは、禽獣に近きぞと、孟子も戒玉ふなり、今治る御代の、広大なる御高恩、報じ奉る事を思ふべし、下賤の者、いかんして広大の御高恩報じ奉るべき、報じ奉る事はならずとも、家内一統和合して、一人のごとく治むるならば、其程の御恩を報じ奉るともいふべきか、世の人、これを思はるべし、

書き下し

牛羊を野飼する地を牧地といふ。人に頼まれ、牛や羊を牧ふ者あらんに、必ず野飼の地と草とを求めん。其の地と草とを求め得れば、牛羊はをのづから養はるる也。又民を養ふ君を人牧といふ。今天下治まる時なれば、己々が職分さへ勤むれば、自ら養はるるは、牛羊を野飼の地に放ち置けば、をのづから養はるるがごとし。此の味を知らず、安楽にくらせば、己が力と思へるは愚かなること甚だし。暖かに著、飽くまで喰ひ、逸居をして人の道を知らざるは、禽獣に近きぞと、孟子も戒め玉ふなり。今治まる御代の、広大なる御高恩、報じ奉る事を思ふべし。下賤の者、いかんして広大の御高恩報じ奉るべき。報じ奉る事はならずとも、家内一統和合して、一人のごとく治むるならば、其の程の御恩を報じ奉るともいふべきか。世の人、これを思はるべし。

現代語訳

「牛や羊を放し飼いにする土地を牧地という。人に頼まれて牛や羊を飼う者がいれば、必ず放し飼いの土地と草とを求めるだろう。その土地と草を得られれば、牛や羊はおのずと養われる」。また民を養う君主を人牧と言います。今は天下が治まっている時なので、それぞれが自分の職分さえ勤めれば、おのずと養われるのは、牛や羊を牧地に放しておけばおのずと養われるのと同じです。この味わいを知らず、安楽に暮らせるのを自分の力だと思うのは、はなはだ愚かなことです。暖かく着て、飽きるほど食べ、のんびり暮らして人の道を知らないのは禽獣に近い、と孟子も戒めておられます。今の治まった御代の広大な御恩に報いることを思うべきです。下賤の者がどうして広大な御恩に報いられるでしょう。報いることはできなくても、家の中が一つに和合して、一人の人のように治まるならば、それだけの御恩に報いたとも言えるでしょうか。世の人は、このことを思ってください。

解説

上巻の結びです。孟子公孫丑下篇の、人の牛羊を預かれば牧地と草を求める、という話を引き、君主が民を養うのも同じだとして「人牧」の語を示します。太平の世では、職分さえ勤めれば自然に養われる。それを自分一人の力だと思うのは愚かだ、と梅岩は言います。さらに滕文公上篇の「飽食煖衣、逸居して教へ無ければ禽獣に近し」で、先の問いに答えを返します。御恩に報いる方法として示されるのは、家の中が和合し一人のように治まること。倹約の話は、家を斉えることへ戻って上巻を閉じます。

この章句が説くこと

職分孟子和合人牧

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