斉家論 / 上
珍味珍物を取あつめ、賑にくらすことをよろこぶ、尤これらを法にかなふと言にはあらず、然れども如斯なり來りし世上なれば、急々にあらたむることあたはず、聖人の民をおさめ玉ふは、親の子を養育如く、漸々を以て治めたまふべし、一軒の家にていはゞ、妻子より小者に至るまで、吾民なり、其民を次第にやすく治るが、主人の職分なり、先人間の樂は、衣食住の三つなり、衣類等を拵るは、著てたのしむが爲なり、しかるに自身著ざるのみならず、妻子小者に至るまで、おさへとゞめて著せざるよし、女童の身にしては、さぞ迷惑におもふべし、是不便の事にあらずや、又振舞も、これまでは一汁三菜、二汁五菜の料理にて、客もてなしたるをば、
新字:珍味珍物を取あつめ、賑にくらすことをよろこぶ、尤これらを法にかなふと言にはあらず、然れども如斯なり来りし世上なれば、急々にあらたむることあたはず、聖人の民をおさめ玉ふは、親の子を養育如く、漸々を以て治めたまふべし、一軒の家にていはゞ、妻子より小者に至るまで、吾民なり、其民を次第にやすく治るが、主人の職分なり、先人間の楽は、衣食住の三つなり、衣類等を拵るは、著てたのしむが為なり、しかるに自身著ざるのみならず、妻子小者に至るまで、おさへとゞめて著せざるよし、女童の身にしては、さぞ迷惑におもふべし、是不便の事にあらずや、又振舞も、これまでは一汁三菜、二汁五菜の料理にて、客もてなしたるをば、
書き下し
珍味珍物を取りあつめ、賑やかにくらすことをよろこぶ。尤もこれらを法にかなふと言ふにはあらず。然れども如斯なり来たりし世上なれば、急々にあらたむることあたはず。聖人の民をおさめ玉ふは、親の子を養育する如く、漸々を以て治めたまふべし。一軒の家にていはば、妻子より小者に至るまで、吾が民なり。其の民を次第にやすく治むるが、主人の職分なり。先づ人間の楽しみは、衣食住の三つなり。衣類等を拵ふるは、著てたのしむが為なり。しかるに自身著ざるのみならず、妻子小者に至るまで、おさへとどめて著せざるよし。女童の身にしては、さぞ迷惑におもふべし。是不便の事にあらずや。又振舞も、これまでは一汁三菜、二汁五菜の料理にて、客もてなしたるをば、
現代語訳
珍しい料理を取り集め、にぎやかに暮らすことを喜ぶ。もちろんこれらが法にかなうと言うのではない。しかしこのようになってきた世の中なのだから、急に改めることはできない。聖人が民を治めるのは、親が子を育てるように、少しずつ治められるはずだ。一軒の家で言えば、妻子から下働きの者までが自分の民である。その民を少しずつ安らかに治めるのが主人の職分だ。そもそも人間の楽しみは衣食住の三つである。衣類をこしらえるのは着て楽しむためだ。それなのに自分が着ないばかりか、妻子や下働きの者まで押しとどめて着せないという。女や子どもの身にすれば、さぞ迷惑に思うだろう。かわいそうなことではないか。また、もてなしも、これまで一汁三菜、二汁五菜の料理で客をもてなしていたのに、
解説

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