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斉家論 / 上

講釋するに及ばざれども、京大坂大和河內にて、講釋の上にて讀聞せり、其意は、かく孝行すれば、天下に知られ、好事と思ひ、名聞に成とも、孝行がさせたく思ふ所なり、天子より已下庶人に至るまで、孝終始なきときは、患ひ及ばざる者は、いまだこれあらじ、又地の利に因、身を謹み用を節にして、以て父母をやしなふは、諸人の孝と、孝經に說たまへり、それゆへ常に儉約の事を說きかせ、門弟へは月次の會に、折々儉約の題を出し、得心あるやとこゝろみれども、是までは志も立ざりしが、五六年より十四五年も從へるしるしにや、去秋町家の門弟、志を起し來ていはく、我々年來敎をうくるといへども、家を治るうへに心得たがひあり、今般家を治るは、

新字:講釈するに及ばざれども、京大坂大和河内にて、講釈の上にて読聞せり、其意は、かく孝行すれば、天下に知られ、好事と思ひ、名聞に成とも、孝行がさせたく思ふ所なり、天子より已下庶人に至るまで、孝終始なきときは、患ひ及ばざる者は、いまだこれあらじ、又地の利に因、身を謹み用を節にして、以て父母をやしなふは、諸人の孝と、孝経に説たまへり、それゆへ常に倹約の事を説きかせ、門弟へは月次の会に、折々倹約の題を出し、得心あるやとこゝろみれども、是までは志も立ざりしが、五六年より十四五年も従へるしるしにや、去秋町家の門弟、志を起し来ていはく、我々年来教をうくるといへども、家を治るうへに心得たがひあり、今般家を治るは、

書き下し

講釈するに及ばざれども、京大坂大和河内にて、講釈の上にて読み聞かせり。其の意は、かく孝行すれば、天下に知られ、好事と思ひ、名聞に成りとも、孝行がさせたく思ふ所なり。天子より已下庶人に至るまで、孝終始なきときは、患ひ及ばざる者は、いまだこれあらじ。又地の利に因り、身を謹み用を節にして、以て父母をやしなふは、諸人の孝と、孝経に説きたまへり。それゆへ常に倹約の事を説ききかせ、門弟へは月次の会に、折々倹約の題を出だし、得心あるやとこころみれども、是までは志も立たざりしが、五六年より十四五年も従へるしるしにや、去る秋町家の門弟、志を起こし来たりていはく、我々年来教へをうくるといへども、家を治むるうへに心得たがひあり。今般家を治むるは、

現代語訳

講釈するほどのものではありませんが、京・大坂・大和・河内で、講釈の席で読み聞かせました。その意図は、このように孝行すれば天下に知られるのだから、よいことだと思い、たとえ名誉のためでもよいから孝行をさせたいと思ったのです。「天子から庶民に至るまで、孝が始めから終わりまで貫かれていなければ、災いが及ばない者はいまだかつていない」「また土地の利に従い、身を慎み費用を節約して父母を養うのが、人々の孝である」と孝経に説かれています。そこで常に倹約のことを説き聞かせ、門弟には月例の会でたびたび倹約の題を出して得心しているか試してきましたが、これまでは志が立ちませんでした。それが、五、六年から十四、五年も私についてきたしるしでしょうか、去年の秋、町家の門弟が志を起こして来て言いました。「私どもは長年教えを受けてきましたが、家を治めることについて心得違いがありました。このたび、家を治めるには、

解説

梅岩が倹約を説く根拠は孝経です。庶人章の「天の道を用ひ、地の利に因り、身を謹み用を節にして、以て父母を養ふ」、つまり庶民の孝とは暮らしを慎み無駄を省いて親を養うことだ、という一節です。倹約は吝嗇ではなく孝の実践だという位置づけが、ここではっきりします。梅岩は月例の会で倹約を題に出し続けましたが、長く門弟の志は立ちませんでした。名聞のためでもよいから孝行させたい、と割り切る実際家ぶりも梅岩らしいところです。教えが行動に移るまで十年以上かかったという、正直な記録でもあります。

この章句が説くこと

孝経倹約庶人門弟

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