斉家論 / 上
衣服は綾羅にあらざれども、和暖なれば便よし、飮食は珍しき饈にあらざれども、一度飽ば便よしといふ、又論語にも、君子は食飽ことを求むることなく、居安からんことを求むることなしとのたまへり、此味を知らるべし、扠妻子や家內の者にあらそひ、思ふやうにさせざるを不便の事なりといふ、これ大にあやまてり、汝いふごとく、家內の者は我民なり、我民ゆへ眞實に愛する也、愛する故に爭ふことを喩ていはゞ、吾子に灸する如し、逃まはるをだましとらへて灸すれば、跳つはねつ反かへり、あゝあつや、最早惡事しますまい、父樣母樣、堪忍して下さりませと泣さけぶ、親は涙を流し、齒をくいしばつても灸する也、是もあらそひに似たれども、
新字:衣服は綾羅にあらざれども、和暖なれば便よし、飲食は珍しき饈にあらざれども、一度飽ば便よしといふ、又論語にも、君子は食飽ことを求むることなく、居安からんことを求むることなしとのたまへり、此味を知らるべし、扠妻子や家内の者にあらそひ、思ふやうにさせざるを不便の事なりといふ、これ大にあやまてり、汝いふごとく、家内の者は我民なり、我民ゆへ真実に愛する也、愛する故に争ふことを喩ていはゞ、吾子に灸する如し、逃まはるをだましとらへて灸すれば、跳つはねつ反かへり、あゝあつや、最早悪事しますまい、父様母様、堪忍して下さりませと泣さけぶ、親は涙を流し、歯をくいしばつても灸する也、是もあらそひに似たれども、
書き下し
衣服は綾羅にあらざれども、和暖なれば便よし。飲食は珍しき饈にあらざれども、一度飽けば便よしといふ。又論語にも、君子は食飽くことを求むることなく、居安からんことを求むることなしとのたまへり。此の味を知らるべし。扨て妻子や家内の者にあらそひ、思ふやうにさせざるを不便の事なりといふ。これ大いにあやまてり。汝いふごとく、家内の者は我が民なり。我が民ゆへ真実に愛する也。愛する故に争ふことを喩へていはば、吾が子に灸する如し。逃げまはるをだましとらへて灸すれば、跳ねつはねつ反りかへり、ああ熱や、最早悪事しますまい、父様母様、堪忍して下さりませと泣きさけぶ。親は涙を流し、歯をくいしばつても灸する也。是もあらそひに似たれども、
現代語訳
着物は綾絹でなくとも暖かければ用は足りる。飲食は珍しいごちそうでなくとも一度満腹すれば用は足りる」とあります。また論語にも「君子は食べることに満腹を求めず、住まいに安楽を求めない」とおっしゃっています。この味わいを知ってください。さて、妻子や家の者と争い、思うようにさせないのはかわいそうだと言われますが、これは大きな誤りです。あなたの言うとおり、家の者は自分の民です。自分の民だから本当に愛するのです。愛するがゆえに争うことをたとえて言えば、わが子に灸をすえるようなものです。逃げ回るのをだまして捕まえて灸をすえると、跳ねたり反り返ったりして、「ああ熱い、もう悪いことはしません、父様母様、堪忍してください」と泣き叫ぶ。親は涙を流し、歯を食いしばってでも灸をすえるのです。これも争いに似ていますが、
解説
この章句が説くこと
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『茶の本』第六章 花・花の生まれ故郷に花をたずねる花を理想的に愛する人は、破れた籬の前に座して野菊と語った陶淵明や、たそがれに、西湖の梅花の間を逍遙しながら、暗香浮動の趣に我れを忘れた林和靖のごとく、花の生まれ故郷に花をたずねる人々である。周茂叔は、彼の夢が蓮の花の夢と混ずるように、舟中に眠ったと伝えられている。この精神こそは奈良朝で有名な光明皇后のみ心を動かしたものであって、「折りつればたぶさにけがる立てながら三世の仏に花たてまつる」とお詠みになった。
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『墨子』節用中子墨子言いて曰く、古者、明王聖人の天下に王たり諸侯を正しくせし所以の者は、彼れ其れ民を愛すること謹みて忠、民を利すること謹みて厚く、忠信、相い連なり、又た之に示すに利を以てす。是を以て身を終うるまで饜かず、殁して二十にして卷まず。古者、明王聖人の其の天下に王たり諸侯を正しくせし所以の者は、此れなり。
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論語・憲問篇子曰く、之を愛して、能く労すること勿からんや。焉に忠にして、能く誨うること勿からんや。
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『墨子』尚同下是の故に子墨子曰く、「凡そ民をして尚同せしむる者、民を愛すること疾からざれば、民、使う可き無し。曰く、必ず疾く愛して之を使い、信を致して之を持し、富貴以て其の前を道き、明罰以て其の後を率う。政を為すこと此くの若くんば、唯だ我と同じくする毋からんと欲するも、將に得可からざるなり」と。
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『都鄙問答』卷之一・孝ノ道ヲ問ノ段答ふ、かくのごとき者を、世間並みの人と思ふべけれど、親へつかふる道は、曾て知らざる者なり。汝は書を読みながら、書を読まざる愚昧の者を、法とするゆへに、父母に事ふる道を知らず。昔し公明宣、曾子に学ぶこと三年、書を読まず。曾子曰く、宣、参の門に居ること三年、学ばざるは何ぞや。公明宣曰く、安んぞ敢へて学ばざらん。宣、夫子の庭に居るを見るに、親在せば、叱咤の声未だ嘗て犬馬に至らず。宣之を説びて、学べども未だ能はず、と云へり。曾子の如きは、親の前にては、犬や馬さへ怒りて叱り玉はず。然るに汝は、只養ふを孝と思へり。子曰く、今の孝は是れ能く養ふを謂ふ。犬馬に至るまで皆能く養ふこと有り。敬せずんば何を以て別たんや、と。是の如くなる時は、父母に事ふる道は、愛と敬との二つなり。愛は、いつくしみあいする心なり。敬は、つつしみうやまふ心なり。然るに汝は、父母の命を用ひずして心を痛ましむ。心を痛ましむるは、愛心なきが故なり。命を用ひざるは、敬心なきが故なり。愛敬の心なきは、鳥獣に同じ。汝は世に呼ばるるほどの孝を問ふ。聖賢の孝を聞かんと思はば、早く愛敬の心を知るべし。愛敬の心を知らば、聖賢の孝にも到るべし。