斉家論 / 上
京橋は人つどひして、夥しき人死あり、其外四方八方へにぐるもの、橋の落たる所は、舟にてわたらんとすれど、舟には諸道具を積置たり、そのうへ船頭なければ、渡べき自由もならず、渡らんとすれば流れて死する者もありと、數の知れざる死人なれば、子が死し親は殘り、親が死し子は殘り、夫が死し妻は殘り、妻が死し夫は殘り、主人は死し家來は殘るも有べし、又其中には、知音ちかづきなければ、貸借もならず、せんかたなく古鄕などへ立のき、さぞ難義なる者も有べし、如斯物語すといへども、我見聞所ばかりなれば、十分の一にもあるまじ、又戰國の昔物語を聞ば、押入强盜徘徊し、己が住居も成がたく、他國へにげんとすれば、道にてはぎとり、
新字:京橋は人つどひして、夥しき人死あり、其外四方八方へにぐるもの、橋の落たる所は、舟にてわたらんとすれど、舟には諸道具を積置たり、そのうへ船頭なければ、渡べき自由もならず、渡らんとすれば流れて死する者もありと、数の知れざる死人なれば、子が死し親は残り、親が死し子は残り、夫が死し妻は残り、妻が死し夫は残り、主人は死し家来は残るも有べし、又其中には、知音ちかづきなければ、貸借もならず、せんかたなく古郷などへ立のき、さぞ難義なる者も有べし、如斯物語すといへども、我見聞所ばかりなれば、十分の一にもあるまじ、又戦国の昔物語を聞ば、押入強盗徘徊し、己が住居も成がたく、他国へにげんとすれば、道にてはぎとり、
書き下し
京橋は人つどひして、夥しき人死にあり。其の外四方八方へにぐるもの、橋の落ちたる所は、舟にてわたらんとすれど、舟には諸道具を積み置きたり。そのうへ船頭なければ、渡るべき自由もならず。渡らんとすれば流れて死する者もありと、数の知れざる死人なれば、子が死し親は残り、親が死し子は残り、夫が死し妻は残り、妻が死し夫は残り、主人は死し家来は残るも有るべし。又其の中には、知音ちかづきなければ、貸借もならず、せんかたなく古郷などへ立ちのき、さぞ難義なる者も有るべし。如斯物語すといへども、我が見聞く所ばかりなれば、十分の一にもあるまじ。又戦国の昔物語を聞けば、押し入り強盗徘徊し、己が住居も成りがたく、他国へにげんとすれば、道にてはぎとり、
現代語訳
京橋では人が押し寄せて、おびただしい死者が出た。そのほか四方八方へ逃げる者も、橋が落ちたところでは舟で渡ろうとしたが、舟には家財道具が積んであり、そのうえ船頭もいないので渡ることもできない。渡ろうとして流されて死んだ者もいると。数も知れない死者ですから、子が死んで親が残り、親が死んで子が残り、夫が死んで妻が残り、妻が死んで夫が残り、主人が死んで家来が残ることもあったでしょう。その中には、知り合いがいないので金の貸し借りもできず、どうしようもなく故郷などへ立ち退いて、さぞ難儀した者もいたでしょう。こうして話してはいますが、私が見聞きしたことだけですから、実際の十分の一にもならないでしょう。また、戦国の昔話を聞くと、押し込み強盗がうろつき、自分の住まいにもいられず、他国へ逃げようとすれば道で身ぐるみはがされ、
解説

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