斉家論 / 上
大坂大火の事を語るべし、予先年大和めぐりし、それより大坂へ出しは、三月廿一日午の刻ばかり也、千日寺の茶店に休みしに、堀江邊より出火すといふ、燒出しとは見えながら、すさまじき火なり、折節未申の風はげしく、いきほひつよく丑寅へ吹付、黑けぶりの中より、爰かしこに火煙みゆ、其勢たとふべきにあらず、此風にてはたまるまじとて、備後町油や何某といふ常宿へ行みれば、うろたゆる體也、馴染の事なれば見捨がたく、連のうち兩人は跡に殘る、某は荷物を持せ、八軒屋にて待べしといひ別れぬ、八軒やの濱へ往て見れば、もはや西本願寺御堂に火かゝり、大風ゆへ、外のけぶりはさかまく波のごとくなれど、御堂の煙は、
新字:大坂大火の事を語るべし、予先年大和めぐりし、それより大坂へ出しは、三月廿一日午の刻ばかり也、千日寺の茶店に休みしに、堀江辺より出火すといふ、焼出しとは見えながら、すさまじき火なり、折節未申の風はげしく、いきほひつよく丑寅へ吹付、黒けぶりの中より、爰かしこに火煙みゆ、其勢たとふべきにあらず、此風にてはたまるまじとて、備後町油や何某といふ常宿へ行みれば、うろたゆる体也、馴染の事なれば見捨がたく、連のうち両人は跡に残る、某は荷物を持せ、八軒屋にて待べしといひ別れぬ、八軒やの浜へ往て見れば、もはや西本願寺御堂に火かゝり、大風ゆへ、外のけぶりはさかまく波のごとくなれど、御堂の煙は、
書き下し
大坂大火の事を語るべし。予先年大和めぐりし、それより大坂へ出でしは、三月廿一日午の刻ばかり也。千日寺の茶店に休みしに、堀江辺より出火すといふ。焼け出しとは見えながら、すさまじき火なり。折節未申の風はげしく、いきほひつよく丑寅へ吹き付け、黒けぶりの中より、爰かしこに火煙みゆ。其の勢ひたとふべきにあらず。此の風にてはたまるまじとて、備後町油や何某といふ常宿へ行きみれば、うろたゆる体也。馴染の事なれば見捨てがたく、連れのうち両人は跡に残る。某は荷物を持たせ、八軒屋にて待つべしといひ別れぬ。八軒やの浜へ往きて見れば、もはや西本願寺御堂に火かかり、大風ゆへ、外のけぶりはさかまく波のごとくなれど、御堂の煙は、
現代語訳
大坂の大火のことを話しましょう。私は先年大和を巡り、そこから大坂へ出たのは三月二十一日の正午ごろでした。千日寺の茶店で休んでいると、堀江のあたりから出火したという。燃え始めと見えながら、すさまじい火でした。折から南西の風が激しく、勢い強く北東へ吹きつけ、黒煙の中からあちこちに火の手が見える。その勢いはたとえようもありません。この風ではたまるまいと、備後町の油屋某という定宿へ行ってみると、うろたえている様子です。なじみの家なので見捨てがたく、連れのうち二人は後に残り、私は荷物を持たせて八軒屋で待とうと言って別れました。八軒屋の浜へ行って見ると、もう西本願寺の御堂に火がかかり、大風のために、ほかの煙は逆巻く波のようでしたが、御堂の煙は、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『斉家論』上二三十間ばかりも立ちのぼり、すさまじき勢ひ也。火におはれ我先にとにげ走るは、蜘の子ちらすごとくにて、老人や子共は、負うたり懐いたり、手をひいたり、跡を見かへり、泣きもてにぐるものもあり。分けて笑止に見えけるは、廿歳あまりのいやしからぬ女、走りつかれて目をまはし、舟の乗り場へつれ行き、水をのませて居るもあり。又三十計りの女、紫の小袖著て、男のやうに帯刀し、長刀を持ち、赤足に草鞋にて、足より血をながし、下女は風呂敷づつみを負ひ、中間と見えしものは、葛籠をかたげたれば、助くることもならずと見ゆ。其の外難義そふなるもの数をしらず。七つ時迄に天満も一面の火と成り、難波橋も焼け、天神橋へも火かかれりと見る所へ、連れの者も来たれり。
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『斉家論』上二人ともに何成りとも食はねば、ゆかれぬといへり。さりながら食と金と、つりがへにても売る人なければ、是非なくて、ゆかれ次第往くべしと、京橋を渡り片町にて、漸うしんこを見あたる。かかる折ともいはずして、二文のしんこは二文に売る。げに天下泰平一統に治まる御代の徳なれや。そのしんこにたすけられて、足軽く守口の宿につき、一夜を明かすも有りがたき。その時分には、大坂に親しき者もなかりしゆへ、未明に立ちて帰京せり。後に聞けば、西の御堂にても数十人焼け死す。船場の中も、爰かしこへ飛び火して、一面に火がまはり、焼きたてられ、逃ぐる者は風に木の葉を散らすがごとし。財宝は取り次第、落とせし物は拾ひ次第、只命を惜しむばかりにて、我先へとにげゆく。
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『斉家論』上京橋は人つどひして、夥しき人死にあり。其の外四方八方へにぐるもの、橋の落ちたる所は、舟にてわたらんとすれど、舟には諸道具を積み置きたり。そのうへ船頭なければ、渡るべき自由もならず。渡らんとすれば流れて死する者もありと、数の知れざる死人なれば、子が死し親は残り、親が死し子は残り、夫が死し妻は残り、妻が死し夫は残り、主人は死し家来は残るも有るべし。又其の中には、知音ちかづきなければ、貸借もならず、せんかたなく古郷などへ立ちのき、さぞ難義なる者も有るべし。如斯物語すといへども、我が見聞く所ばかりなれば、十分の一にもあるまじ。又戦国の昔物語を聞けば、押し入り強盗徘徊し、己が住居も成りがたく、他国へにげんとすれば、道にてはぎとり、
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『斉家論』上実に年月の過ぐる早き事は、たけき川水の流るるがごとく止まる事なし。予講釈を初めんと志し、何月何日より開講、無縁のかたがたにても、遠慮なくきかるべしと、書付を出だせしも、はや十五年に成りぬ。其の頃書付を見て、殊勝なりといふ人もあり、又あの不学にて、何を説くやと議るもあり、或は面向きは誉むれども、影にて笑ふ人もあり、其の外評判まちまちなりと聞く。予晩学の事なれば、何を覚えし事もなく、行跡も、好人に似ることあらばしかるべきに、それもいよいよ及びがたし。然るに何を教ゆと思ふべきか。吾がおしへを立つる志は、数年心をつくし、聖賢の意味、彷彿と得る者に似たる所あり、此の心を知らしむる時は、生死は言ふに及ばず、
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『斉家論』上財宝所持して逃ぐる事もならず。著のまま逃げても、所々にて弓鉄炮をかまへ辞をかけ、裸に成りてゆけといふ。著のまま也、免せといへば聞き入れず、裸になればよし、否といはば打ちはなすといへり。命に代はる衣類はなしとて、裸に成りて往きし者、数しらずと聞き置けり。戦国の時、食物や著物が撰り分けていらるべきや。虱だらけの物ならで、著ることは成るまじ。其の時木綿布子は重いなどと、理屈がいうてゐられうか。をしいただいて著るべきぞ。又食物に乏しく、おほくはつかれゐるべし。其の時に、麦飯や白粥は嫌なりといふべきや。食ひくるる者あらば、神仏のやうにおもふべし。忝くも今の御代、天下一統に養はるるは、ありがたき事にあらずや。孟子曰く、
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『斉家論』上講釈するに及ばざれども、京大坂大和河内にて、講釈の上にて読み聞かせり。其の意は、かく孝行すれば、天下に知られ、好事と思ひ、名聞に成りとも、孝行がさせたく思ふ所なり。天子より已下庶人に至るまで、孝終始なきときは、患ひ及ばざる者は、いまだこれあらじ。又地の利に因り、身を謹み用を節にして、以て父母をやしなふは、諸人の孝と、孝経に説きたまへり。それゆへ常に倹約の事を説ききかせ、門弟へは月次の会に、折々倹約の題を出だし、得心あるやとこころみれども、是までは志も立たざりしが、五六年より十四五年も従へるしるしにや、去る秋町家の門弟、志を起こし来たりていはく、我々年来教へをうくるといへども、家を治むるうへに心得たがひあり。今般家を治むるは、