斉家論 / 上
答曰、汝の言ごとく、儉約は學者におひてつねのことなり、某嘗て著す都鄙問答、或人主人行狀の是非を問の段にいひ置しは、始終儉約を行ふ事なれど、それと題號なきゆへ、門弟も心付なかりしに、儉約が常なる事を得心し、此度改め行へり、それゆへ家內のものも珍しき事と思へるなり、向後身分相應を知れば、儉約がつねとなる也、又汝人間のたのしみは、衣食住の三つといへり、尤衣食住の三つを樂めども、今日のごとくおごりたかぶるを以て樂みとするにあらず、此三つ、人の身にやむ事を得ずしていとなむことなり、只不飢さむからずして、心やすらかに過すを樂みとす、周禮に曰、室は高きにあらざれども、漏ざれば便よし、
新字:答曰、汝の言ごとく、倹約は学者におひてつねのことなり、某嘗て著す都鄙問答、或人主人行状の是非を問の段にいひ置しは、始終倹約を行ふ事なれど、それと題号なきゆへ、門弟も心付なかりしに、倹約が常なる事を得心し、此度改め行へり、それゆへ家内のものも珍しき事と思へるなり、向後身分相応を知れば、倹約がつねとなる也、又汝人間のたのしみは、衣食住の三つといへり、尤衣食住の三つを楽めども、今日のごとくおごりたかぶるを以て楽みとするにあらず、此三つ、人の身にやむ事を得ずしていとなむことなり、只不飢さむからずして、心やすらかに過すを楽みとす、周礼に曰、室は高きにあらざれども、漏ざれば便よし、
書き下し
答へて曰く、汝の言ふごとく、倹約は学者におひてつねのことなり。某嘗て著す都鄙問答、或人主人行状の是非を問ふの段にいひ置きしは、始終倹約を行ふ事なれど、それと題号なきゆへ、門弟も心付かなかりしに、倹約が常なる事を得心し、此の度改め行へり。それゆへ家内のものも珍しき事と思へるなり。向後身分相応を知れば、倹約がつねとなる也。又汝人間のたのしみは、衣食住の三つといへり。尤も衣食住の三つを楽しめども、今日のごとくおごりたかぶるを以て楽しみとするにあらず。此の三つ、人の身にやむ事を得ずしていとなむことなり。只飢ゑず寒からずして、心やすらかに過ごすを楽しみとす。周礼に曰く、室は高きにあらざれども、漏らざれば便よし。
現代語訳
私は答えました。「あなたの言うとおり、倹約は学ぶ者にとって当たり前のことです。私がかつて著した『都鄙問答』の「或人主人行状の是非を問ふの段」で述べたのは、始めから終わりまで倹約を行うことでしたが、倹約という題を立てていなかったので、門弟も気づかなかったのです。それが、倹約が常のことだと得心して、このたび改めて実行したのです。だから家の者も珍しいことだと思ったのです。今後、身分相応を知れば、倹約が常のことになるでしょう。またあなたは、人間の楽しみは衣食住の三つだと言いました。もっとも衣食住を楽しみはしますが、今のように奢り高ぶることを楽しみとするのではありません。この三つは、人が生きるためにやむを得ず営むものです。ただ飢えず凍えず、心安らかに過ごすことを楽しみとするのです。周礼に「家は高くなくとも、雨が漏らなければ用は足りる。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『斉家論』上珍味珍物を取りあつめ、賑やかにくらすことをよろこぶ。尤もこれらを法にかなふと言ふにはあらず。然れども如斯なり来たりし世上なれば、急々にあらたむることあたはず。聖人の民をおさめ玉ふは、親の子を養育する如く、漸々を以て治めたまふべし。一軒の家にていはば、妻子より小者に至るまで、吾が民なり。其の民を次第にやすく治むるが、主人の職分なり。先づ人間の楽しみは、衣食住の三つなり。衣類等を拵ふるは、著てたのしむが為なり。しかるに自身著ざるのみならず、妻子小者に至るまで、おさへとどめて著せざるよし。女童の身にしては、さぞ迷惑におもふべし。是不便の事にあらずや。又振舞も、これまでは一汁三菜、二汁五菜の料理にて、客もてなしたるをば、
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『斉家論』下答ふ、汝は町家のことは瑣細にて、大道に用ゐられずと云ふ。某思ふは左にあらず。上より下に至り、職分は異なれども、理は一なり。倹約の事を得心し行ふときは、家とゝのひ国治まり天下平らかなり。これ大道にあらずや。倹約をいふは、畢竟身を修め家をとゝのへん為なり。大学に所謂、天子より以て庶人に至るまで、一に是れ皆身を修むるを以て本とすと。身を修むるに、何んぞ士農工商のかはりあらん。身を修むる主となるは如何。これ心なり。此の身の微なるを喩へていはゞ、大倉に稀米一粒あるがごとし。しかれども、天地人の三才となるは、唯心のみ。古今たれか此の心なからん。然れども是を知る者まれなり。知るといへども、其の通りを行ふ者甚だかたし。惟君子は誠を存し、
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『斉家論』上倹約をいひたて、一汁一菜か二菜の料理ですますとあり。客人も是までとは、きれかはりたる不馳走なれば、興なくて、にがにがしく思ふべし。妻子家内の者どもは、不興なる体を見て心をいため、さぞ気の毒に思ふべし。門弟中、人にそむき、俄かに倹約をなすゆへ、したしむべき親類、又家内のものまで、争ひに至るは、かなしきにあらずや。是皆欲心よりなす所なり。前に言ふごとく、倹約は、つねのごとく心得るが学者にあらずや。
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『斉家論』下その放心を求むるのみと、孟子も既に説きたまへり。予が教ゆる所もこれによれり。孟子の開示する所、至りて重きことなれば、容易のことにあらず。しかれども、執行の功により、放心を求め得ることあり。求むるときは、心の一致なることを知る。故に士農工商、をのをの職分異なれども、一理を会得するゆへ、士の道をいへば、農工商に通ひ、農工商の道をいへば、士に通ふ。なんぞ四民の倹約を別々に説くべきや。倹約をいふは他の儀にあらず、生まれながらの正直にかへし度き為なり。天より生民を降すなれば、万民はことごとく天の子なり。故に人は一箇の小天地なり。小天地ゆへ、本私欲なきものなり。このゆへに我が物は我が物、人の物は人の物、貸したる物はうけとり、
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『都鄙問答』卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段曰く、親類一家祝儀の音物は、取り遣りともに、三分一に減じ、七日の法事は三日に減じ、一日の斎は三日に増し、斎非時も、五十人の僧を二十人に減じ、一石の施行は三石に増す。此れ等はいかん。答ふ、我が分を能く知りて、天を恐るゝ志し、有りがたきことなり。音物を減じ、法事の日数を減じ、僧を聚むることを減ずるは、分限を知らるゝが故なり。法事に、斎し敬むは礼なり。施行米を増し人を救ふは、仁の施しなり。凡て増減を知るは智なり。実に智仁の心を能く用ひたるありさま、左も有るべきことかな。孔子も、礼は其の奢らんよりは寧ろ倹せよ、喪は其の易めんよりは寧ろ戚めと宣ふ。扨て五十人の僧を、二十人に減ずること、定めて疑ひあるべし。
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『斉家論』下男と思はれ候やといひければ、告げし人、我が言ふ所に同心しておかしがられき。此様の事をいはるゝも、近世の学問、多くは詩作文章に流れ、聖学の本を失へるゆへなり。論語学而篇に、行ひて余力あるときは文を学べと、孔子既にのたまへり。文学は末なり、身の行ひは本なり。凡て学問は本末を知るを肝要とす。又国を治むるには、用を節にして民を愛すとのたまふ。財宝を用ゐる事、倹約にする中に、人を愛するの理備はれり。人を愛せんと欲すとも、財用たらざれば能はず。しかれば家国を治むるには、倹約は本なる事明らかなり。これまで物語すといへども、汝いまだ得心せずと見ゆ。幸ひ今般門弟倹約示し合はせの書付を認め、其の序を予に請はれけれど、先づ何ものの存より述べられよといへば、斯くの如しとて書付見せられけり。趣意、予が心に合ふ。これ約にして見やすかるべし。此の序を見て、倹約の意味を考へ知らるべし。