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斉家論 / 上

或學者、某門弟專ら儉約を用ゆる事を聞、或時來りて物語のうへ問ていはく、聖人の道は、あらそふ事なきを善とする、然るに近頃汝はあらそふことを敎ゆと聞り、いかなる事ぞや、答、某敎ゆるは、聖賢の口眞似なり、爭ことを敎ゆるとは、何をもつていはれ候や、

新字:或学者、某門弟専ら倹約を用ゆる事を聞、或時来りて物語のうへ問ていはく、聖人の道は、あらそふ事なきを善とする、然るに近頃汝はあらそふことを教ゆと聞り、いかなる事ぞや、答、某教ゆるは、聖賢の口真似なり、争ことを教ゆるとは、何をもつていはれ候や、

書き下し

或る学者、某が門弟専ら倹約を用ゆる事を聞き、或る時来たりて物語のうへ問うていはく、聖人の道は、あらそふ事なきを善とする。然るに近頃汝はあらそふことを教ゆと聞けり、いかなる事ぞや。答ふ、某教ゆるは、聖賢の口真似なり。争ふことを教ゆるとは、何をもつていはれ候や。

現代語訳

ある学者が、私の門弟がもっぱら倹約をしていると聞き、ある時やって来て話のついでに尋ねました。「聖人の道は争わないことを善とする。ところが近ごろ、あなたは争うことを教えていると聞いた。どういうことか」。私は答えました。「私が教えているのは聖賢の口真似にすぎません。争いを教えているとは、何をもってそう言われるのですか」。

解説

本書の中心となる問答がここから始まります。門弟が急に倹約を始めたため、家の中や親類との間でもめごとが起きた。それを聞いた学者が、聖人の道は争わないことなのに、お前は争いを教えているのか、と詰め寄ります。論語八佾篇の「君子は争ふ所無し」を念頭に置いた批判でしょう。梅岩は、自分が教えているのは聖賢の口真似にすぎないと受け、何をもって争いと言うのかと問い返します。変化を起こせば摩擦が生じます。その摩擦を悪と見るか、必要な過程と見るかが、以下の論点になります。

この章句が説くこと

争い倹約学者問答摩擦聖人

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