斉家論 / 上
殷の紂王、始象の箸を爲る時、箕子慨歎して、彼象の箸を爲り玉はゞ、必玉の杯を爲るべし、玉の杯を爲らば、必遠方珍怪の物を思ふてこれを用ひ、輿馬宮室の漸自此始、不可振といへり、君子の眼違はずして、遂に不振して亡びたり、天下の主として、象の箸はわづかなれど、高山も微塵よりなるごとく、終には民を暴虐し、殷の天下を亡ぼすに至る、高下ありといへども、家を興し家を亡す理は一なり、奢りは日に長じ安し、恐れ愼むべき事なり、子曰、禮は其奢らんよりは寧儉せよと、又約を以て、是を失するものはすくなしと、聖人の意味は、深長にして格別の事なり、しかれども先儉約に思ひ付るゝことこそ殊勝なれ、
新字:殷の紂王、始象の箸を為る時、箕子慨嘆して、彼象の箸を為り玉はゞ、必玉の杯を為るべし、玉の杯を為らば、必遠方珍怪の物を思ふてこれを用ひ、輿馬宮室の漸自此始、不可振といへり、君子の眼違はずして、遂に不振して亡びたり、天下の主として、象の箸はわづかなれど、高山も微塵よりなるごとく、終には民を暴虐し、殷の天下を亡ぼすに至る、高下ありといへども、家を興し家を亡す理は一なり、奢りは日に長じ安し、恐れ慎むべき事なり、子曰、礼は其奢らんよりは寧倹せよと、又約を以て、是を失するものはすくなしと、聖人の意味は、深長にして格別の事なり、しかれども先倹約に思ひ付るゝことこそ殊勝なれ、
書き下し
殷の紂王、始めて象の箸を為る時、箕子慨歎して、彼象の箸を為り玉はば、必ず玉の杯を為るべし。玉の杯を為らば、必ず遠方珍怪の物を思うてこれを用ひ、輿馬宮室の漸、此れより始まり、振ふべからずといへり。君子の眼違はずして、遂に振はずして亡びたり。天下の主として、象の箸はわづかなれど、高山も微塵よりなるごとく、終には民を暴虐し、殷の天下を亡ぼすに至る。高下ありといへども、家を興し家を亡ぼす理は一なり。奢りは日に長じ安し、恐れ慎むべき事なり。子曰く、礼は其の奢らんよりは寧ろ倹せよと。又約を以て、是を失する者はすくなしと。聖人の意味は、深長にして格別の事なり。しかれども先づ倹約に思ひ付かるることこそ殊勝なれ。
現代語訳
殷の紂王が初めて象牙の箸を作ったとき、箕子は嘆いて言いました。「象牙の箸を作られたなら、必ず玉の杯を作るだろう。玉の杯を作れば、必ず遠方の珍しい物を求めて用いるだろう。車馬や宮殿の贅沢はここから始まり、もう救いようがない」。君子の見立ては違わず、殷はついに立ち直れず滅びました。天下の主にとって象牙の箸はわずかなものですが、高い山も塵から成るように、ついには民を虐げ、殷の天下を滅ぼすに至ったのです。身分の高下はあっても、家を興し家を滅ぼす道理は一つです。奢りは日ごとに育ちやすいもので、恐れ慎むべきことです。孔子は「礼は奢るよりはむしろ倹約せよ」と言い、また「約によって失敗する者は少ない」とも言いました。聖人の意味は深く格別ですが、まずは倹約に思い至ることこそ感心なことです。
解説
この章句が説くこと
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『十善法語』巻第八・不貪欲戒箕子カ紂王ノ象箸ヲ為テ嘆スル。孟子カ梁恵王ヲ見テ。王何必言利ト云フ。左伝荘公二十四年。魯大夫御孫カ言ニ。倹徳之共也。修悪之大也ト。論語ニ季康子盗ノ多ヲ憂テ。コレヲ孔子ニ問フ。孔子答フ苟子之不欲。雖賞之不窃トアル。老子ニ不貴難得之貨使民不為盗。不見可欲使心不乱トアル。周書ニ不貴異物賤用物民乃足。犬馬非其土性不畜。珍禽奇獣不育于圃。不実遠物則遠人格等トアル。此類ミナ千古ノ格言デ。此戒ノ戒相ナルシヤ。
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