斉家論 / 上
此長五郞、貧き百姓薪賣の事なれば、學問の德にて、孝行したりとも見へざれども、天下萬民聞知程にはなれり、門弟中にも、是までは、文學なくては、學問の甲斐なきなどとおもひし者も、長五郞が事を聞、いよいよ吾言ところに同心するこそ有がたき、又去る年、門弟一書を持來り見せられけり、題號は越後孝婦傳とあり、曰越後國三島郡出雲崎尼瀨の大工作太夫が女房は、姑に孝行なるもの也、夫作太夫も孝心なるものなれど、世のいとなみのやるせなくて、他國かせぎに出るゆへ、女房ひとり、七十にあまる姑を介抱し、孝行をなし、是も御惠にあづかりしよし、板行にあらはれ、普く天下にひろまるは、有がたきにあらずや、元來假名ものなれば、
新字:此長五郎、貧き百姓薪売の事なれば、学問の徳にて、孝行したりとも見へざれども、天下万民聞知程にはなれり、門弟中にも、是までは、文学なくては、学問の甲斐なきなどとおもひし者も、長五郎が事を聞、いよいよ吾言ところに同心するこそ有がたき、又去る年、門弟一書を持来り見せられけり、題号は越後孝婦伝とあり、曰越後国三島郡出雲崎尼瀨の大工作太夫が女房は、姑に孝行なるもの也、夫作太夫も孝心なるものなれど、世のいとなみのやるせなくて、他国かせぎに出るゆへ、女房ひとり、七十にあまる姑を介抱し、孝行をなし、是も御恵にあづかりしよし、板行にあらはれ、普く天下にひろまるは、有がたきにあらずや、元来仮名ものなれば、
書き下し
此の長五郎、貧しき百姓薪売りの事なれば、学問の徳にて、孝行したりとも見えざれども、天下万民聞き知る程にはなれり。門弟中にも、是までは、文学なくては、学問の甲斐なきなどとおもひし者も、長五郎が事を聞き、いよいよ吾が言ふところに同心するこそ有りがたき。又去る年、門弟一書を持ち来たり見せられけり。題号は越後孝婦伝とあり。曰く、越後国三島郡出雲崎尼瀬の大工作太夫が女房は、姑に孝行なるもの也。夫作太夫も孝心なるものなれど、世のいとなみのやるせなくて、他国かせぎに出づるゆへ、女房ひとり、七十にあまる姑を介抱し、孝行をなし、是も御恵みにあづかりしよし、板行にあらはれ、普く天下にひろまるは、有りがたきにあらずや。元来仮名ものなれば、
現代語訳
この長五郎は貧しい百姓で薪売りですから、学問の徳で孝行したとは見えませんが、天下の人々に知られるほどになりました。門弟の中にも、これまでは文学がなければ学問のかいがないなどと思っていた者が、長五郎のことを聞いて、いよいよ私の言うことに同意したのはありがたいことです。また先年、門弟が一冊の書物を持って来て見せてくれました。題は『越後孝婦伝』とあり、それによると、越後国三島郡出雲崎尼瀬の大工作太夫の女房は姑に孝行な者である。夫の作太夫も孝行者だが、暮らしが立たず他国へ出稼ぎに出たので、女房がひとりで七十を越えた姑を介抱して孝行を尽くし、これもお上からご褒美にあずかったという。それが板行されて広く天下に知られたのは、ありがたいことではありませんか。もともと仮名書きの本ですから、
解説

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『翁問答』上卷之本然る故に此宝を能く守れば、天子は永く四海の富を保ち、諸侯は永く一国の栄華を受け、卿太夫は其家を興し、士は其名を顕はし位を上り、庶人は財穀を積み貯へて其楽をたのしめり、此宝を棄てては人間の道立ず人間の道立ざる而已ならず、天地の道も立ず、天地の道立ざる而已ならず、太虚の神化も行はれず、太虚三才宇宙鬼神造化生死悉く此宝にて包括するなり、此宝を求め学ぶを儒者の学問と云なり、生れながらにして保合し玉ふを聖人と云ふ、学問に因て保合し能く守り行ふを賢人と云なり、孔子万世の暗を照さん為めに此宝を求め学ぶ鏡に孝経を造り給ふと雖秦の代よりこのかた二千余年の間、十分に学び得たる人稀なり今大明の代に至りて、能く知り能く守る人多し、大舜は此宝を保合し給ひて、庶人の中より天子の位に登り給ふ、文王は此宝を保合し給ひて天帝の左右にまします、董永は此宝を守りて、天の織女を妻となし、呉二は此宝を守りて、宿悪の天刑をまぬがれたり、古来霊験語り尽し難し能く信仰して受用すべき事なり。
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『斉家論』上予不学なれば、四書五経にさへ仮名して読み来たれり。しかるに幸ひなるかな、今日まで入れ替はり聴衆もたえず、其の中に親しき門弟もあり。今々の門弟には、文学を好める人もあれど、したしき門弟は、文質彬々は所詮及びがたしと思ふより、某が言ふ所に同心し、且つ他をも誘ひ集むる事こそ殊勝なれ。寛保元年秋の頃門弟の中来たりて云ふ、武蔵国に薪木売り長五郎といふ孝心なる者あり、江戸表はこの沙汰にて、則ち其の趣き板行にあらはれしとて見せられけり。曰く、武蔵国多摩郡府中領押立村に、長五郎といふ小百姓あり。其の身貧しく、妻にもはなれ、八十八歳になる母を養ひ、其の外子供にもせがまれながら、母を大切にやしなひ、孝をつくせしゆへ、公の御恵みにもあづかりしとなり。
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『童子問』卷中問ふ。孝にも亦大小有るか。曰く、父母をして憂へ無からしむる者は易く、父母をして之を悦ばしむる者は難し。何となれば、凡そ人の子為る者、平生身を褪めて業を勤め、亡頼の友無く、博奕せず飲酒を好まず、勇を好み闘狠して以て其の父母を危ふくせざれば、則ち以て父母の憂へを免るるに足る。然り而して未だ父母の心を悦ばしむるに足らず。苟も学を好み善に志し、身を立て家を起こし、以て其の祖業を張り、其の門楣を耀かすに足らば、而る後に父母の心、怡然驩然として、其の悦びに勝へざる者有り。孝の至りなり。父母をして憂へ無からしむること能はざる者は、以て人と為すべからず。父母をして之を悦ばしむること能はざる者は、以て子と為すべからず。勉めんかな。
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『文武訓』文訓上されば詩文つくる事をきらふにはかはるべし。人となりて、忠孝以下の人の道をきらはば、不孝の子、不忠の臣となりて、天地の間の大なるとが人にあらずや。かかる人は世に立ちがたし。しかれば、学問をきらひて世に立たんとするは、狼藉の人なるべし。
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『大和俗訓』巻之一・為学上一学問の道は、極めて広大高妙にして深奥なり。しかれども其近き所は孝弟忠信の日用常行にあり。故にいかなる愚なる者も、此道をまなびやすく、知りやすく、行ひやすし。高遠にして、あやしく異なる道にはあらず。一古の聖人すら、猶師にしたがひて学び給ふ。況や今時の凡人、学ばずしては道を知りがたし。小芸だにも、師なく習なくしてはなしがたし。況や人の道は即天地の道にて、極めて大なるをや。学んでも、まなびやう悪しければ、道を知らず。学ばずして道を得んことは、万々此理なし。
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『文武訓』文訓上是、井蛙の大海を知らざるにたとふべし。孔孟のをしへ、皆博学を以てさきとし給ふを以て、其非を知るべし。聖人の道は広大精微なり。今の人の食物の料理本、なぞなぞの本などのやうなる事にては、其道理知りがたかるべし。一詩を作り文をよむ事をきらふは、人々の生れつきによりて、其このみきらふこと、各かはれること、たとへば、上戸下戸の、酒をこのみきらふことかはれるが如くなれば、さもあらばあれ、只学問をきらふことは、心にも忌み口にもはばかるべし。いかんとなれば、学問とはなにごとぞや、おやに孝を行ひ、君に忠をなし、凡、人倫にまじはりて、義理を行はんがためなり。此道を、古の聖人のをしへおき給へるを、まなぶを云ふにあらずや。