囲炉夜話 / 第二百十六則・今惟だ教ふるに文を以てするのみ
文行忠信,孝悌恭敬,孔子立教之目也,今惟教以文而已。 志道據德,依仁遊藝,孔門為學之序也,今但學其藝而已。
新字:文行忠信,孝悌恭敬,孔子立教之目也,今惟教以文而已。 志道拠徳,依仁遊芸,孔門為学之序也,今但学其芸而已。
書き下し
文行忠信、孝悌恭敬は、孔子の教を立つるの目なり、今惟だ教ふるに文を以てするのみ。 道に志し德に據り、仁に依り藝に遊ぶは、孔門の學を為すの序なり、今但だ其の藝を學ぶのみ。
現代語訳
学問・行い・誠実・信義、そして孝行・年長者への従順・恭しさ・敬いは、孔子が教えを立てた項目です。ところが今は、ただ学問の文だけを教えています。道を志し、徳に拠り、仁に寄り添い、芸に遊ぶことは、孔子の門下で学問をする順序です。ところが今は、ただその芸だけを学んでいます。
解説
孔子の教えの全体と、今の教育の偏りを比べる対句です。文行忠信は『論語』述而篇の「子は四を以て教ふ、文行忠信」から来ています。孝悌恭敬を加えて、学問だけでなく行いや誠実さまでを含めたのが孔子の教えだったと言います。下の句は同じ述而篇の「道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に遊ぶ」で、道・徳・仁が先にあり、芸はその後に遊ぶものという順序が示されています。ところが今は、教えは文だけ、学びは芸だけになっていると著者は嘆きます。知識や技能ばかりが教えられる状況は、今の学校や研修にも重なります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
論語教育学問徳行孝
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『慎思録』巻之一子弟の輩、学を為すの道は、須らく論語孔子の教ふる所を以て法と為すべし。是れ聖門の懿訓、万世の模範なり。蓋し聖人は百世の師、天下の標準なり。其の言は乃ち万世の信なり。学者の仰慕して循守すべき所の者、豈に復た以て此に加ふる有らんや。学者須らく必ず是に由りて学ぶべし。是れ学問の成法為り。読書記誦の如きは、固より是れ子弟当務の事なり。然れども第一義と為すべからず。苟も孝弟謹信等の事を篤行して、余力有れば、則ち以て読書講習、博学審問を勤めと為すべし。須らく義理を講究し聡明を開発すべし。初学より成徳に至るまで、学を為すの法、須らく此くの如くなるべし。若し未だ孝弟忠信を以て善を為し力行して基本を立つること能はずして、徒らに博覧記誦を以て急務と為さば、是れ後世俗学口耳の習のみ。聖門人を教ふるの道に非ざるなり。
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『大和俗訓』巻之一・為学上一学問の道は、極めて広大高妙にして深奥なり。しかれども其近き所は孝弟忠信の日用常行にあり。故にいかなる愚なる者も、此道をまなびやすく、知りやすく、行ひやすし。高遠にして、あやしく異なる道にはあらず。一古の聖人すら、猶師にしたがひて学び給ふ。況や今時の凡人、学ばずしては道を知りがたし。小芸だにも、師なく習なくしてはなしがたし。況や人の道は即天地の道にて、極めて大なるをや。学んでも、まなびやう悪しければ、道を知らず。学ばずして道を得んことは、万々此理なし。
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『文武訓』文訓上是、井蛙の大海を知らざるにたとふべし。孔孟のをしへ、皆博学を以てさきとし給ふを以て、其非を知るべし。聖人の道は広大精微なり。今の人の食物の料理本、なぞなぞの本などのやうなる事にては、其道理知りがたかるべし。一詩を作り文をよむ事をきらふは、人々の生れつきによりて、其このみきらふこと、各かはれること、たとへば、上戸下戸の、酒をこのみきらふことかはれるが如くなれば、さもあらばあれ、只学問をきらふことは、心にも忌み口にもはばかるべし。いかんとなれば、学問とはなにごとぞや、おやに孝を行ひ、君に忠をなし、凡、人倫にまじはりて、義理を行はんがためなり。此道を、古の聖人のをしへおき給へるを、まなぶを云ふにあらずや。
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