呂氏春秋 / 疑似③
梁北有黎丘部,有奇鬼焉,喜效人之子姪昆弟之狀。邑丈人有之市而醉歸者,黎丘之鬼效其子之狀,扶而道苦之。丈人歸,酒醒而誚其子,曰:「吾為汝父也,豈謂不慈哉?我醉,汝道苦我,何故?」其子泣而觸地曰:「孽矣!無此事也。昔也往責於東邑人可問也。」其父信之,曰:「譆!是必夫奇鬼也,我固嘗聞之矣。」明日端復飲於市,欲遇而刺殺之。明旦之市而醉,其真子恐其父之不能反也,遂逝迎之。丈人望其真子,拔劍而刺之。丈人智惑於似其子者,而殺於真子。夫惑於似士者而失於真士,此黎丘丈人之智也。疑似之跡,不可不察。察之必於其人也。舜為御,堯為左,禹為右,入於澤而問牧童,入於水而問漁師,奚故也?其知之審也。夫人子之相似者,其母常識之,知之審也。
新字:梁北有黎丘部,有奇鬼焉,喜効人之子姪昆弟之状。邑丈人有之市而酔帰者,黎丘之鬼効其子之状,扶而道苦之。丈人帰,酒醒而誚其子,曰:「吾為汝父也,豈謂不慈哉?我酔,汝道苦我,何故?」其子泣而触地曰:「孽矣!無此事也。昔也往責於東邑人可問也。」其父信之,曰:「譆!是必夫奇鬼也,我固嘗聞之矣。」明日端復飲於市,欲遇而刺殺之。明旦之市而酔,其真子恐其父之不能反也,遂逝迎之。丈人望其真子,抜剣而刺之。丈人智惑於似其子者,而殺於真子。夫惑於似士者而失於真士,此黎丘丈人之智也。疑似之跡,不可不察。察之必於其人也。舜為御,堯為左,禹為右,入於沢而問牧童,入於水而問漁師,奚故也?其知之審也。夫人子之相似者,其母常識之,知之審也。
書き下し
梁の北に黎丘部有りて、奇鬼有り。善く人の子姓昆弟の狀に效う。邑の丈人に市に之きて醉いて歸る者有り。黎丘の鬼、其の子の狀に效い、扶けて道に之を苦しむ。丈人歸り、酒醒めて其の子を誚めて曰く、「吾は汝の父為るや、豈に不慈と謂わんや。我醉い、汝道に我を苦しめしは、何の故ぞ。」其の子泣きて地に觸れて曰く、「孽いなり。此の事無し。昔は往いて東邑に責む。人問う可し。」其の父之を信じて曰く、「譆、是れ必ず夫の奇鬼ならん。我固より嘗て之を聞けり。」明日端に復た市に飲み、遇いて之を刺殺せんと欲す。明旦、市に之きて醉う。其の真子、其の父の反る能わざらんことを恐れ、遂に逝きて之を迎う。丈人、其の真子を望み、劍を抜きて之を刺す。丈人の智、其の子に似たる者に惑いて、其の真子を殺せり。夫れ士に似たる者に惑い、而して真士を失うは、此れ黎丘の丈人の智なり。疑似の跡は、察せざる可からず。之を察するは、必ず其の人に於いてするなり。舜御と為り、堯左と為り、禹右と為るも、澤に入りては牧童に問い、水に入りては漁師に問うは、奚の故ぞや。其の之を知ること審らかなればなり。夫れ孿子の相似たる者は、其の母常に之を識る。之を知ること審らかなればなり。
現代語訳
梁の北に黎丘という村里があり、そこに怪しい鬼がいて、人の子や孫や兄弟の姿にうまく化けるのが好きだった。村の老人で、市に行って酔って帰る者がいた。黎丘の鬼はその老人の子の姿に化けて、老人を助けるふりをして道中で苦しめた。老人は帰宅し、酔いが醒めてから息子を責めて言った。「私はお前の父ではないか。どうして慈しみが足りないなどと言えようか。私が酔ったのに、お前が道で私を苦しめたのはなぜだ。」息子は泣いて地に額をつけて言った。「とんでもないことです。そんなことはしていません。昨日は東の村へ集金に行っていました。人に尋ねてもらえばわかります。」父はこれを信じて言った。「ああ、それはきっとあの怪しい鬼だ。私も前から聞いていた。」翌日、わざと再び市で酒を飲み、その鬼に出会って刺し殺そうとした。翌朝、市に行って酔った。本当の息子は、父が帰れないのではと心配し、迎えに行った。老人は本当の息子を見て、鬼と思い込み、剣を抜いて刺してしまった。老人の知恵は、息子に似た鬼に惑わされて、本当の息子を殺してしまったのである。士に似た者に惑わされて本当の士を見失うのは、まさにこの黎丘の老人の知恵と同じである。似て非なるものの手がかりは、よく見極めなければならない。見極めるには、必ず適切な人に尋ねることである。舜が御者となり、堯が左に、禹が右に乗っていても、沼沢に入れば牧童に尋ね、水に入れば漁師に尋ねたのはなぜか。彼らの方がその土地をよく知っているからである。双子のようによく似た者でも、その母は常に見分けられる。よく知っているからである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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呂氏春秋・疑似①人をして大いに迷惑せしむる者は、必ず物の相似たるものなり。玉人の患うる所は、石の玉に似たる者を患う。劍を相する者の患うる所は、劍の呉干に似たる者を患う。賢主の患うる所は、人の博聞辯言にして通ずるに似たる者を患う。亡國の主は智に似、亡國の臣は忠に似る。相似るの物は、此れ愚者の大いに惑う所にして、聖人の慮を加うる所なり。故に墨子、歧道を見て之を哭す。
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呂氏春秋・去宥③人の人と鄰する者有り。枯れたる梧樹有り。其の鄰の父、梧樹の善からざるを言うや、鄰人遽に之を伐る。鄰の父因りて請いて以て薪と為す。其の人悦ばずして曰く、「鄰者此くの若く其れ險なり。豈に之が鄰為る可けんや。」此れ宥せらるる所有るなり。夫れ請いて以て薪と為すと請わざるとは、此を以て枯れたる梧樹の善きと善からざるとを疑う可からざるなり。齊人に金を得んと欲する者有り。清旦、衣冠を被り、金を鬻ぐ者の所に往き、人の金を操るを見て、攫みて之を奪う。吏搏えて之を束縛し、問いて曰く、「人皆焉に在り。子、人の金を攫めるは、何の故ぞ。」吏に對えて曰く、「殊に人を見ず、徒だ金を見るのみ。」此れ真に大いに宥せらるる所有るなり。夫れ人宥せらるる所有る者は、固より晝を以て昏と為し、白を以て黑と為し、堯を以て桀と為す。宥の敗を為すこと亦た大なり。亡國の主は、其れ皆甚だ宥せらるる所有るか。故に凡そ人は必ず宥を別ちて然る後知る。宥を別てば則ち能く其の天を全うす。
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呂氏春秋・去尤②人、鈇を亡う者有り。其の鄰の子を意う。其の行歩を視るに鈇を竊むなり。顏色も鈇を竊むなり。言語も鈇を竊むなり。動作態度、為して鈇を竊まざる無きなり。其の谷を相て、其の鈇を得。他日復た其の鄰の子を見るに、動作態度、鈇を竊むに似たる者無し。其の鄰の子、變ずるに非ざるなり。己則ち變ずるなり。變ずる者は他無し。尤せらるる所有ればなり。
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呂氏春秋・謹聽②夫れ堯は惡くんぞ賢を天下に得て舜を試いたる、舜惡くんぞ賢を天下に得て禹を試いたる。之を耳に斷ずるのみ。耳の以て斷ず可きや、性命の情に反るなり。今夫の惑う者は、生命の情に反るを知るに非ず、其の次は五帝・三王の成る所以を觀るを知るに非ざるなり。則ち奚ぞ自ら其の世の可ならざるを知らんや。奚ぞ自ら其の身の逮ばざるを知らんや。太上は之を知り、其の次は其の知らざることを知る。知らざれば則ち問い、能わざれば則ち學ぶ。周の箴に曰く、「夫れ自ら斯を念えば、徳に學ぶこと未だ暮からず。」賢に學び問うは、三代の昌えたる所以なり。知らずして自ら以て知ると為すは、百禍の宗なり。名は徒らには立たず、功は自らには成らず、國は虚しくは存せず、必ず賢者有り。賢者の道は、牟として知り難く、妙にして見難し。故に賢者を見て聳まざれば則ち心に惕かず、心に惕かざれば、則ち之を知ること深からず。深くは賢者の言う所を知らず、不祥焉より大なるは莫し。
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呂氏春秋・去尤④魯に惡き者有り、其の父出でて商咄を見る。反りて其の鄰に告げて曰く、「商咄は吾が子に若かず。」且つ其の子は至惡なり、商咄は至美なり。彼、至美を以て至惡に如かずとするは、愛に尤せらるればなり。故に美の惡なるを知り、惡の美なるを知りて、然る後能く美惡を知る。莊子曰く、「瓦を以て殶ずる者は翔け、鉤を以て殶ずる者は戰き、黃金を以て殶ずる者は殆し。」其の祥は一なり、而るに殆き所有るは、必ず外に重んずる所の者有るなり。外に重んずる所の者有るや、蓋し內に掘し。魯人は外に重んずる有りと謂う可し。
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呂氏春秋・審己⑤越王授に子四人有り。越王の弟を豫と曰う。盡く之を殺して、之が後と為らんと欲す。其の三人を惡りて之を殺す。國人說ばず、大いに上を非る。又其の一人を惡りて之を殺さんと欲す。越王未だ之を聽かず。其の子必ず死せんことを恐れ、國人の豫を逐わんと欲するに因りて、王宮を圍む。越王太息して曰く、「余、豫の言を聽かずして、以て此の難に罹れり。」亦た亡ぶる所以を知らざるなり。