呂氏春秋 / 去尤④
魯有惡者,其父出而見商咄,反而告其鄰曰:“商咄不若吾子矣。”且其子至惡也,商咄至美也。彼以至美不如至惡,尤乎愛也。故知美之惡,知惡之美,然後能知美惡矣。莊子曰:“以瓦殶者翔,以鉤殶者戰,以黃金殶者殆。其祥一也,而有所殆者,必外有所重者也。外有所重者,泄蓋內掘。”魯人可謂外有重矣。
新字:魯有悪者,其父出而見商咄,反而告其鄰曰:“商咄不若吾子矣。”且其子至悪也,商咄至美也。彼以至美不如至悪,尤乎愛也。故知美之悪,知悪之美,然後能知美悪矣。荘子曰:“以瓦殶者翔,以鉤殶者戦,以黄金殶者殆。其祥一也,而有所殆者,必外有所重者也。外有所重者,泄蓋內掘。”魯人可謂外有重矣。
書き下し
魯に惡き者有り、其の父出でて商咄を見る。反りて其の鄰に告げて曰く、「商咄は吾が子に若かず。」且つ其の子は至惡なり、商咄は至美なり。彼、至美を以て至惡に如かずとするは、愛に尤せらるればなり。故に美の惡なるを知り、惡の美なるを知りて、然る後能く美惡を知る。莊子曰く、「瓦を以て殶ずる者は翔け、鉤を以て殶ずる者は戰き、黃金を以て殶ずる者は殆し。」其の祥は一なり、而るに殆き所有るは、必ず外に重んずる所の者有るなり。外に重んずる所の者有るや、蓋し內に掘し。魯人は外に重んずる有りと謂う可し。
現代語訳
魯に醜い子があった。その父が外出して商咄という美男を見た。帰って隣人に告げて言った、「商咄も我が子には及ばない」と。しかしその子はこの上なく醜く、商咄はこの上なく美しい。この父が、この上ない美を、この上ない醜に及ばないとしたのは、愛にとらわれたからである。ゆえに美の中の醜を知り、醜の中の美を知って、はじめて美醜を正しく知ることができる。荘子は言った、「瓦を賭けて射れば伸びやかに当たり、帯金を賭けて射れば怖じ気づき、黄金を賭けて射れば危うい。腕前は同じなのに危ういのは、必ず外に重んじるものがあるからだ。外に重んじるものがあれば、内はつたなくなる」と。魯の父も、外に重んじるものがあったといえる。
解説
この段は、我が子への愛情ゆえに醜い子を美男の商咄より美しいと言った魯の父の話です。愛という感情にとらわれると、美醜の判断さえ狂う。美の中に醜を、醜の中に美を見抜いてこそ真に美醜を知る、と説きます。さらに荘子の言葉を引き、瓦・帯金・黄金と賭けが重くなるほど射手が萎縮する例で、外にこだわりを持つと内なる力が損なわれると重ねます。呂氏春秋は、執着や利害が判断力を鈍らせることを二重に示しました。愛着や利害への過剰なこだわりが冷静な評価を妨げるという洞察は、身内びいきやプレッシャー下の判断ミスを戒める、現代にも通じる教えです。
この章句が説くこと
去尤魯の父商咄偏愛荘子外重内拙