呂氏春秋 / 疑似①
使人大迷惑者,必物之相似也。玉人之所患,患石之似玉者;相劍者之所患,患劍之似吳干者;賢主之所患,患人之博聞辯言而似通者。亡國之主似智,亡國之臣似忠。相似之物,此愚者之所大惑,而聖人之所加慮也。故墨子見歧道而哭之。
新字:使人大迷惑者,必物之相似也。玉人之所患,患石之似玉者;相剣者之所患,患剣之似吳干者;賢主之所患,患人之博聞弁言而似通者。亡国之主似智,亡国之臣似忠。相似之物,此愚者之所大惑,而聖人之所加慮也。故墨子見歧道而哭之。
書き下し
人をして大いに迷惑せしむる者は、必ず物の相似たるものなり。玉人の患うる所は、石の玉に似たる者を患う。劍を相する者の患うる所は、劍の呉干に似たる者を患う。賢主の患うる所は、人の博聞辯言にして通ずるに似たる者を患う。亡國の主は智に似、亡國の臣は忠に似る。相似るの物は、此れ愚者の大いに惑う所にして、聖人の慮を加うる所なり。故に墨子、歧道を見て之を哭す。
現代語訳
人をひどく惑わせるものは、必ず互いに似通ったものである。玉を扱う職人が恐れるのは、玉に似た石である。剣を鑑定する者が恐れるのは、名剣の呉干に似た剣である。賢明な君主が恐れるのは、博識で弁が立ち、物事に通じているように見える人物である。国を滅ぼす君主は賢く見え、国を滅ぼす臣は忠実に見える。互いに似たものは、愚者が大いに惑わされるところであり、聖人が特に慎重に考えるところである。だから墨子は分かれ道を見て泣いたのである。
解説
この篇「疑似」の総論で、本物とよく似た偽物こそが人を最も惑わせると説く一段です。玉に似た石、名剣に似た贋作のように、博識で弁の立つ人物が真に道理に通じた賢者に見えてしまう危うさを挙げ、亡国の君は賢く、亡国の臣は忠に見えると鋭く指摘します。似て非なるものの見分けは愚者を惑わせ、聖人こそ慎重に考える問題だといいます。墨子が分かれ道で泣いたという故事は、わずかな選択の違いが正反対の結果を生むことへの憂いを示します。情報や人物の真偽が入り乱れる現代においても、もっともらしい外見に惑わされず本質を見極める眼の重要さを、この一段は変わらず教えてくれます。
この章句が説くこと
疑似玉と石呉干賢主墨子真偽
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