呂氏春秋 / 審己⑤
越王授有子四人。越王之弟曰豫,欲盡殺之,而為之後。惡其三人而殺之矣,國人不說,大非上。又惡其一人而欲殺之,越王未之聽。其子恐必死,因國人之欲逐豫,圍王宮。越王太息曰:“余不聽豫之言,以罹此難也。”亦不知所以亡也。
新字:越王授有子四人。越王之弟曰予,欲尽殺之,而為之後。悪其三人而殺之矣,国人不説,大非上。又悪其一人而欲殺之,越王未之聴。其子恐必死,因国人之欲逐予,囲王宮。越王太息曰:“余不聴予之言,以罹此難也。”亦不知所以亡也。
書き下し
越王授に子四人有り。越王の弟を豫と曰う。盡く之を殺して、之が後と為らんと欲す。其の三人を惡りて之を殺す。國人說ばず、大いに上を非る。又其の一人を惡りて之を殺さんと欲す。越王未だ之を聽かず。其の子必ず死せんことを恐れ、國人の豫を逐わんと欲するに因りて、王宮を圍む。越王太息して曰く、「余、豫の言を聽かずして、以て此の難に罹れり。」亦た亡ぶる所以を知らざるなり。
現代語訳
越王授には四人の子があった。越王の弟を豫といった。豫はその四人をみな殺して、自分が跡継ぎになろうとした。まずその三人を讒言して殺させた。国人は喜ばず、大いに君主を非難した。さらに残る一人を讒言して殺そうとしたが、越王はこれを聞き入れなかった。その残った子は必ず殺されると恐れ、国人が豫を追い払おうとしているのに乗じて、王宮を囲んだ。越王は嘆息して言った。「私は豫の言を聞かなかったために、この難に遭ったのだ」と。越王もまた滅びる理由を知らないのである。
解説
越王が弟の豫にそそのかされて子を殺し、身を滅ぼしかけた「審己」の逸話です。要点は、越王が禍の真因、すなわち讒言する弟を用い子を殺したことを悟らず、逆に「豫の言を聞かなかったから」と誤って嘆く、原因を取り違えた愚かさです。背景として、豫は王位を狙って甥たちを次々と讒言で葬りました。国人の反発という明白な兆候がありながら、越王は弟を信じ続け、真の原因を見誤りました。現代でも、身近な者の言葉を無批判に信じ、問題の本当の原因を取り違えると、破滅を招くという教訓に通じます。
この章句が説くこと
越王授予讒言後継審己原因
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