呂氏春秋 / 去宥③
鄰父有與人鄰者,有枯梧樹。其鄰之父言梧樹之不善也,鄰人遽伐之。鄰父因請而以為薪。其人不說曰:「鄰者若此其險也,豈可為之鄰哉?」此有所宥也。夫請以為薪與弗請,此不可以疑枯梧樹之善與不善也。齊人有欲得金者,清旦,被衣冠,往鬻金者之所,見人操金,攫而奪之。吏搏而束縛之,問曰:「人皆在焉,子攫人之金,何故?」對吏曰:「殊不見人,徒見金耳。」此真大有所宥也。夫人有所宥者,固以晝為昏,以白為黑,以堯為桀,宥之為敗亦大矣。亡國之主,其皆甚有所宥邪?故凡人必別宥然後知,別宥則能全其天矣。
新字:鄰父有与人鄰者,有枯梧樹。其鄰之父言梧樹之不善也,鄰人遽伐之。鄰父因請而以為薪。其人不説曰:「鄰者若此其険也,豈可為之鄰哉?」此有所宥也。夫請以為薪与弗請,此不可以疑枯梧樹之善与不善也。斉人有欲得金者,清旦,被衣冠,往鬻金者之所,見人操金,攫而奪之。吏搏而束縛之,問曰:「人皆在焉,子攫人之金,何故?」対吏曰:「殊不見人,徒見金耳。」此真大有所宥也。夫人有所宥者,固以昼為昏,以白為黒,以堯為桀,宥之為敗亦大矣。亡国之主,其皆甚有所宥邪?故凡人必別宥然後知,別宥則能全其天矣。
書き下し
人の人と鄰する者有り。枯れたる梧樹有り。其の鄰の父、梧樹の善からざるを言うや、鄰人遽に之を伐る。鄰の父因りて請いて以て薪と為す。其の人悦ばずして曰く、「鄰者此くの若く其れ險なり。豈に之が鄰為る可けんや。」此れ宥せらるる所有るなり。夫れ請いて以て薪と為すと請わざるとは、此を以て枯れたる梧樹の善きと善からざるとを疑う可からざるなり。齊人に金を得んと欲する者有り。清旦、衣冠を被り、金を鬻ぐ者の所に往き、人の金を操るを見て、攫みて之を奪う。吏搏えて之を束縛し、問いて曰く、「人皆焉に在り。子、人の金を攫めるは、何の故ぞ。」吏に對えて曰く、「殊に人を見ず、徒だ金を見るのみ。」此れ真に大いに宥せらるる所有るなり。夫れ人宥せらるる所有る者は、固より晝を以て昏と為し、白を以て黑と為し、堯を以て桀と為す。宥の敗を為すこと亦た大なり。亡國の主は、其れ皆甚だ宥せらるる所有るか。故に凡そ人は必ず宥を別ちて然る後知る。宥を別てば則ち能く其の天を全うす。
現代語訳
隣人を持つある人がいて、その庭に枯れた青桐の木があった。隣家の老人が『あの青桐は不吉だ』と言うと、その人はすぐに切り倒した。すると隣の老人がその木を薪にほしいと頼んだ。木を切った人は不快になり『隣人がこんなに陰険とは。どうして隣り合っていられようか』と言った。これは心が先入観に囚われているのだ。老人が薪にほしいと頼んだかどうかは、枯れた青桐が不吉かどうかの判断とは無関係のはずである。斉に金がほしくてたまらない者がいた。早朝、衣冠を整えて金を売る店へ行き、人が金を手にしているのを見るや、それをつかんで奪い取った。役人が捕らえて縛り『皆が見ている前で、なぜ人の金をつかんだのか』と問うと、彼は『まったく人は目に入らず、ただ金だけが見えたのです』と答えた。これこそ本当にひどく心が囚われた例である。心が囚われた者は、昼を夜と、白を黒と、聖王の堯を暴君の桀と思い込む。囚われが害をなすことは実に大きい。亡国の君主は、みなひどく心が囚われているのではないか。だから人は必ず囚われを取り除いてこそ正しく知ることができ、囚われを除けばその天寿を全うできるのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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呂氏春秋・去尤⑤解は齊人の金を得んと欲すると、秦の墨者の相妒むとに在り。皆尤せらるる所有るなり。老聃は則ち之を得たり。若し木を植えて獨に立ち、必ず俗に合せざれば、則ち何ぞ擴ぐ可けんや。
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呂氏春秋・去尤②人、鈇を亡う者有り。其の鄰の子を意う。其の行歩を視るに鈇を竊むなり。顏色も鈇を竊むなり。言語も鈇を竊むなり。動作態度、為して鈇を竊まざる無きなり。其の谷を相て、其の鈇を得。他日復た其の鄰の子を見るに、動作態度、鈇を竊むに似たる者無し。其の鄰の子、變ずるに非ざるなり。己則ち變ずるなり。變ずる者は他無し。尤せらるる所有ればなり。
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『列子』説符篇人に枯梧の樹有る者あり。其の鄰の父枯梧の樹は不祥なりと言う。其の鄰人遽かにして之を伐る。鄰人の父因りて請いて以て薪と爲す。其の人乃ち悅ばずして曰く、鄰人の父は徒だ薪と爲さんと欲して吾に之を伐らしめしなり。我と鄰たりて、此くの若く其れ險なるは、豈に可ならんや、と。
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呂氏春秋・去尤①世の聽く者は、多く尤せらるる所有り。尤せらるる所有れば、則ち聽くこと必ず悖る。尤せらるる所以の者は故多く、其の要は必ず人の喜ぶ所に因り、與び人の惡む所に因る。東面して望む者は西牆を見ず、南に嚮いて視る者は北方を睹ず。意在る所有ればなり。
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呂氏春秋・去宥①東方の墨者謝子、將に西のかた秦の惠王に見えんとす。惠王、秦の墨者唐姑果に問う。唐姑果、王の謝子に親しむこと、己より賢らんことを恐れ、對えて曰く、「謝子は、東方の辯士なり。其の人と為りや甚だ險にして、將に説に奮めて以て少主を取らんとす。」王因りて怒りを藏して以て之を待つ。謝子至り、王に説く。王聽かず。謝子悦ばず。遂に辭して行る。凡そ言を聽くは、以て善を求むるなり。言う所苟しくも善ならば、少主を取るに奮むと雖も、何ぞ損せん。言う所善ならずんば、少主を取るに奮めずと雖も、何ぞ益せん。善を以て之を愨と為さずして、徒だ少主を取るを以て之を悖れりと為すは、惠王、聽を為す所以を失うなり。志を用うること是くの若くんば、客を見て勞すと雖も、耳目弊すと雖も、猶ほ謂う所を得ざるなり。此れ史定の其の邪を行うを得し所以なり。此れ史定の鬼を飾るに人を以てし、不辜を罪殺するを得し所以なり。群臣擾亂し、國幾ど大いに危きなり。人の老ゆるや、形益々衰えて、智益々盛んなり。今惠王の老ゆるや、形と智と皆衰えたるか。
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『列子』説符篇人に鈇を亡う者有り。其の鄰の子を意う。其の行步を視るに、鈇を竊めるなり。顏色も、鈇を竊めるなり。言語も、鈇を竊めるなり。動作態度、爲すとして鈇を竊まざるは無きなり。俄かにして其の谷を抇りて其の鈇を得たり。他日復た其の鄰人の子を見るに、動作態度に鈇を竊める者に似たる無し。