呂氏春秋 / 精諭⑥
晉襄公使人於周曰:「弊邑寡君寢疾,卜以守龜曰:『三塗為祟。』弊邑寡君使下臣願藉途而祈福焉。」天子許之。朝,禮使者事畢,客出。萇弘謂劉康公曰:「夫祈福於三塗,而受禮於天子,此柔嘉之事也,而客武色,殆有他事,願公備之也。」劉康公乃儆戎車卒士以待之。晉果使祭事先,因令楊子將卒十二萬而隨之,涉於棘津,襲聊阮、梁、蠻氏,滅三國焉。此形名不相當,聖人之所察也,萇弘則審矣。故言不足以斷小事,唯知言之謂者可為。
新字:晉襄公使人於周曰:「弊邑寡君寝疾,卜以守亀曰:『三塗為祟。』弊邑寡君使下臣願藉途而祈福焉。」天子許之。朝,礼使者事畢,客出。萇弘謂劉康公曰:「夫祈福於三塗,而受礼於天子,此柔嘉之事也,而客武色,殆有他事,願公備之也。」劉康公乃儆戎車卒士以待之。晉果使祭事先,因令楊子将卒十二万而随之,渉於棘津,襲聊阮、梁、蠻氏,滅三国焉。此形名不相当,聖人之所察也,萇弘則審矣。故言不足以断小事,唯知言之謂者可為。
書き下し
晉の襄公、人を周に使わして曰く、「弊邑の寡君、疾に寝ね、卜するに守龜を以てせしに、曰えらく、『三塗祟を為す。』弊邑の寡君、下臣をして途を籍りて福いを祈ることを願わしむ。」天子之を許し、朝して使者を禮す。事畢わりて客出づ。萇弘、劉康公に謂いて曰く、「夫れ福いを三塗に祈りて、禮を天子に受く。此れ柔嘉の事なり。而るに客に武色あり。殆ど他事有らん。願わくは公之に備えよ。」劉康公乃ち戎車卒士を儆めて以て之を待たしむ。晉果して祭事をして先だたしめ、因りて楊子をして卒十二萬を将いて之に隨い、棘津を渉り、聊阮・梁・蠻氏を襲わしめ、三國を滅ぼせり。此れ形名の相當たらざるは、聖人の察する所なり。萇弘は則ち審らかなり。故に言は以て事を斷ずるに足らず、唯だ言の謂を知る者のみ可と為す。
現代語訳
晋の襄公が使者を周に遣わして言わせた、「我が君が病に伏し、亀甲で占うと『三塗の山が祟りをなす』と出ました。我が君は、道をお借りして福を祈りたいと願っております。」天子はこれを許し、朝廷で使者をもてなした。用が済んで使者が退出した。萇弘が劉康公に言った、「そもそも三塗で福を祈り、天子に礼遇を受けるのは穏やかな事柄です。それなのに使者には殺気立った顔色がある。おそらく別の狙いがあります。どうか備えてください。」劉康公は兵車と兵士を警戒させて待ち構えさせた。晋は果たして祭祀の一行を先に立て、続いて楊子に十二万の兵を率いさせてその後に従わせ、棘津を渡り、聊阮・梁・蛮氏を襲い、三国を滅ぼした。この名目と実態の食い違いは聖人が見抜くところであり、萇弘は明察であった。だから言葉だけでは事を判断するに足りず、ただ言葉の真意を知る者だけが判断できるのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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呂氏春秋・驕恣②晉の厲公、侈淫にして、好んで讒人に聽く。盡く其の大臣を去りて、其の左右を立てんと欲す。胥童、厲公に謂いて曰く、「必づ先づ三郤を殺せ。族の大にして怨み多し,大族を去れば偪られず。」公曰く、「諾。」乃ち長魚矯をして郤犨・郤錡・郤至を朝に殺して、其の尸を陳ねしむ。是に於て厲公、匠麗氏に遊び、欒書・中行偃、劫して之を幽す。諸侯之を救うもの莫く、百姓之を哀れむもの莫し。三月にして之を殺せり。人主の患いは、患い能く人を害うことを知りて、人を害うことの當らざれば反って自らに及ぶことを知らざるに在り。是れ何ぞや。智短なればなり。智短なれば則ち化を知らず。化を知らざれば、舉自ら危うし。
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呂氏春秋・召類⑤趙簡子將に衛を襲わんとし、史默をして往きて之を睹しむ。期するに一月を以てせしに、六月にして後反る。趙簡子曰く、「何ぞ其れ久しきや。」史默曰く、「利を謀りて害を得ば、猶ほ察せざるがごときなり。今蘧伯玉、相と為り、史鰌、焉を佐け、孔子、客と為り、子貢は君前に使令し、甚だ聽かる。易に曰く、『其の羣を渙らす、元吉なり。』渙らすは賢なり。羣は衆なり。元は吉の始めなり。其の羣を渙らす、元吉なりとは、其の佐に賢多きなり。」趙簡子、兵を按じて動かず。凡そ謀るは、疑わしければなり。疑えば則ち義に從いて事を斷ず。義に從いて事を斷ずれば則ち謀虧かず。謀虧かざれば則ち名實之に從う。賢主の舉や、豈に必ずしも旗僨れ將斃れて、乃ち勝敗を知らんや。其の理を察して得失榮辱定まる。故に三代の貴き所は、賢に若くは莫きなり。
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呂氏春秋・精諭⑤齊の桓公、諸侯を合するや、衛人後れて至る。公、朝して管仲と衛を伐たんことを謀る。朝を退きて入る。衛姬、君を望見し、堂を下りて再拜し、衛君の罪を請う。公曰く、「吾、衛に於いて故無し。子曷為れぞ請う。」對えて曰く、「妾、君の入るを望むや、足高く氣彊し。國を伐つの志有るなり。妾を見て動色有り。衛を伐つなり。」明日、君朝し、管仲を揖して之を進む。管仲曰く、「君、衛を舎すか。」公曰く、「仲父安んぞ之を識る。」管仲曰く、「君の朝に揖するや恭にして、言うや徐なり。臣を見て慚色有り。臣是を以て之を知る。」君曰く、「善し。仲父、外を治め、夫人、內を治む。寡人、終に諸侯の笑いと為らざるを知る。」桓公の匿す所以の者は不言なり。今管子は乃ち容貌音聲を以てし、夫人は乃ち行歩氣志を以てす。桓公言わずと雖も、暗夜にして燭の燎ゆるが若きなり。
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説苑・正諫魯の襄公荊に朝し、淮に至り、荊の康王卒すと聞き、公還らんと欲す。叔仲昭伯曰わく、「君の来たるや、其の威の為なり。今其の王死すとも、其の威未だ去らず、何為れぞ還らん」と。大夫皆還らんと欲す。子服景伯曰わく、「子の来たるや、国家の利の為なり。故に勤労を憚らず、道塗を遠しとせずして、荊に聴くは、其の威を畏るればなり。夫れ義人は、固より将に其の喜びを慶し其の憂いを弔わんとす。況んや畏れて聘する者をや。畏れて往くと聞き、喪を聞きて還らば、其れ誰か非を侮ると曰わざらんや。𦬒姓は是れ嗣王にして、太子又長ぜり。執政未だ易わらず、君に事えて政を任ずるに、其の侮を説かんことを求め、以て嗣君を定め、以て後人に示さば、其の讎滋々大ならん。以て小国を戦わば、其れ誰か能く之を止めん。若し君に従いて患いを致さば、君に違いて難を避くるに若かず。且つ君子は計りて而る後に行う、二三子其れ計れるか。楚を御するの術有り、国を守るの備有らば、則ち可なり。若し未だ有らずんば、行くに如かず」と。乃ち遂に行く。
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呂氏春秋・重言④齊の桓公、管仲と莒を伐たんことを謀る。謀未だ發せずして國に聞こゆ。桓公之を怪しみて曰く、「仲父と莒を伐たんことを謀るに、謀未だ發せずして國に聞こえたり。其の故は何ぞや。」管仲曰く、「國に必ず聖人有るなり。」桓公曰く、「譆、日の役者に、蹠𤹇を執りて上視する者有り。意うに、其れ是れか。」乃ち復た役せしめ、相代わるを得る無からしむ。少頃にして、東郭牙至る。管仲曰く、「此れ必ず是れなるのみ。」乃ち賓者をして之を延きて上せしめ、級を分かちて立つ。管子曰く、「子か、莒を伐つことを言いし者は。」對えて曰く、「然り。」管仲曰く、「我、莒を伐つことを言わざるに、子、何の故に莒を伐つを言える。」對えて曰く、「臣聞く、君子は善く謀り、小人は善く意う、と。臣竊かに之を意うなり。」管仲曰く、「我、莒を伐つを言わざるに、子、何を以て之を意える。」對えて曰く、「臣聞く、君子に三色有り。顯然として喜樂する者は、鐘鼓の色なり。湫然として清靜する者は、衰絰の色なり。艴然として充盈し、手足矜う者は、兵革の色なり、と。日者に臣、君の臺上に在るを望むに、艴然として充盈し、手足矜えるは、此れ兵革の色なり。君呿いて唫じず。言う所の者は莒なり。君、臂を舉げて指す。當たる所の者は莒なり。臣竊かに以て諸侯の服せざる者を慮るに、其れ惟だ莒か。臣故に之を言えり。」凡そ耳の聞くは聲を以てするなり。今其の聲を聞かずして、其の容と臂とを以てす。是れ東郭牙、耳を以て聽かずして聞くなり。桓公・管仲、善く匿すと雖も、隱すこと能わず。故に聖人は無聲に聽き、無形を視る。詹何・田子方・老耽是れなり。
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呂氏春秋・悔過②昔秦の繆公、師を興して以て鄭を襲わんとす。蹇叔諫めて曰く、「不可なり。臣之を聞く、國邑を襲うには、車を以て百里を過ぎず、人を以て三十里を過ぎず、と。皆其の氣の趫なると力の盛なるとを以て至ればなり。是を以て敵を犯せば能く滅ぼし、之を去れば能く速やかなり。今數千里を行き、又諸侯の地を絶ちて以て國を襲う。臣其の可なるを知らざるなり。君其れ重ねて之を圖れ。」繆公聽かず。蹇叔、師を門外に送りて哭して曰く、「師や、其の出づるを見るも、其の入るを見ざらん。」蹇叔に子有り、申と視と曰う。師と偕に行く。蹇叔、其の子に謂いて曰く、「晉若し師を遏めば必ず殽に於いてせん。女死するや南方の阜に於いてせず、必ず北方の阜に於いてせよ。吾女を尸することの易きが為なり。」繆公之を聞き、人をして蹇叔を讓めしめて曰く、「寡人、師を興す、未だ何如なるかを知らず。今哭して之を送る、是れ吾が師を哭するなり。」蹇叔對えて曰く、「臣敢て師を哭せざるなり。臣老いたり、子二人有り。皆師と與に行く。其の反る比、彼死するに非ざれば、則ち臣必ずや死せん。是の故に哭す。」師行きて周を過ぐ。王孫滿、門を要じて之を窺い、曰く、「嗚呼。是の師必ず疵つくこと有らん。若し疵つくこと無ければ、吾復た道を言わず。夫れ秦は他に非ず、周室の國を建つるなり。天子の城を過ぐるや、宜しく甲を橐にし兵を束ね、左右皆下り、以て天子の為に禮すべし。今袀服回建し、左の軾せずして、右の超乘する者五百乘。力は則ち多し、然れども禮寡し。安くんぞ疵つくこと無きを得ん。」師、周を過ぎて東す。鄭の賈人弦高・奚施將に西のかた周に市せんとし、道に秦の師に遇う、曰く、「嘻、師の從りて來たる所の者遠し。此れ必ず鄭を襲わん。」遽かに奚施をして歸り告げしめ、乃ち鄭伯の命を矯りて以て之を勞らい、曰く、「寡君固より大國の將に至らんとするを聞くこと久し。大國至らず、寡君、士卒と竊かに大國の為に憂え、日に與る所無し。惟だ士卒の罷弊すると、糗糧の匱乏するとを恐る。何ぞ其れ久しきや。人臣をして犒勞するに璧を以てし、膳するに十二牛を以てす。」秦の三帥對えて曰く、「寡君の使うもの無きや、其の三臣、丙や術や視をして東邊に於いて㬐の道を候わしむ。是を過ぐるに以て迷惑し、大國の地に陷入す。敢て固辭せず。再拜稽首して之を受けん」。三帥乃ち懼れて謀りて曰く、「我數千里を行き、數々諸侯の地を絶ぎ、以て人を襲わんとす。未だ至らずして、人已に先づ之を知る。此れ其の備え必ずや已に盛ならん。」師を還して之を去る。是の時に當りて、晉の文公適々薨じ、未だ葬らず。先軫、襄公に言いて曰く、「秦の師、撃たざる可からず。臣請う、之を撃たん。」襄公曰く、「先君薨じ、尸は堂に在り。秦の師を見て、利として因りて之を撃つは、乃ち人の子為るの道に非ざること無からんか。」先軫曰く、「吾が喪に弔せず、吾が哀に憂えず。是れ吾が君を死せりとして其の孤を弱とするなり。是くの若くして撃たば、大いに彊つ可し。臣請う之を撃たん。」襄公已むを得ずして之を許す。先軫、秦の師を殽に遏めて之を撃ち、大いに之を敗り、其の三帥を獲て以て歸る。繆公之を聞き、素服して廟臨し、以て衆に説きて曰く、「天は秦國の為にせず。寡人をして蹇叔の諫を用いず、以て此の患いに至らしむ。」此れ繆公は殽に敗るるを欲するに非ざるなり。智至らざるなり。智至らざれば則ち信ぜず。言の信ぜられざると、師の反らざるとは、此れ從り生ず。故に至らざるの害為るや大なり。