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呂氏春秋 / 悔過②

昔秦繆公興師以襲鄭,蹇叔諫曰:“不可。臣聞之,襲國邑,以車不過百里,以人不過三十里,皆以其氣之趫與力之盛,至,是以犯敵能滅,去之能速。今行數千里、又絕諸侯之地以襲國,臣不知其可也。君其重圖之。”繆公不聽也。蹇叔送師於門外而哭曰:“師乎!見其出而不見其入也。”蹇叔有子曰申與視,與師偕行。蹇叔謂其子曰:“晉若遏師必於殽。女死不於南方之岸,必於北方之岸,為吾尸女之易。”繆公聞之,使人讓蹇叔曰:“寡人興師,未知何如?今哭而送之,是哭吾師也。”蹇叔對曰:“臣不敢哭師也。臣老矣,有子二人,皆與師行,比其反也,非彼死則臣必死矣,是故哭。”師行過周,王孫滿要門而窺之,曰:“嗚呼!是師必有疵。若無疵,吾不復言道矣。夫秦非他,周室之建國也。過天子之城,宜橐甲束兵,左右皆下,以為天子禮。今袀服回建,左不軾,而右之超乘者五百乘,力則多矣,然而寡禮,安得無疵?”師過周而東。鄭賈人弦高、奚施將西市於周,道遇秦師,曰:“嘻!師所從來者遠矣,此必襲鄭。”遽使奚施歸告,乃矯鄭伯之命以勞之,曰:“寡君固聞大國之將至久矣。大國不至,寡君與士卒竊為大國憂,日無所與焉,惟恐士卒罷弊與糗糧匱乏。何其久也,使人臣犒勞以璧,膳以十二牛。” 秦三帥對曰:“寡君之無使也,使其三臣丙也、秫也、視也於東邊候㬐之道,過是,以迷惑陷入大國之地。”不敢固辭,再拜稽首受之。三帥乃懼而謀曰:“我行數千里、數絕諸侯之地以襲人,未至而人已先知之矣,此其備必已盛矣。”還師去之。當是時也,晉文公適薨,未葬。先軫言於襄公,曰:“秦師不可不擊也,臣請擊之。”襄公曰:“先君薨,尸在堂,見秦師利而因擊之,無乃非為人子之道歟?”先軫曰:“不弔吾喪,不憂吾哀,是死吾君而弱其孤也。若是而擊,可大彊。臣請擊之。”襄公不得已而許之。先軫遏秦師於殽而擊之,大敗之,獲其三帥以歸。繆公聞之,素服廟臨,以說於眾曰:“天不為秦國,使寡人不用蹇叔之諫,以至於此患。”此繆公非欲敗於殽也,智不至也。智不至則不信。言之不信,師之不反也從此生,故不至之為害大矣。

新字:昔秦繆公興師以襲鄭,蹇叔諫曰:“不可。臣聞之,襲国邑,以車不過百里,以人不過三十里,皆以其気之趫与力之盛,至,是以犯敵能滅,去之能速。今行数千里、又絶諸侯之地以襲国,臣不知其可也。君其重図之。”繆公不聴也。蹇叔送師於門外而哭曰:“師乎!見其出而不見其入也。”蹇叔有子曰申与視,与師偕行。蹇叔謂其子曰:“晉若遏師必於殽。女死不於南方之岸,必於北方之岸,為吾尸女之易。”繆公聞之,使人譲蹇叔曰:“寡人興師,未知何如?今哭而送之,是哭吾師也。”蹇叔対曰:“臣不敢哭師也。臣老矣,有子二人,皆与師行,比其反也,非彼死則臣必死矣,是故哭。”師行過周,王孫満要門而窺之,曰:“嗚呼!是師必有疵。若無疵,吾不復言道矣。夫秦非他,周室之建国也。過天子之城,宜橐甲束兵,左右皆下,以為天子礼。今袀服回建,左不軾,而右之超乗者五百乗,力則多矣,然而寡礼,安得無疵?”師過周而東。鄭賈人弦高、奚施将西市於周,道遇秦師,曰:“嘻!師所従来者遠矣,此必襲鄭。”遽使奚施歸告,乃矯鄭伯之命以労之,曰:“寡君固聞大国之将至久矣。大国不至,寡君与士卒竊為大国憂,日無所与焉,惟恐士卒罷弊与糗糧匱乏。何其久也,使人臣犒労以璧,膳以十二牛。” 秦三帥対曰:“寡君之無使也,使其三臣丙也、秫也、視也於東辺候㬐之道,過是,以迷惑陥入大国之地。”不敢固辞,再拝稽首受之。三帥乃懼而謀曰:“我行数千里、数絶諸侯之地以襲人,未至而人已先知之矣,此其備必已盛矣。”還師去之。当是時也,晉文公適薨,未葬。先軫言於襄公,曰:“秦師不可不擊也,臣請擊之。”襄公曰:“先君薨,尸在堂,見秦師利而因擊之,無乃非為人子之道歟?”先軫曰:“不弔吾喪,不憂吾哀,是死吾君而弱其孤也。若是而擊,可大彊。臣請擊之。”襄公不得已而許之。先軫遏秦師於殽而擊之,大敗之,獲其三帥以歸。繆公聞之,素服廟臨,以説於眾曰:“天不為秦国,使寡人不用蹇叔之諫,以至於此患。”此繆公非欲敗於殽也,智不至也。智不至則不信。言之不信,師之不反也従此生,故不至之為害大矣。

書き下し

昔秦の繆公、師を興して以て鄭を襲わんとす。蹇叔諫めて曰く、「不可なり。臣之を聞く、國邑を襲うには、車を以て百里を過ぎず、人を以て三十里を過ぎず、と。皆其の氣の趫なると力の盛なるとを以て至ればなり。是を以て敵を犯せば能く滅ぼし、之を去れば能く速やかなり。今數千里を行き、又諸侯の地を絶ちて以て國を襲う。臣其の可なるを知らざるなり。君其れ重ねて之を圖れ。」繆公聽かず。蹇叔、師を門外に送りて哭して曰く、「師や、其の出づるを見るも、其の入るを見ざらん。」蹇叔に子有り、申と視と曰う。師と偕に行く。蹇叔、其の子に謂いて曰く、「晉若し師を遏めば必ず殽に於いてせん。女死するや南方の阜に於いてせず、必ず北方の阜に於いてせよ。吾女を尸することの易きが為なり。」繆公之を聞き、人をして蹇叔を讓めしめて曰く、「寡人、師を興す、未だ何如なるかを知らず。今哭して之を送る、是れ吾が師を哭するなり。」蹇叔對えて曰く、「臣敢て師を哭せざるなり。臣老いたり、子二人有り。皆師と與に行く。其の反る比、彼死するに非ざれば、則ち臣必ずや死せん。是の故に哭す。」師行きて周を過ぐ。王孫滿、門を要じて之を窺い、曰く、「嗚呼。是の師必ず疵つくこと有らん。若し疵つくこと無ければ、吾復た道を言わず。夫れ秦は他に非ず、周室の國を建つるなり。天子の城を過ぐるや、宜しく甲を橐にし兵を束ね、左右皆下り、以て天子の為に禮すべし。今袀服回建し、左の軾せずして、右の超乘する者五百乘。力は則ち多し、然れども禮寡し。安くんぞ疵つくこと無きを得ん。」師、周を過ぎて東す。鄭の賈人弦高・奚施將に西のかた周に市せんとし、道に秦の師に遇う、曰く、「嘻、師の從りて來たる所の者遠し。此れ必ず鄭を襲わん。」遽かに奚施をして歸り告げしめ、乃ち鄭伯の命を矯りて以て之を勞らい、曰く、「寡君固より大國の將に至らんとするを聞くこと久し。大國至らず、寡君、士卒と竊かに大國の為に憂え、日に與る所無し。惟だ士卒の罷弊すると、糗糧の匱乏するとを恐る。何ぞ其れ久しきや。人臣をして犒勞するに璧を以てし、膳するに十二牛を以てす。」秦の三帥對えて曰く、「寡君の使うもの無きや、其の三臣、丙や術や視をして東邊に於いて㬐の道を候わしむ。是を過ぐるに以て迷惑し、大國の地に陷入す。敢て固辭せず。再拜稽首して之を受けん」。三帥乃ち懼れて謀りて曰く、「我數千里を行き、數々諸侯の地を絶ぎ、以て人を襲わんとす。未だ至らずして、人已に先づ之を知る。此れ其の備え必ずや已に盛ならん。」師を還して之を去る。是の時に當りて、晉の文公適々薨じ、未だ葬らず。先軫、襄公に言いて曰く、「秦の師、撃たざる可からず。臣請う、之を撃たん。」襄公曰く、「先君薨じ、尸は堂に在り。秦の師を見て、利として因りて之を撃つは、乃ち人の子為るの道に非ざること無からんか。」先軫曰く、「吾が喪に弔せず、吾が哀に憂えず。是れ吾が君を死せりとして其の孤を弱とするなり。是くの若くして撃たば、大いに彊つ可し。臣請う之を撃たん。」襄公已むを得ずして之を許す。先軫、秦の師を殽に遏めて之を撃ち、大いに之を敗り、其の三帥を獲て以て歸る。繆公之を聞き、素服して廟臨し、以て衆に説きて曰く、「天は秦國の為にせず。寡人をして蹇叔の諫を用いず、以て此の患いに至らしむ。」此れ繆公は殽に敗るるを欲するに非ざるなり。智至らざるなり。智至らざれば則ち信ぜず。言の信ぜられざると、師の反らざるとは、此れ從り生ず。故に至らざるの害為るや大なり。

現代語訳

昔、秦の繆公が軍を起こして鄭を襲おうとした。蹇叔は『いけません。国邑を襲うには戦車で百里、徒歩で三十里を超えないと聞きます。兵の気力体力が充実したまま到達してこそ、敵を滅ぼし素早く退けるのです。今、数千里を進み諸侯の地を越えて他国を襲うなど、成算がありません。どうか再考を』と諫めたが、繆公は聞かなかった。蹇叔は軍を門外に見送って『軍よ、出て行くのは見えるが、帰るのは見えまい』と哭した。従軍する二子には『晋が迎え撃つなら必ず殽だ。お前が死ぬなら北の丘で死ね。遺体を収めやすいように』と告げた。繆公はこれを咎めたが、蹇叔は『軍を哭したのではなく、二子との別れを哭したのだ』と答えた。軍が周を通ると、王孫滿は門から窺い『この軍は必ず失敗する。天子の城を過ぎるなら武具を収め礼を尽くすべきなのに、軍装のまま無礼で、車から飛び乗る者が五百乗もいる。力はあっても礼がない。これで失敗せぬはずがない』と評した。鄭の商人弦高と奚施は周へ商いに行く途中で秦軍に出会い、『これは鄭を襲うに違いない』と察して奚施を帰らせて知らせ、弦高は鄭伯の命と偽って牛十二頭と璧で秦軍をねぎらった。秦の三将は『我らは晋の道を偵察していて迷い込んだ』と取り繕い、贈り物を受けたが、『まだ着かぬうちに露見した、備えは万全だろう』と恐れて軍を引き返した。折しも晋の文公が薨じて未葬だった。先軫は襄公に『秦軍を撃つべきです』と進言したが、襄公は喪中の出兵をためらった。先軫は『秦は我が喪を弔わず、我が君を侮り新君を軽んじている。今撃てば大勝できる』と説き、襄公はやむなく許した。先軫は殽で秦軍を迎え撃って大破し、三将を捕らえて帰った。繆公はこれを聞くと喪服で廟に臨み、人々に『天が秦を助けなかった。私が蹇叔の諫めを用いず、この禍を招いた』と述べた。繆公は殽で敗れたかったのではなく、知恵が及ばなかったのだ。知恵が及ばねば忠言を信じない。忠言を信じないことと軍が帰らないこととは、ここから生じる。だから知恵の及ばぬことの害は大きいのである。

解説

秦の繆公が蹇叔の諫めを退けて鄭を遠征し、殽で全軍を失った故事です。遠征の無理を見抜いた蹇叔、無礼を見た王孫滿、機転で急を知らせた鄭の商人弦高、喪中に決断した晋の先軫と、各人の判断が対比されます。繆公は愚かなのではなく、知恵がその一点に及ばなかった。及ばないがゆえに忠言を信じられなかったのです。過ちを悔いて認める繆公の姿は、失敗の責任を自らに引き受ける態度を示し、認識の限界と傾聴の大切さを現代の意思決定に教えます。

この章句が説くこと

秦繆公蹇叔殽の戦い弦高先軫智不至

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