呂氏春秋 / 驕恣②
晉厲公侈淫,好聽讒人,欲盡去其大臣而立其左右。胥童謂厲公曰:「必先殺三郤。族大多怨,去大族不偪。」公曰:「諾。」乃使長魚矯殺郤犨、郤錡、郤至于朝而陳其尸。於是厲公遊于匠麗氏,欒書、中行偃劫而幽之,諸侯莫之救,百姓莫之哀,三月而殺之。人主之患,患在知能害人,而不知害人之不當而反自及也。是何也?智短也。智短則不知化,不知化者舉自危。
新字:晉厲公侈淫,好聴讒人,欲尽去其大臣而立其左右。胥童謂厲公曰:「必先殺三郤。族大多怨,去大族不偪。」公曰:「諾。」乃使長魚矯殺郤犨、郤錡、郤至于朝而陳其尸。於是厲公遊于匠麗氏,欒書、中行偃劫而幽之,諸侯莫之救,百姓莫之哀,三月而殺之。人主之患,患在知能害人,而不知害人之不当而反自及也。是何也?智短也。智短則不知化,不知化者舉自危。
書き下し
晉の厲公、侈淫にして、好んで讒人に聽く。盡く其の大臣を去りて、其の左右を立てんと欲す。胥童、厲公に謂いて曰く、「必づ先づ三郤を殺せ。族の大にして怨み多し,大族を去れば偪られず。」公曰く、「諾。」乃ち長魚矯をして郤犨・郤錡・郤至を朝に殺して、其の尸を陳ねしむ。是に於て厲公、匠麗氏に遊び、欒書・中行偃、劫して之を幽す。諸侯之を救うもの莫く、百姓之を哀れむもの莫し。三月にして之を殺せり。人主の患いは、患い能く人を害うことを知りて、人を害うことの當らざれば反って自らに及ぶことを知らざるに在り。是れ何ぞや。智短なればなり。智短なれば則ち化を知らず。化を知らざれば、舉自ら危うし。
現代語訳
晋の厲公は奢侈で淫らで、讒言する者を好んで聴き、大臣をことごとく除いて側近を立てようとした。胥童は厲公に言った、「まず三郤を殺しなさい。一族が大きく怨みも多い。大族を除けば脅かされません」。公は「よし」と言った。そこで長魚矯に郤犨・郤錡・郤至を朝廷で殺させ、その屍を並べさせた。すると厲公が匠麗氏の所で遊んでいるとき、欒書・中行偃が彼を捕らえて幽閉した。諸侯も救わず、民も哀れまず、三月後に彼を殺した。君主の患いは、人を害することができるのを知って、人を害するのが不当であればかえって自分に及ぶことを知らないことにある。それはなぜか。知恵が浅いからだ。知恵が浅ければ変化を知らず、変化を知らない者はすべて自ら危うくなる。
解説
この章句が説くこと
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