呂氏春秋 / 重言④
齊桓公與管仲謀伐莒,謀未發而聞於國,桓公怪之曰:「與仲父謀伐莒,謀未發而聞於國,其故何也?」管仲曰:「國必有聖人也。」桓公曰:「譆!日之役者,有執蹠𤹇而上視者,意者其是邪?」乃令復役,無得相代。少頃,東郭牙至。管仲曰:「此必是已。」乃令賓者延之而上,分級而立。管子曰:「子邪言伐莒者?」對曰:「然。」管仲曰:「我不言伐莒,子何故言伐莒?」對曰:「臣聞君子善謀,小人善意。臣竊意之也。」管仲曰:「我不言伐莒,子何以意之?」對曰:「臣聞君子有三色:顯然喜樂者,鐘鼓之色也;湫然清靜者,衰絰之色也;艴然充盈,手足矜者,兵革之色也。日者臣望君之在臺上也,艴然充盈,手足矜者,此兵革之色也。君呿而不吟,所言者『莒』也;君舉臂而指,所當者莒也。臣竊以慮諸侯之不服者,其惟莒乎。臣故言之。」凡耳之聞以聲也,今不聞其聲,而以其容與臂,是東郭牙不以耳聽而聞也。桓公、管仲雖善匿,弗能隱矣。故聖人聽於無聲,視於無形,詹何、田子方、老耽是也。
新字:斉桓公与管仲謀伐莒,謀未発而聞於国,桓公怪之曰:「与仲父謀伐莒,謀未発而聞於国,其故何也?」管仲曰:「国必有聖人也。」桓公曰:「譆!日之役者,有執蹠𤹇而上視者,意者其是邪?」乃令復役,無得相代。少頃,東郭牙至。管仲曰:「此必是已。」乃令賓者延之而上,分級而立。管子曰:「子邪言伐莒者?」対曰:「然。」管仲曰:「我不言伐莒,子何故言伐莒?」対曰:「臣聞君子善謀,小人善意。臣竊意之也。」管仲曰:「我不言伐莒,子何以意之?」対曰:「臣聞君子有三色:顕然喜楽者,鐘鼓之色也;湫然清静者,衰絰之色也;艴然充盈,手足矜者,兵革之色也。日者臣望君之在台上也,艴然充盈,手足矜者,此兵革之色也。君呿而不吟,所言者『莒』也;君舉臂而指,所当者莒也。臣竊以慮諸侯之不服者,其惟莒乎。臣故言之。」凡耳之聞以声也,今不聞其声,而以其容与臂,是東郭牙不以耳聴而聞也。桓公、管仲雖善匿,弗能隠矣。故聖人聴於無声,視於無形,詹何、田子方、老耽是也。
書き下し
齊の桓公、管仲と莒を伐たんことを謀る。謀未だ發せずして國に聞こゆ。桓公之を怪しみて曰く、「仲父と莒を伐たんことを謀るに、謀未だ發せずして國に聞こえたり。其の故は何ぞや。」管仲曰く、「國に必ず聖人有るなり。」桓公曰く、「譆、日の役者に、蹠𤹇を執りて上視する者有り。意うに、其れ是れか。」乃ち復た役せしめ、相代わるを得る無からしむ。少頃にして、東郭牙至る。管仲曰く、「此れ必ず是れなるのみ。」乃ち賓者をして之を延きて上せしめ、級を分かちて立つ。管子曰く、「子か、莒を伐つことを言いし者は。」對えて曰く、「然り。」管仲曰く、「我、莒を伐つことを言わざるに、子、何の故に莒を伐つを言える。」對えて曰く、「臣聞く、君子は善く謀り、小人は善く意う、と。臣竊かに之を意うなり。」管仲曰く、「我、莒を伐つを言わざるに、子、何を以て之を意える。」對えて曰く、「臣聞く、君子に三色有り。顯然として喜樂する者は、鐘鼓の色なり。湫然として清靜する者は、衰絰の色なり。艴然として充盈し、手足矜う者は、兵革の色なり、と。日者に臣、君の臺上に在るを望むに、艴然として充盈し、手足矜えるは、此れ兵革の色なり。君呿いて唫じず。言う所の者は莒なり。君、臂を舉げて指す。當たる所の者は莒なり。臣竊かに以て諸侯の服せざる者を慮るに、其れ惟だ莒か。臣故に之を言えり。」凡そ耳の聞くは聲を以てするなり。今其の聲を聞かずして、其の容と臂とを以てす。是れ東郭牙、耳を以て聽かずして聞くなり。桓公・管仲、善く匿すと雖も、隱すこと能わず。故に聖人は無聲に聽き、無形を視る。詹何・田子方・老耽是れなり。
現代語訳
斉の桓公が管仲と莒を討つ相談をした。計画はまだ発表していないのに国中に知れ渡った。桓公は不審に思い、「仲父と莒を討つ相談をしたのに、まだ発表していないのに国中に伝わっている。なぜだ」と言った。管仲は「国に必ず聖人がいるのです」と答えた。桓公は「ああ、先日の労役者に、鋤を突き立てて上を見上げていた者がいた。思うにあの者か」と言い、その者たちを再び働かせ、交代させないようにした。しばらくして東郭牙が現れた。管仲は「必ずこの者だ」と言い、案内役に招き入れさせ、階段を隔てて立った。管仲は「あなたか、莒を討つと言った者は」と問うと、「そうです」と答えた。「私は莒を討つと言っていないのに、なぜ莒を討つと言ったのか」と問うと、「君子は善く謀り、小人は善く推し量ると聞きます。私はひそかに推量したのです」と答えた。「私が莒を討つと言っていないのに、どうして推量したのか」と問うと、答えた、「君子には三つの顔色があると聞きます。晴れやかに喜ぶのは音楽の顔色、しんみり静かなのは喪の顔色、色をなして満ち、手足が震えるのは戦の顔色です。先日、君が台上におられるのを見ると、色をなして満ち手足が震えていた。これは戦の顔色でした。君が口を開いて閉じないとき発する語は莒でした。君が腕を上げて指す先は莒でした。私はひそかに諸侯で服従しない者を考え、それは莒だけだと。だから申したのです。」およそ耳が聞くのは音声によってである。今その声を聞かずに、表情と腕で察した。これは東郭牙が耳で聞かずに聞き取ったのである。桓公と管仲はうまく隠したつもりでも、隠しきれなかった。だから聖人は声なきところに聞き、形なきところに見る。詹何・田子方・老耽がそれである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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呂氏春秋・贊能②管子は束縛せられて魯に在り。桓公、鮑叔を相にせんと欲す。鮑叔曰く、「吾が君、霸王たらんと欲すれば、則ち管夷吾、彼に在り。臣は若かざるなり。」桓公曰く、「夷吾は寡人の賊なり。我を射し者なり。不可なり。」鮑叔曰く、「夷吾は其の君の為に人を射し者なり。君若し得て之を臣とせば、則ち彼も亦た將に君の為に人を射んとせん。」桓公聽かず、強いて鮑叔を相とせんとす。固く辭して相を讓る,桓公果して之を聽く。是に於てか人をして魯に告げしめて曰く、「管夷吾は寡人の讎なり。願わくば之を得て親ら手を加えん。」魯君許諾し、乃ち吏をして其の拳を鞹し、其の目を膠し、之を盛るに鴟夷を以てし、之を車中に置かしむ。齊の境に至るや、桓公、人をして朝車を以て之を迎え、祓うに爟火を以てし、釁するに犧猳を以てし、生かして之と國に如かしむ。有司に命じて廟を除わしめ、筵几して之に薦めて曰く、「孤の夷吾の言を聞きし自り、目は益々明らかに、耳は益々聰なり。孤敢て專らにせず。敢て以て先君に告ぐ。」因りて顧みて管子に命じて曰く、「夷吾、予を佐けよ。」管仲還り走り、再拜稽首して、令を受けて出づ。管子、齊國を治め、事を舉げて功有れば、桓公必ず先づ鮑叔を賞して曰く、「齊國をして管子を得しめし者は、鮑叔なり。」桓公は賞を行うことを知れりと謂う可し。凡そ賞を行うには其の本を欲す。本なれば則ち過ち由りて生ずること無ければなり。
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説苑・辨物斉の桓公北のかた孤竹を征す。未だ卑耳谿中に至らざること十里、闟然(こうぜん)として止まり、瞠然(どうぜん)として視ること頃(しばら)く有り、矢を奉じて未だ敢えて発せず。喟然として歎じて曰わく、「事其れ済(な)らざるか。人の長さ尺なる有り、冠冕大人の物具わる。左袪(きょ)して衣し馬前を走る者あり。」管仲曰わく、「事必ず済らん。此の人は道を知るの神なり。馬前を走る者は導くなり。左に衣を袪する者は、前に水有るなり。」左方より渡り、行くこと十里にして果たして水有り、遼水と曰う。之を表し、左方より渡れば踝(くるぶし)に至り、右方より渡れば膝に至る。已に渡りて、事果たして済る。桓公馬前に管仲を拝して曰わく、「仲父の聖此くの如きに至る、寡人罪を得ること久し。」管仲曰わく、「夷吾之を聞く、聖人は先に無形を知る、今已に形有りて乃ち之を知る、是れ夷吾教えを承くるに善きなり、聖に非ざるなり。」
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論語・八佾篇子曰く、『管仲の器、小なる哉!』或曰く、『管仲は倹なりや。』曰く、『管氏に三帰有り。』曰く、『然らば礼を知るや。』曰く、『邦君、塞門を樹つ、管氏も亦塞門を樹つ。邦君、二君の好を為すに反坫有り、管氏も亦反坫有り。管仲、その器小なる哉!』
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呂氏春秋・知接②管仲疾有り。桓公往きて之に問いて曰く、「仲父の疾病なり。將に何を以てか寡人に教えんとす。」管仲曰く、「齊の鄙人に諺有り、曰く、『居る者は載すること無く、行く者は埋むること無し。』今臣將に遠く行くこと有らんとす。胡ぞ以て問う可けん。」桓公曰く、「願わくは仲父の讓る無きことを。」管仲對えて曰く、「願わくは君の易牙・豎刀・常之巫・衛の公子啓方を遠ざけんことを。」公曰く、「易牙は其の子を烹て以て寡人を慊らしむ。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の子を愛せざるに非ざるなり。其の子に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公又曰く、「豎刀は自ら宮して以て寡人に近づく。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の身を愛せざるに非ざるなり。其の身に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公又曰く、「常之巫は死生を審らかにし、能く苛病を去る。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「死生は命なり。苛病は失なり。君、其の命に任じて、其の本を守らず、而して常之巫に恃む。彼將た此を以て為さざる無からん。」公又曰く、「衛の公子啓方は寡人に事うること十五年、其の父死するも敢て歸りて哭せず。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の父を愛せざるに非ざるなり。其の父に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公曰く、「諾。」管仲死し、盡く之を逐う。食甘からず、宮治まらず、苛病起こり、朝肅ならず。居ること三年、公曰く、「仲父亦た過たずや。孰か仲父之を盡くせりと謂うや。」是に於て皆復召して反す。明年、公病有り。常之巫中從り出でて曰く、「公將に某日を以て薨ぜんとす。」易牙・豎刀・常之巫相與に亂を作し、宮門を塞ぎ、高牆を築き、人を通さず。矯るに公の令を以てす。一婦人有り、垣を踰えて入り、公の所に至る。公曰く、「我食を欲す。」婦人曰く、「吾得る所無し。」公又曰く、「我飲を欲す。」婦人曰く、「吾得る所無し。」公曰く、「何の故ぞ。」對えて曰く、「常之巫中從り出でて曰く、『公將に某日を以て薨ぜんとす。』易牙・豎刀・常之巫相與に亂を作し、宮門を塞ぎ、高牆を築き、人を通さず。故に得る所無し。衛の公子啓方、書社四十を以て衛に下る。」公慨焉として歎じ、涕出でて曰く、「嗟乎。聖人の見る所、豈に遠からずや。若し死者知る有らば、我將た何の面目ありて以て仲父に見えん。」衣袂を蒙りて壽宮に絶えたり。蟲流れて戶より出づ。上蓋うに楊門の扇を以てす。三月葬らず。此れ卒に管仲の言を聽かざればなり。桓公、難を輕んじて管子を惡むに非ざるなり。由りて接すること無ければなり。由りて接する無く、固より其の忠言を卻けて、其の尊貴する所を愛するなり。
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説苑・指武齊の桓公の時、霖雨十旬。桓公漅陵を伐たんと欲するも、其の城の雨に值うや、未だ合わず。管仲・隰朋卒徒を以て門に造る、桓公曰く、「徒眾何を以て為すか」と。管仲對えて曰く、「臣之を聞く、雨あれば則ち事有りと。夫れ漅陵雨に能わず、臣請う之を攻めん」と。公曰く、「善し」と。遂に師を興して之を伐つ。既に至れば、大卒外に間して士內に在り、桓公曰く、「其れ聖人有るか」と。乃ち旗を還して之を去る。
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孔子家語・致思子路孔子に問いて曰わく、「管仲の人と為り何如。」 子曰わく、「仁なり。」 子路曰わく、「昔管仲襄公に説くも、公受けず、是れ辯ならざるなり。公子糾を立てんと欲するも能わず、是れ智ならざるなり。家斉に残わるるも、憂色無し、是れ慈ならざるなり。桎梏せられて檻車に居るも、慚づる心無し、是れ醜無きなり。射る所の君に事う、是れ貞ならざるなり。召忽之に死し、管仲死せず、是れ忠ならざるなり。仁人の道、固より是くの若きか。」 孔子曰わく、「管仲襄公に説くも、襄公受けざるは、公の闇きなり。子糾を立てんと欲するも能わざるは、時に遇わざるなり。家斉に残わるるも憂色無きは、是れ権命を知ればなり。桎梏せられて慚づる心無きは、自ら裁くこと審らかなればなり。射る所の君に事うるは、変に通ずればなり。子糾に死せざるは、軽重を量ればなり。夫れ子糾未だ君と成らず、管仲未だ臣と成らず。管仲は義を才度し、管仲束縛に死せずして功名を立つるは、未だ非とす可からざるなり。召忽死すと雖も、過ちて仁を取る、未だ多しとするに足らざるなり。」