呂氏春秋 / 召類⑤
趙簡子將襲衛,使史默往睹之,期以一月,六月而後反。趙簡子曰:「何其久也?」史默曰:「謀利而得害,猶弗察也?今蘧伯玉為相,史鰌佐焉,孔子為客,子貢使令於君前,甚聽。《易》曰:『渙其群,元吉。』渙者,賢也;群者,眾也;元者,吉之始也;渙其群元吉者,其佐多賢也。」趙簡子按兵而不動。凡謀者,疑也。疑則從義斷事,從義斷事則謀不虧,謀不虧則名實從之。賢主之舉也,豈必旗僨將斃而乃知勝敗哉?察其理而得失榮辱定矣。故三代之所貴,無若賢也。
新字:趙簡子将襲衛,使史黙往睹之,期以一月,六月而後反。趙簡子曰:「何其久也?」史黙曰:「謀利而得害,猶弗察也?今蘧伯玉為相,史鰌佐焉,孔子為客,子貢使令於君前,甚聴。《易》曰:『渙其群,元吉。』渙者,賢也;群者,衆也;元者,吉之始也;渙其群元吉者,其佐多賢也。」趙簡子按兵而不動。凡謀者,疑也。疑則従義断事,従義断事則謀不虧,謀不虧則名実従之。賢主之舉也,豈必旗僨将斃而乃知勝敗哉?察其理而得失栄辱定矣。故三代之所貴,無若賢也。
書き下し
趙簡子將に衛を襲わんとし、史默をして往きて之を睹しむ。期するに一月を以てせしに、六月にして後反る。趙簡子曰く、「何ぞ其れ久しきや。」史默曰く、「利を謀りて害を得ば、猶ほ察せざるがごときなり。今蘧伯玉、相と為り、史鰌、焉を佐け、孔子、客と為り、子貢は君前に使令し、甚だ聽かる。易に曰く、『其の羣を渙らす、元吉なり。』渙らすは賢なり。羣は衆なり。元は吉の始めなり。其の羣を渙らす、元吉なりとは、其の佐に賢多きなり。」趙簡子、兵を按じて動かず。凡そ謀るは、疑わしければなり。疑えば則ち義に從いて事を斷ず。義に從いて事を斷ずれば則ち謀虧かず。謀虧かざれば則ち名實之に從う。賢主の舉や、豈に必ずしも旗僨れ將斃れて、乃ち勝敗を知らんや。其の理を察して得失榮辱定まる。故に三代の貴き所は、賢に若くは莫きなり。
現代語訳
趙簡子が衛を襲おうとして、史黙を派遣して様子を見させた。一月を期限としたのに、六月たってようやく戻った。趙簡子は「なぜそんなに長くかかったのか」と言った。史黙は言った、「利を求めて害を得るようでは、行かなかったのと同じで、よく観察しなかったことになりましょう。今、蘧伯玉が宰相となり、史鰌が補佐し、孔子が客分となり、子貢が君の前で命を伝え、大いに聴き入れられています。易に『その群れを渙(散)らす、大いに吉』とあります。渙らすのは賢、群は衆、元は吉の始めです。『その群れを渙らす、大いに吉』とは、その補佐に賢者が多いことです」。趙簡子は兵を抑えて動かさなかった。そもそも謀るのは、疑いがあるからだ。疑えば義に従って事を決断し、義に従って決断すれば謀りは欠けず、謀りが欠けなければ名も実もそれに従う。賢主の挙は、必ずしも旗が倒れ将が斃れてから勝敗を知るだろうか。その道理を見極めて、得失も栄辱も定まるのだ。だから三代が貴んだものは、賢に及ぶものはなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・奉使趙簡子將に衛を襲わんとし、史黯をして往きて之を視しむ。期するに一月六日を以てして後反る。簡子曰く、「何ぞ其れ久しきや。」黯曰く、「利を謀りて害を得るは、察せざるに由るなり。今蘧伯玉相たり、史佐く。孔子客爲り、子貢君前に使令して甚だ聽かる。易に曰く、『其の群を渙にす、元吉なり。』渙とは賢なり、群とは象なり、元とは吉の始めなり。其の群を渙にす元吉とは、其の佐多賢なるなり。」簡子兵を按じて動かざるのみ。
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呂氏春秋・期賢②趙簡子晝居し、喟然として太息して曰く、「異なるかな。吾、衛を伐たんと欲すること十年、而るに衛伐たず。」侍者曰く、「趙の大を以て、而して衛の細を伐つ、君若し欲せずんば則ち可なり。君若し之を欲せば、請う令して之を伐たんことを。」簡子曰く、「而の言の如からざるなり。衛に士十人有り、吾が所に於り。吾乃ち且に之を伐たんとすれば、十人の者、其の不義を言うなり。而して我之を伐たば、是れ我不義を為すなり。」故に簡子の時、衛十人の者を以て趙の兵を按じ、簡子の身を歿せしめたり。衛は人を用うることを知れりと謂う可し。十士を遊ばして、國家安きを得たり。簡子は好く諫に從えりと謂う可し。十士に聽きて小を侵し弱を奪うの名無し。
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呂氏春秋・精諭⑤齊の桓公、諸侯を合するや、衛人後れて至る。公、朝して管仲と衛を伐たんことを謀る。朝を退きて入る。衛姬、君を望見し、堂を下りて再拜し、衛君の罪を請う。公曰く、「吾、衛に於いて故無し。子曷為れぞ請う。」對えて曰く、「妾、君の入るを望むや、足高く氣彊し。國を伐つの志有るなり。妾を見て動色有り。衛を伐つなり。」明日、君朝し、管仲を揖して之を進む。管仲曰く、「君、衛を舎すか。」公曰く、「仲父安んぞ之を識る。」管仲曰く、「君の朝に揖するや恭にして、言うや徐なり。臣を見て慚色有り。臣是を以て之を知る。」君曰く、「善し。仲父、外を治め、夫人、內を治む。寡人、終に諸侯の笑いと為らざるを知る。」桓公の匿す所以の者は不言なり。今管子は乃ち容貌音聲を以てし、夫人は乃ち行歩氣志を以てす。桓公言わずと雖も、暗夜にして燭の燎ゆるが若きなり。
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呂氏春秋・貴直④趙簡子、衛の附郭を攻むるに、自ら兵を將う。戰うに及びて、且に遠くに立たんとし、又犀蔽屏櫓の下に居る、之に鼓すれども士起たず。簡子、桴を投じて歎じて曰く、「鳴呼、士の遬弊すること一に此の若きか。」行人燭過、冑を免き戈を横たえて進みて曰く、「亦君の不能有るのみ。士何の弊することか之れ有らん。」簡子艴然として色を作して曰く、「寡人の使う無くして、身自ら是の衆を将いるや、子親しく寡人の無能を謂う。說有らば則ち可なるも、說無くんば則ち死せん。」對えて曰く、「昔吾が先君獻公は位に即きて五年、國を兼ぬること十九、此の士を用いたるなり。惠公は位に即きて二年、淫色暴慢にして、身は玉女を好む。秦人我を襲い、絳を遜去すること七十、此の士を用いたるなり。文公位に即きて二年、之を底すに勇を以てす。故に三年にして士盡く果敢なり。城濮の戰い、五たび荊人を敗り、衛を圍み曹を取り、石社を抜き、天子の位を定め、尊名を天下に成す。此の士を用いたるなり。亦だ君の不能有るのみ。士何の弊することか之れ有らん。」簡子乃ち犀蔽屏櫓を去りて、矢石の及ぶ所に立ち、一鼓して士畢く之に乘ず。簡子曰く、「吾、革車千乘を得ん與りは、行人燭過の一言を聞くに如かず。」行人燭過は能く其の君を諫めたりと謂う可し。戰鬭の上、枹鼓方に用いらる。賞は厚きを加えず、罰は重きを加えざるに、一言にして士皆其の上の為に死するを樂しむ。
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説苑・權謀趙簡子曰く、「晉に澤鳴・犢犨有り、魯に孔丘有り。吾れ此の三人を殺さば、則ち天下圖るべし」と。是に於て乃ち澤鳴・犢犨を召し、之に政を任じて之を殺す。人をして孔子を魯に聘せしむ。孔子河に至り、水に臨みて觀て曰く、「美しき哉水よ、洋洋乎たり。丘の此に濟らざるは、命なる夫」と。子路趨り進みて曰く、「敢へて奚の謂ひぞやと問はん」と。孔子曰く、「夫れ澤鳴・犢犨は、晉國の賢大夫なり。趙簡子の未だ志を得ざるや、之と聞見を同じくす。其の志を得るに及びては、之を殺して後に政に從ふ。故に丘之を聞く、胎を刳き夭を焚けば、則ち麒麟至らず。澤を乾して漁すれば、蛟龍遊がず。巢を覆し卵を毀てば、則ち鳳凰翔らず。丘之を聞く、君子は其の類を傷るを重んずる者なりと」と。
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『智囊』知微・衛姬・管仲・東郭垂斉の桓公が管仲と莒を伐つことを謀り、謀が未だ発しないうちに国に聞こえた。公はこれを怪しみ、管仲に問うた。仲は曰く、「国に必ず聖人がいます」と。桓公は歎じて曰く、「嘻、日の役の者で、柘杵を執って上を視る者がいた。意うにこの者か」と。そこで役を復させ、相代わることを得させなかった。少しして、東郭垂が至った。管仲は曰く、「この者に必ず違いありません」と。そこで儐者に令して延き進めさせ、級を分けて立たせた。管仲は曰く、「子は莒を伐つと言ったか」と。曰く、「然り」。管仲は曰く、「我は莒を伐つと言わなかった。子はなぜ言うのか」と。対えて曰く、「君子は謀を善くし、小人は意を善くします。臣は竊かにこれを意ったのです」と。管仲は曰く、「我は莒を伐つと言わなかった。子はどうしてこれを意ったのか」と。対えて曰く、「臣は聞きます、君子には三色有りと。優然として喜楽する者は鐘鼓の色。愀然として清静な者は縗絰の色。勃然として充満する者は兵革の色。先日、臣は君が台上におられるのを望むに、勃然として充満されていました。これは兵革の色です。君は吁して吟ぜず、言う所は莒を伐つことでした。君は臂を挙げて指し、当たる所は莒を伐つことでした。臣は竊かに、小諸侯の未だ服さぬ者は唯だ莒のみと意ったので、これを言いました」と。〔馮述評〕桓公の一挙一動は、小臣や婦女もみなこれを窺うことができた。殆ど天下の浅人であろうか。このゆえに管子もまた浅を以てこれを輔けた。

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