呂氏春秋 / 重言②
成王與唐叔虞燕居,援梧葉以為珪,而授唐叔虞曰:「余以此封女。」叔虞喜,以告周公。周公以請曰:「天子其封虞邪?」成王曰:「余一人與虞戲也。」周公對曰:「臣聞之,天子無戲言。天子言,則史書之,工誦之,士稱之。」於是遂封叔虞于晉。周公旦可謂善說矣,一稱而令成王益重言,明愛弟之義,有輔王室之固。
新字:成王与唐叔虞燕居,援梧葉以為珪,而授唐叔虞曰:「余以此封女。」叔虞喜,以告周公。周公以請曰:「天子其封虞邪?」成王曰:「余一人与虞戯也。」周公対曰:「臣聞之,天子無戯言。天子言,則史書之,工誦之,士称之。」於是遂封叔虞于晋。周公旦可謂善説矣,一称而令成王益重言,明愛弟之義,有輔王室之固。
書き下し
成王、唐叔虞と燕居するに、梧葉を援りて以て珪を為り、而して唐叔虞に授けて曰く、「余此を以て女を封ぜん。」叔虞喜び、以て周公に告ぐ。周公以て請いて曰く、「天子其れ虞を封ずるか。」成王曰く、「余一人、虞と戲れしなり。」周公對えて曰く、「臣之を聞く、天子に戲言無し、と。天子の言は、則ち史之を書し、工之を誦し、士之を稱す。」是に於て遂に叔虞を晉に封ず。周公旦、善く說けりと謂う可し。一たび稱して、成王をして益々言を重んぜしめ、弟を愛するの義を明らかにし、有た王室の固めを輔く。
現代語訳
成王が弟の唐叔虞とくつろいで過ごしていたとき、桐の葉を取って玉圭の形に作り、唐叔虞に授けて言った、「これでお前を諸侯に封じよう。」叔虞は喜び、周公に告げた。周公は成王に願い出て言った、「天子は虞を封じられるのですか。」成王は「私は虞とたわむれただけだ」と答えた。周公は答えた、「私はこう聞いております。天子に戯れの言葉はない、と。天子の発言は、史官が記録し、楽師が歌い、士人が唱えるものです。」こうしてついに叔虞を晋に封じた。周公旦は巧みに説いたと言える。一言諭したことで、成王にいっそう言葉を重んじさせ、弟を愛する義を明らかにし、あわせて王室の固めを助けたのである。
解説
この章句が説くこと
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説苑・君道成王、唐叔虞と燕居し、梧桐の葉を剪りて以て珪と為し、唐叔虞に授けて曰く、「余此を以て汝に封ぜん」と。唐叔虞喜びて、以て周公に告ぐ。周公以て請いて曰く、「天子虞に封ずるか」と。成王曰く、「余一に虞と戯るるなり」と。周公対えて曰く、「臣之を聞く、天子に戯言無し、言えば則ち史之を書し、工之を誦し、士之を称すと」と。是に於いて遂に唐叔虞を晋に封ず。周公旦善く説くと謂うべし。一たび称して成王言を重んずるを益し、弟を愛するの義を明らかにし、王室を輔くるの固き有り。
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史記 晋世家晋の唐叔虞は、周の武王の子にして成王の弟なり。初め、武王叔虞の母と会する時、夢に天武王に謂ひて曰く、「余女に命じて子を生ましめん。虞と名づけよ。余之に唐を与へん」と。子を生むに及び、文其の手に在りて「虞」と曰ふ。故に遂に因りて之に命じて虞と曰ふ。武王崩じ、成王立つ。唐に乱有り、周公誅して唐を滅ぼす。成王叔虞と戯れ、桐の葉を削りて珪と為して以て叔虞に与へて曰く、「此を以て若を封ぜん」と。史佚因りて日を択びて叔虞を立てんことを請ふ。成王曰く、「吾之と戯れしのみ」と。史佚曰く、「天子に戯言無し。言へば則ち史之を書し、礼之を成し、楽之を歌ふ」と。是に於て遂に叔虞を唐に封ず。唐は河・汾の東に在り、方百里なり。故に唐叔虞と曰ふ。姓は姫氏、字は子于。唐叔の子燮、是を晋侯と為す。晋侯の子寧族、是を武侯と為す。武侯の子服人、是を成侯と為す。成侯の子福、是を厲侯と為す。厲侯の子宜臼、是を靖侯と為す。靖侯已来、年紀推すべし。唐叔より靖侯に至るまで五世、其の年数無し。靖侯の十七年、周の厲王迷惑暴虐にして、国人乱を作す。厲王出でて彘に奔り、大臣政を行ふ。故に共和と曰ふ。十八年、靖侯卒し、子の釐侯司徒立つ。釐侯の十四年、周の宣王初めて立つ。十八年、釐侯卒し、子の献侯籍立つ。献侯十一年にして卒し、子の穆侯費王立つ。穆侯の四年、斉の女姜氏を取りて夫人と為す。七年、条を伐つ。太子仇を生む。十年、千畝を伐ち、功有り。少子を生み、名づけて成師と曰ふ。晋人師服曰く、「異なるかな、君の子に命くるや。太子を仇と曰ふ。仇とは讎なり。少子を成師と曰ふ。成師は大号にして、之を成す者なり。名は自ら命くるなり。物は自ら定まるなり。今適庶の名反逆す。此の後晋其れ能く乱るること毋からんや」と。二十七年、穆侯卒し、弟の殤叔自立す。太子仇出奔す。
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『十善法語』巻第五・不綺語戒真正ニ此戒ヲ護持スル者ハ。出家ハ出家ノ有通リヲ全シテ四威儀法ニ相応スヘク。在家ハ在家ノアリ通リヲ全シテ内心法ニ随順スヘシ。在家ノ中ニ。尊貴ノ人ハ尊貴ノ有通リヲ全シテ法ニ随順スヘク。下賤ノ者ハ下賤ノ有通リヲ全シテ法ニ随順スヘシ。男子ハ男子ノ有通リ。女子ハ女子ノ有通リヲ全シテ志ヲ立ヘキシヤ。若大人タル者此戒ヲ全クセントナラハ。カウシヤ。周ノ世ニ武王既ニ崩シ。成王幼シ。周公旦政ヲ摂ス。或時成王其弟叔虞ト共ニ園ニ出テ遊フ。戯ニ桐葉ヲ剪リ。珪ノ形ニ作リ。叔虞ニ与ヘ。是ヲ以テ爾ヲ封スト。叔虞喜テ此ヲ周公ニ告ク。周公衣冠ヲ正シテ入テ賀ス。成王云戯ナリト。周公云。天子ニ戯言ナシ。遂ニ弟ヲ唐ニ封ス。成王此後戯ナカリシト云コトシヤ。
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呂氏春秋・下賢③周公旦は文王の子なり、武王の弟なり、成王の叔父なり、窮巷の中、甕牖の下に朝する所の者、七十人あり。文王之を造めて未だ遂げず、武王之を遂げて未だ成さず、周公旦、少主を抱きて之を成す。故に成王と曰う。唯だ身を以て士に下るのみならずや。
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史記 梁孝王世家大臣時に其の不可なる状を正言せず、意に阿りて小を治め、私かに意を説ばしめて以て賞賜を受く、忠臣に非ざるなり。斉しく魏其侯竇嬰の正言の如くんば、何を以て後禍有らんや。景帝王と燕見し、太后に侍して飲む、景帝曰く、「千秋万歳の後王に伝へん」と。太后喜説す。竇嬰前に在り、地に拠りて言ひて曰く、「漢法の約は、子適孫に伝ふ、今帝何を以て弟に伝ふるを得て、擅に高帝の約を乱さんや」と。是に於いて景帝黙然として声無し。太后の意説ばず。故に成王小弱の弟と樹下に立ち、一桐葉を取りて以て之に与へて、曰く、「吾用て汝を封ぜん」と。周公之を聞き、進み見えて曰く、「天王弟を封ずるは、甚だ善し」と。成王曰く、「吾直だ与に戯るるのみ」と。周公曰く、「人主は過挙無く、当に戯言有るべからず、之を言へば必ず之を行ふ」と。是に於いて乃ち小弟を封ずるに応県を以てす。是の後成王歯を没するまで敢へて戯言有らず、言へば必ず之を行ふ。孝経に曰く、「法に非ざれば言はず、道に非ざれば行はず」と。此れ聖人の法言なり。今主上宜しく好言を梁王に出だすべからず。梁王は上に太后の重き有り、驕蹇日久し、数々景帝の好言を聞く、千秋万世の後王に伝へんと、而して実は行はず。又諸侯王の天子に朝見するは、漢法凡そ当に四見すべきのみ。始めて到れば、入りて小見す。正月朔旦に到りて、皮薦璧玉を奉じて正月を賀す、法見なり。後三日、王の為に置酒し、金銭財物を賜ふ。後二日、復た入りて小見し、辞して去る。凡そ長安に留まること二十日に過ぎず。小見とは、禁門の内に燕見し、省中に飲む、士人の入るを得る所に非ざるなり。今梁王西のかた朝し、因りて留まること、且に半歳ならんとす。入りては人主と輦を同じくし、出でては与に車を同じくす。風を示すに大言を以てして実は与へず、怨言を出だし、畔逆を謀らしめ、乃ち随ひて之を憂ふ、亦遠からずや。大賢人に非ざれば、退譲を知らず。
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史記 魯周公世家管・蔡・武庚等、果して淮夷を率ゐて反す。周公乃ち成王の命を奉じ、師を興して東伐し、大誥を作る。遂に管叔を誅し、武庚を殺し、蔡叔を放つ。殷の余民を収め、以て康叔を衛に封じ、微子を宋に封じて、以て殷の祀を奉ぜしむ。淮夷・東土を寧んじ、二年にして畢く定まる。諸侯咸な宗周に服す。天、祉福を降し、唐叔、禾を得たり。畝を異にして穎を同じくす。之を成王に献ず。成王、唐叔に命じて以て周公に東土に餽らしめ、餽禾を作る。周公既に命禾を受け、天子の命を嘉して、嘉禾を作る。東土以て集まり、周公帰りて成王に報じ、乃ち詩を為りて王に貽り、之を命じて鴟鴞と曰ふ。王も亦未だ敢て周公を訓めず。成王の七年二月乙未、王、朝に周より歩みて豊に至り、太保召公をして先づ雒に之きて土を相せしむ。其の三月、周公往きて成周の雒邑を営み、居を卜するに、吉と曰ふ。遂に之に国す。成王長じ、能く政を聴く。是に於て周公乃ち政を成王に還し、成王朝に臨む。周公の成王に代りて治むるや、南面して依を倍にして以て諸侯を朝せしむ。七年の後に及び、政を成王に還し、北面して臣の位に就き、匔匔として畏るるが如く然り。初め、成王少き時、病む。周公乃ち自ら其の蚤を揃りて之を河に沈め、以て神に祝して曰く、「王少くして未だ識有らず。神の命を奸す者は乃ち旦なり」と。亦其の策を府に蔵す。成王の病瘳ゆる有り。成王の事を用ふるに及び、人或いは周公を譖す。周公、楚に奔る。成王、府を発きて、周公の禱書を見、乃ち泣き、周公を反す。周公帰り、成王の壮にして、治むるに淫佚する所有らんことを恐れ、乃ち多士を作り、毋逸を作る。毋逸に称す、「人の父母と為りては、業を為すこと長久に至る。子孫驕奢にして之を忘れ、以て其の家を亡ぼす。人の子と為りて慎まざる可けんや。故に昔、殷の王中宗に在りては、厳恭にして天命を敬畏し、自ら度りて民を治め、震懼して敢て荒寧せず。故に中宗、国を饗くること七十五年。

人生を、一行の式にしてみた。
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