呂氏春秋 / 下賢③
周公旦,文王之子也,武王之弟也,成王之叔父也,所朝於窮巷之中、甕牖之下者七十人。文王造之而未遂,武王遂之而未成,周公旦抱少主而成之,故曰成王,不唯以身下士邪。
書き下し
周公旦は文王の子なり、武王の弟なり、成王の叔父なり、窮巷の中、甕牖の下に朝する所の者、七十人あり。文王之を造めて未だ遂げず、武王之を遂げて未だ成さず、周公旦、少主を抱きて之を成す。故に成王と曰う。唯だ身を以て士に下るのみならずや。
現代語訳
周公旦は文王の子であり、武王の弟であり、成王の叔父である。それほどの高い身分でありながら、狭い路地の奥、甕を窓にした粗末な家に住む賢士のもとを訪ねて礼をとった相手が七十人もいた。文王が周の基礎を始めたが成し遂げられず、武王が受け継いだがなお完成せず、周公旦が幼い主君を抱きかかえて政を執りこれを完成させた。だから「成王(成し遂げた王)」と呼ぶのである。これはまさに、自らへりくだって士に礼を尽くしたからにほかならない。
解説
王室の最高位にあった周公旦が、貧しい賢士七十人のもとを自ら訪ねて礼をとったという説話です。要点は、文王・武王が完成できなかった周の事業を、周公旦が幼い成王を補佐しつつ成し遂げられたのは、身を低くして人材を厚遇したからだ、という点にあります。「成王」という呼び名にその成就が込められています。最高の地位にある者ほど謙虚に人を求め、才ある者を集めることが大事業を完成させる、という主張は、権限を持つ立場の人が驕らず人材を活かすべきだという現代の組織論やリーダー像にも重なります。
この章句が説くこと
下賢周公旦成王下士礼賢甕牖