呂氏春秋 / 去宥②
荊威王學書於沈尹華,昭釐惡之。威王好制。有中謝佐制者,為昭釐謂威王曰:「國人皆曰:王乃沈尹華之弟子也。」王不悅,因疏沈尹華。中謝,細人也,一言而令威王不聞先王之術,文學之士不得進,令昭釐得行其私。故細人之言,不可不察也。且數怒人主,以為姦人除路;姦路已除而惡壅卻,豈不難哉?夫激矢則遠,激水則旱,激主則悖,悖則無君子矣。夫不可激者,其唯先有度。
新字:荊威王学書於沈尹華,昭釐悪之。威王好制。有中謝佐制者,為昭釐謂威王曰:「国人皆曰:王乃沈尹華之弟子也。」王不悅,因疏沈尹華。中謝,細人也,一言而令威王不聞先王之術,文学之士不得進,令昭釐得行其私。故細人之言,不可不察也。且数怒人主,以為姦人除路;姦路已除而悪壅却,豈不難哉?夫激矢則遠,激水則旱,激主則悖,悖則無君子矣。夫不可激者,其唯先有度。
書き下し
荊の威王書を沈尹華に學ぶ。昭釐之を惡む。威王制を好む。中謝の制を佐くる者有り。昭釐の為に威王に謂いて曰く、「國人皆曰く、『王は乃ち沈尹華の弟子なり。』」王悅ばず。因りて沈尹華を疏んず。中謝は細人なり。一言にして威王をして先王の術を聞かず、文學の士をして進むを得ざらしめ、昭釐をして其の私を行うを得しむ。故に細人の言は、察せざる可からざるなり。且つ數々人主を怒し、以て姦人の為に路を除く。姦路以て除かれて、惡の壅卻する、豈に難からずや。夫れ激矢は則ち遠く、激水は則ち旱き、激主は則ち悖る。悖れば則ち君子無し。夫れ激す可からざる者は、其れ唯だ先づ度有り。
現代語訳
楚の威王が沈尹華のもとで書を学んでいた。昭釐はこれを憎んだ。威王は法制を好んでいた。法制を補佐する中謝という役人がいて、昭釐のために威王に『国人は皆、王は沈尹華の弟子だと言っています』と告げた。威王は不快になり、それで沈尹華を遠ざけた。中謝は取るに足らぬ小人である。そのたった一言で、威王は先王の術を聞けなくなり、学問ある士は登用されなくなり、昭釐は私欲を通せるようになった。だから小人の言葉は、よく吟味しなければならない。しかも、しばしば君主を怒らせて奸人のために悪事への道を開く。奸人の道が開かれて正しい忠告が塞がれてしまうのは、何と防ぎがたいことか。矢は勢いをつけすぎれば的を外れて遠くへ飛び、水は勢いよく激せば飛び散って干上がり、君主は激せられれば道理を失う。道理を失えば君子はいなくなる。激せられない君主とは、あらかじめ節度を備えている者だけである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・憲問篇公伯寮、子路を季孫に愬う。子服景伯以て告げて曰く、「夫子固より公伯寮に惑志有り。吾が力猶お能く諸を市朝に肆さん。」子曰く、「道の将に行われんとするや、命なり。道の将に廃れんとするや、命なり。公伯寮其れ命を如何せん。」
-
論語・顔淵篇子張、明を問う。子曰く、「浸潤の譖、膚受の愬、行われざれば、明と謂う可きのみ。浸潤の譖、膚受の愬、行われざれば、遠しと謂う可きのみ。」
-
説苑・雜言祁射子、秦の惠王に見え、惠王之を說ぶ。是に於いて唐姑之を讒し、復た見ゆるに、惠王怒りを懷きて以て之を待つ。其の說く所異なるに非ざるなり、聽く所の易わればなり。故に徵を以て羽と為すは、絃の罪に非ざるなり。甘きを以て苦しと為すは、味を限るの過ちなり。
-
牧民忠告・聽訟健訟(けんしょう)の者理或いは勝たざれば、則ち往往にして其の敵嘗て官長を謗(そし)ると誣(し)う。之を聴く者当(まさ)に心を平らかにし気を易(やわ)らげ、謗言(ぼうげん)を事外(じがい)に置き、惟(た)だ其の実を核(ただ)して之を遣(や)るべし、庶(こいねが)わくは奸民(かんみん)の計中(けいちゅう)に堕(お)ちざらんことを。
-
史記 伍子胥列伝呉の太宰嚭既に子胥と隙有り、因りて讒して曰く、「子胥の人と為りは剛暴にして恩少なく、猜賊なり。其の怨望、恐らく深禍を為さん。前日王斉を伐たんと欲し、子胥以て不可と為すも、王卒に之を伐ちて大功有り。子胥其の計謀の用ゐられざるを恥ぢ、乃ち反って怨望す。而して今王又復た斉を伐つに、子胥専愎彊諫し、用事を沮毀し、徒に呉の敗るるを幸ひて以て自ら其の計謀に勝たんとするのみ。今王自ら行き、国中の武力を悉くして以て斉を伐つに、子胥諫め用ゐられず、因りて輟めて謝し、病を詳りて行かず。王備へざる可からず、此れ禍を起こすこと難からず。且つ嚭人をして微かに之を伺はしむるに、其の斉に使ひするや、乃ち其の子を斉の鮑氏に属す。夫れ人臣為りて、内に意を得ず、外に諸侯に倚り、自ら以て先王の謀臣と為し、今用ゐられず、常に鞅鞅として怨望す。願はくは王早く之を図れ」と。呉王曰く、「微子の言、吾も亦た之を疑へり」と。乃ち使ひをして伍子胥に属鏤の剣を賜はしめて曰く、「子此れを以て死せ」と。伍子胥天を仰ぎ嘆じて曰く、「嗟乎、讒臣嚭乱を為し、王乃ち反って我を誅す。我、若の父をして覇たらしむ。若の未だ立たざりし時自り、諸公子立つを争ふに、我死を以て之を先王に争ひ、幾んど立つを得ざらんとす。若既に立つを得るや、呉国を分かちて我に予へんと欲するも、我顧って敢て望まざるなり。然るに今若、諛臣の言を聴きて以て長者を殺す」と。乃ち其の舎人に告げて曰く、「必ず吾が墓の上に樹うるに梓を以てし、以て器を為る可からしめよ。而して吾が眼を抉りて呉の東門の上に縣けよ、以て越寇の入りて呉を滅ぼすを観ん」と。乃ち自剄して死す。呉王之を聞き大いに怒り、乃ち子胥の尸を取り盛るに鴟夷の革を以てし、之を江中に浮かぶ。呉人之を憐み、為に祠を江上に立て、因りて命づけて胥山と曰ふ。
-
史記 老子韓非列伝人或いは其の書を伝へて秦に至る。秦王、孤憤・五蠹の書を見て曰く、「嗟乎、寡人此の人を見、之と游ぶを得ば、死すとも恨みじ」と。李斯曰く、「此れ韓非の著す所の書なり」と。秦因りて急に韓を攻む。韓王、始め非を用ゐず、急なるに及び、乃ち非を遣り秦に使ひせしむ。秦王之を悦ぶも、未だ信用せず。李斯・姚賈之を害み、之を毀りて曰く、「韓非は韓の諸公子なり。今王、諸侯を并せんと欲するに、非は終に韓の為にして秦の為にせず、此れ人の情なり。今王用ゐずして久しく留めて之を帰すは、此れ自ら患ひを遺すなり。過法を以て之を誅するに如かず」と。秦王、以て然りと為し、吏に下して非を治む。李斯、人をして非に薬を遺らしめ、自殺せしむ。韓非、自ら陳べんと欲するも、見ゆるを得ず。秦王後に之を悔い、人をして之を赦さしむるに、非已に死せり。申子・韓子皆書を著し、後世に伝はり、学ぶ者多く有り。余独り韓子の説難を為りて自ら脱する能はざりしを悲しむのみ。