呂氏春秋 / 樂成⑤
魏襄王與群臣飲,酒酣,王為群臣祝,令群臣皆得志。史起興而對曰:「群臣或賢或不肖,賢者得志則可,不肖者得志則不可。」王曰:「皆如西門豹之為人臣也。」史起對曰:「魏氏之行田也以百畝,鄴獨二百畝,是田惡也。漳水在其旁而西門豹弗知用,是其愚也;知而弗言,是不忠也。愚與不忠,不可效也。」魏王無以應之。明日,召史起而問焉,曰:「漳水猶可以灌鄴田乎?」史起對曰:「可。」王曰:「子何不為寡人為之?」史起曰:「臣恐王之不能為也。」王曰:「子誠能為寡人為之,寡人盡聽子矣。」史起敬諾,言之於王曰:「臣為之,民必大怨臣。大者死,其次乃藉臣。臣雖死藉,願王之使他人遂之也。」王曰:「諾。」使之為鄴令。史起因往為之。鄴民大怨,欲藉史起。史起不敢出而避之。王乃使他人遂為之。水已行,民大得其利,相與歌之曰:「鄴有聖令,時為史公,決漳水,灌鄴旁,終古斥鹵,生之稻粱。」使民知可與不可,則無所用矣。賢主忠臣,不能導愚教陋,則名不冠後、實不及世矣。史起非不知化也,以忠於主也。魏襄王可謂能決善矣。誠能決善,眾雖諠譁而弗為變。功之難立也,其必由哅哅邪。國之殘亡,亦猶此也。故哅哅之中,不可不味也。中主以之哅哅也止善,賢主以之哅哅也立功。
新字:魏襄王与群臣飲,酒酣,王為群臣祝,令群臣皆得志。史起興而対曰:「群臣或賢或不肖,賢者得志則可,不肖者得志則不可。」王曰:「皆如西門豹之為人臣也。」史起対曰:「魏氏之行田也以百畝,鄴独二百畝,是田悪也。漳水在其旁而西門豹弗知用,是其愚也;知而弗言,是不忠也。愚与不忠,不可効也。」魏王無以応之。明日,召史起而問焉,曰:「漳水猶可以灌鄴田乎?」史起対曰:「可。」王曰:「子何不為寡人為之?」史起曰:「臣恐王之不能為也。」王曰:「子誠能為寡人為之,寡人尽聴子矣。」史起敬諾,言之於王曰:「臣為之,民必大怨臣。大者死,其次乃藉臣。臣雖死藉,願王之使他人遂之也。」王曰:「諾。」使之為鄴令。史起因往為之。鄴民大怨,欲藉史起。史起不敢出而避之。王乃使他人遂為之。水已行,民大得其利,相与歌之曰:「鄴有聖令,時為史公,決漳水,灌鄴旁,終古斥鹵,生之稲粱。」使民知可与不可,則無所用矣。賢主忠臣,不能導愚教陋,則名不冠後、実不及世矣。史起非不知化也,以忠於主也。魏襄王可謂能決善矣。誠能決善,眾雖諠譁而弗為変。功之難立也,其必由哅哅邪。国之残亡,亦猶此也。故哅哅之中,不可不味也。中主以之哅哅也止善,賢主以之哅哅也立功。
書き下し
魏の襄王、群臣と飲し、酒酣にして、王、群臣の為に祝し、群臣をして皆志を得しめんとす。史起興ちて對えて曰く、「群臣に賢なる或り不肖なる或り。賢なる者志を得るは則ち可なり、不肖なる者志を得るは則ち不可なり。」王曰く、「皆西門豹の人臣為るが如きなり。」史起對えて曰く、「魏氏の田を行うや百畝を以てす。鄴獨り二百畝なり。是れ田惡しきなり。漳水、其の旁に在れども、西門豹、用うるを知らず。是れ其れ愚なり。知りて言わざるは、是れ不忠なり。愚と不忠とは、效う可からざるなり。」魏王以て之に應うる無し。明日、史起を召して焉に問いて曰く、「漳水は猶ほ以て鄴の田に灌ぐ可きか。」史起對えて曰く、「可なり。」王曰く、「子何ぞ寡人の為に之を為さざる。」史起曰く、「臣、王の為すこと能わざるを恐るるなり。」王曰く、「子誠に能く寡人の為に之を為さば、寡人盡く子に聽かん。」史起敬みて諾し、之を王に言いて曰く、「臣、之を為せば、民必ず大いに臣を怨まん。大なれば死し、其の次は乃ち臣を籍せん。臣死藉せらると雖も、願わくは王の他人をして之を遂げしめんことを。」王曰く、「諾。」之をして鄴の令為らしむ。史起因りて往きて之を為す。鄴の民大いに怨み、史起を籍せんと欲す。史起敢て出でずして之を避く。王乃ち他人をして之を遂為せしむ。水已に行き、民大いに其の利を得、相與に之を歌いて曰く、「鄴に聖令有り、時れ史公為り、漳水を決し、鄴の旁に灌ぐ。終古の斥鹵、之の稻粱を生ず。」民をして可と不可とを知らしむれば、則ち用うる所無し。賢主忠臣、愚を導き陋を教うる能わざれば、則ち名後に冠せず、實世に及ばず。史起、化を知らざるに非ざるなり、主に忠なるを以てなり。魏の襄王は能く善を決すと謂う可し。誠に能く善を決すれば、衆諠譁すと雖も變を為さず。功の立ち難きや、其れ必ず哅哅に由るか。國の殘亡も亦た猶ほ此くのごときなり。故に哅哅の中、味わざる可からざるなり。中主は之が哅哅を以て善を止め。賢主は之が哅哅を以て功を立つるなり。
現代語訳
魏の襄王が家臣と酒宴を開き、酔いがまわると、王は家臣のために『皆が望みを遂げられるように』と祝辞を述べた。史起が立って『家臣には賢者も愚者もいます。賢者が望みを遂げるのはよいが、愚者が遂げるのはよくありません』と答えた。王が『皆、西門豹のような臣ばかりだ』と言うと、史起は『魏では田は一区画百畝なのに、鄴だけは二百畝で、土地がやせています。漳水がそばにあるのに西門豹はそれを灌漑に使うことを知らなかった。それは愚かです。知っていて言わなかったなら不忠です。愚と不忠は見習えません』と述べた。王は答えられなかった。翌日、王が史起を召して『漳水で鄴の田を灌漑できるか』と問うと『できます』と答えた。『ではなぜやらぬ』と問うと、史起は『王がやり遂げられないのを恐れるのです』と言った。王が『必ずやり遂げる、すべてお前に従う』と言うと、史起は承知し『私が事を起こせば民は激しく私を怨み、ひどければ殺され、次でも私を罪に問うでしょう。私が殺され罰されても、どうか他の者に完成させてください』と願い出た。王は承知して史起を鄴の令とした。史起が着工すると、鄴の民は激しく怨み史起を罰しようとし、史起は身を避けた。王は他の者に工事を継がせた。水路が通じると民は大いに利を得て、『鄴に聖なる令あり、それは史公。漳水を切り開き鄴のほとりに注ぎ、大昔からの塩地に稲や粱を実らせた』と歌った。もし民に是非の判断を委ねてしまえば、賢者を用いる意味がなくなる。賢主・忠臣が愚者や見識の狭い者を導き教えられなければ、名は後世に残らず功も世に及ばない。史起は民の反発を知らなかったのではなく、主君に忠実だったからこそ引き受けたのだ。魏の襄王は善を決断できたと言える。真に善を決断できれば、大衆が騒ぎ立てても方針を変えない。功が立ちにくいのは、必ずこの騒ぎ立てる声のせいだろう。国の崩壊もまた同じである。だから騒がしい声の中こそ、よく吟味しなければならない。凡庸な君主はその騒ぎで善事をやめ、賢主はその騒ぎの中で功を立てるのである。
解説
この章句が説くこと
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戦国策・西門豹為鄴令西門豹鄴の令と為り、魏文侯に辞す。文侯曰わく、「子往け、必ず子の功を就(な)し、子の名を成さん。」西門豹曰わく、「敢えて問う、功を就し名を成すに、亦術有りや。」文侯曰わく、「之有り。夫れ郷邑の老者にして先ず坐を受くるの士は、子入りて其の賢良の士を問いて之に師事し、其の人の美を掩(おお)い人の醜を揚ぐるを好む者を求めて之を参験せよ。夫れ物相類して非なる者多し、幽莠(ゆうゆう)の幼きや禾(か)に似、驪牛(りぎゅう)の黄なるや虎に似、白骨は象に疑われ、武夫は玉に類す、此れ皆似て非なる者なり。」
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荀子・堯問篇魏の武侯、事を謀りて当たり、群臣能く逮(およ)ぶもの莫し。朝を退きて喜色有り。呉起進みて曰く、亦た嘗て楚の荘王の語を以て、左右に聞かしむる者有りや、と。武侯曰く、楚の荘王の語は何如(いかん)、と。呉起対えて曰く、楚の荘王、事を謀りて当たり、群臣逮ぶもの莫し。朝を退きて憂色有り。申公巫臣(しんこうふしん)進み問いて曰く、王、朝(ちょう)して憂色有るは、何ぞや、と。荘王曰く、不穀(ふこく)事を謀りて当たり、群臣能く逮ぶもの莫し。是を以て憂うるなり。其れ中蘬(ちゅうき)の言に在り。曰く、諸侯にして自ら師を得る者は王たり、友を得る者は霸たり、疑(たす)くる者を得る者は存し、自ら謀りて己に若(し)くもの莫き者は亡ぶ、と。今、不穀の不肖を以てして、群臣能く逮ぶもの莫し。吾が国、亡ぶるに幾(ちか)からんか。是を以て憂うるなり、と。楚の荘王は以て憂え、而して君は以て喜ぶ、と。武侯逡巡(しゅんじゅん)して再拝して曰く、天、夫子をして寡人の過ちを振(すく)わしむるなり、と。
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呂氏春秋・樂成④舟車の始めて見わるるや、三世にして、然る後之に安んず。夫れ善に開くは豈に易からんや。故に聽けば事治無し。事治の立つは、人主賢なればなり。魏、中山を攻む。樂羊將たり。已に中山を得、還反りて文侯に報じ、功を貴ぶの色有り。文侯之を知り、主書に命じて曰く、「群臣賓客の獻ずる所の書をば、操りて以て之に進めよ。」主書、兩篋を舉げて以て進む。將軍をして之を視しむ。書盡く中山を攻むるの事を難ずるなり。將軍還り走り、北面再拜して曰く、「中山の舉は、臣の力に非ず、君の功なり。」此の時に當りて、論士之を殆ぶむこと日に幾くぞ。中山の取らざるや、奚ぞ宜しく二篋なるべけんや。一寸にして亡からんのみ。文侯は賢主なり、而も猶ほ此くの若し。又況んや中主に於いてをや。中主の患いは、為す勿き能わざるも、與に為すを莫む可らざるにあり。凡そ易なること無きの事を舉ぐるに、氣志・視聽・動作、是に非ざる者無くんば、人臣すら且つ孰か敢て是に非ざるやを以て為すを疑わんや。皆為すに壹ならば、則ち敗事無し。此れ湯・武の大いに功を夏・商に立てし所以にして、句踐の能く其の讎を報いし所以なり。小弱を以て皆為すに壹にして猶ほ此くの若し。又況んや彊大を以てするに於いてをや。
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説苑・政理魏の文侯、西門豹をして往きて鄴を治めしむ。之に告げて曰く、「必ず功を全うし名を成し義を布け。」豹曰く、「敢えて問う、功を全うし名を成し義を布くこと、之を為すこと奈何。」文侯曰く、「子往け。是れ邑として賢豪辨博なる者有らざるは無く、邑として人の惡を揚げ人の善を蔽うを好む者有らざるは無し。往かば必ず豪賢なる者を問いて、因りて之に親しめ。其の辨博なる者は、因りて之を師とせよ。其の人の惡を揚げ人の善を蔽うを好む者を問いて、因りて之を察せよ。特聞を以て事に從うべからず。夫れ耳に之を聞くは目に之を見るに如かず、目に之を見るは足に之を踐むに如かず、足に之を踐むは手に之を辨ずるに如かず。人始めて官に入るは、晦室に入るが如し。久しくして愈々明らかなり。明らかにして乃ち治まり、治まりて乃ち行わる。」
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戦国策・魏武侯與諸大夫浮於西河魏武侯、諸大夫と西河に浮かぶ、称して曰わく、「河山の険、豈に亦信に固ならずや。」王鍾王に侍し、曰わく、「此れ晋国の強きゆえんなり。若し善く之を脩めば、則ち覇王の業具わらん。」呉起対えて曰わく、「吾が君の言は、国を危うくするの道なり。而して子又之に附す、是れ危うきなり。」武侯忿然として曰わく、「子の言説有りや。」呉起対えて曰わく、「河山の険は、信に保つに足らざるなり。是れ伯王の業は、此に従わざるなり。昔者、三苗の居は、左に彭蠡の波、右に洞庭の水有り、文山其の南に在り、而して衡山其の北に在り。此の険を恃むも、政を為すこと善からず、而して禹之を放逐せり。夫れ夏桀の国は、左に天門の陰、而して右に天谿の陽、廬・睪其の北に在り、伊・洛其の南より出づ。此の険有るも、然れども政を為すこと善からず、而して湯之を伐てり。殷紂の国は、左に孟門、而して右に漳・釜、前に河を帯び、後に山を被る。此の険有るも、然れども政を為すこと善からず、而して武王之を伐てり。且つ君親しく臣に従いて降城に勝つに、城高からざるに非ず、人民衆からざるに非ず、然れども并せらるるを得る者は、政悪しきが故なり。是に従いて之を観れば、地形険阻、奚ぞ以て覇王たるに足らんや。」武侯曰わく、「善し。吾乃ち今日聖人の言を聞けり。西河の政、専ら之を子に委ねん。」