呂氏春秋 / 樂成④
舟車之始見也,三世然後安之。夫開善豈易哉?故聽無事治。事治之立也,人主賢也。魏攻中山,樂羊將,已得中山,還反報文侯,有貴功之色。文侯知之,命主書曰:「群臣賓客所獻書者,操以進之。」主書舉兩篋以進。令將軍視之,書盡難攻中山之事也。將軍還走,北面再拜曰:「中山之舉,非臣之力,君之功也。」當此時也,論士殆之日幾矣,中山之不取也,奚宜二篋哉?一寸而亡矣。文侯賢主也,而猶若此,又況於中主邪?中主之患,不能勿為,而不可與莫為。凡舉無易之事,氣志視聽動作無非是者,人臣且孰敢以非是邪疑為哉?皆壹於為,則無敗事矣。此湯、武之所以大立功於夏、商,而句踐之所以能報其讎也。以小弱皆壹於為而猶若此,又況於以彊大乎?
新字:舟車之始見也,三世然後安之。夫開善豈易哉?故聴無事治。事治之立也,人主賢也。魏攻中山,楽羊将,已得中山,還反報文侯,有貴功之色。文侯知之,命主書曰:「群臣賓客所献書者,操以進之。」主書舉両篋以進。令将軍視之,書尽難攻中山之事也。将軍還走,北面再拝曰:「中山之舉,非臣之力,君之功也。」当此時也,論士殆之日幾矣,中山之不取也,奚宜二篋哉?一寸而亡矣。文侯賢主也,而猶若此,又況於中主邪?中主之患,不能勿為,而不可与莫為。凡舉無易之事,気志視聴動作無非是者,人臣且孰敢以非是邪疑為哉?皆壱於為,則無敗事矣。此湯、武之所以大立功於夏、商,而句践之所以能報其讎也。以小弱皆壱於為而猶若此,又況於以彊大乎?
書き下し
舟車の始めて見わるるや、三世にして、然る後之に安んず。夫れ善に開くは豈に易からんや。故に聽けば事治無し。事治の立つは、人主賢なればなり。魏、中山を攻む。樂羊將たり。已に中山を得、還反りて文侯に報じ、功を貴ぶの色有り。文侯之を知り、主書に命じて曰く、「群臣賓客の獻ずる所の書をば、操りて以て之に進めよ。」主書、兩篋を舉げて以て進む。將軍をして之を視しむ。書盡く中山を攻むるの事を難ずるなり。將軍還り走り、北面再拜して曰く、「中山の舉は、臣の力に非ず、君の功なり。」此の時に當りて、論士之を殆ぶむこと日に幾くぞ。中山の取らざるや、奚ぞ宜しく二篋なるべけんや。一寸にして亡からんのみ。文侯は賢主なり、而も猶ほ此くの若し。又況んや中主に於いてをや。中主の患いは、為す勿き能わざるも、與に為すを莫む可らざるにあり。凡そ易なること無きの事を舉ぐるに、氣志・視聽・動作、是に非ざる者無くんば、人臣すら且つ孰か敢て是に非ざるやを以て為すを疑わんや。皆為すに壹ならば、則ち敗事無し。此れ湯・武の大いに功を夏・商に立てし所以にして、句踐の能く其の讎を報いし所以なり。小弱を以て皆為すに壹にして猶ほ此くの若し。又況んや彊大を以てするに於いてをや。
現代語訳
舟や車が初めて現れたときも、三世代を経てようやく人々は慣れ親しんだ。善いことを世に通すのは容易ではない。だから君主が反対に流されず聴き従えば、事業に乱れは生じない。事業が成り立つのは君主が賢明だからである。魏が中山を攻めたとき、樂羊が将軍となった。中山を陥落させ、文侯のもとに戻って手柄顔をした。文侯はそれを察し、書記官に命じて『家臣や賓客が献じた進言書を持って来い』と言わせた。書記官が二箱を差し出し、将軍に見せると、それはことごとく中山攻めに反対する内容だった。樂羊は後ずさりし、北面して再拝し『中山攻略は私の力ではなく、君のお力です』と言った。あの時、反対する論客の勢いは日ごとに強まっていた。中山を取れなかったとしても不思議はなく、進言はわずか二箱では済まなかったろう。あと一寸で頓挫していた。賢主の文侯でさえこうなのだから、まして凡庸な君主ならなおさらである。凡庸な君主の弊は、やらずにはいられないくせに、事を最後までやり通せない点にある。困難な事業を起こすとき、意気込みも見聞も行動もすべて一つの方向に向けば、家臣とてどうして『これは間違いか』と疑って事にあたろうか。皆が一意専心すれば失敗はない。これこそ湯王・武王が夏・殷に大功を立て、句踐が仇を報いえた理由である。弱小でも一意専心してこうなのだから、まして強大な力を用いればなおさらである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・復恩魏の文侯中山を攻む、楽羊将たり、已に中山を得、還り反りて文侯に報ず、喜功の色有り、文侯主書に命じて曰く、「群臣賓客の献ずる所の書、操りて以て進めよ」と。主書の者両篋を挙げて以て進む、将軍をして之を視しむるに、尽く中山を難ずるの事なり、将軍還り走りて北面して再拝して曰く、「中山の挙は、臣の力に非ず、君の功なり」と。
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説苑・貴德楽羊魏の将と為り、以て中山を攻む、其の子中山に在り、中山其の子を県けて楽羊に示す、楽羊衰志を為さず、之を攻むること愈々急なり、中山因りて其の子を烹て之を遺る、楽羊之を食して一杯を尽す、中山其の誠を見て、与に戦ふに忍びず、果して之を下す、遂に魏の文侯の為に地を開く、文侯其の功を賞して其の心を疑ふ。孟孫猟して麑を得、秦西巴をして持ちて帰らしむ、其の母随ひて鳴く、秦西巴忍びず、縦して之に与ふ、孟孫怒りて秦西巴を逐ふ、一年居りて召して以て太子の侍と為す、左右曰く、「夫れ秦巴君に罪有り、今以て太子の傅と為すは、何ぞや」と。孟孫曰く、「夫れ一麑を以て忍びざれば、又将に吾が子を忍ぶ能はんや。故に曰く、『巧詐は拙誠に如かず』、楽羊は功有るを以て疑はれ、秦西巴は罪有るを以て益々信ぜらる、仁と不仁とに由ればなり」と。
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戦国策・樂羊為魏將而攻中山楽羊、魏の将と為りて中山を攻む。其の子中山に在り、中山の君其の子を烹て之に羹を遺る、楽羊幕下に坐して之を啜り、一盃を尽くす。文侯睹師賛に謂いて曰わく、「楽羊我が故を以て、其の子の肉を食らう。」賛対えて曰わく、「其の子の肉すら尚お之を食らう、其れ誰をか食らわざらんや。」楽羊既に中山を罷(やぶ)るや、文侯其の功を賞して其の心を疑う。
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呂氏春秋・樂成⑤魏の襄王、群臣と飲し、酒酣にして、王、群臣の為に祝し、群臣をして皆志を得しめんとす。史起興ちて對えて曰く、「群臣に賢なる或り不肖なる或り。賢なる者志を得るは則ち可なり、不肖なる者志を得るは則ち不可なり。」王曰く、「皆西門豹の人臣為るが如きなり。」史起對えて曰く、「魏氏の田を行うや百畝を以てす。鄴獨り二百畝なり。是れ田惡しきなり。漳水、其の旁に在れども、西門豹、用うるを知らず。是れ其れ愚なり。知りて言わざるは、是れ不忠なり。愚と不忠とは、效う可からざるなり。」魏王以て之に應うる無し。明日、史起を召して焉に問いて曰く、「漳水は猶ほ以て鄴の田に灌ぐ可きか。」史起對えて曰く、「可なり。」王曰く、「子何ぞ寡人の為に之を為さざる。」史起曰く、「臣、王の為すこと能わざるを恐るるなり。」王曰く、「子誠に能く寡人の為に之を為さば、寡人盡く子に聽かん。」史起敬みて諾し、之を王に言いて曰く、「臣、之を為せば、民必ず大いに臣を怨まん。大なれば死し、其の次は乃ち臣を籍せん。臣死藉せらると雖も、願わくは王の他人をして之を遂げしめんことを。」王曰く、「諾。」之をして鄴の令為らしむ。史起因りて往きて之を為す。鄴の民大いに怨み、史起を籍せんと欲す。史起敢て出でずして之を避く。王乃ち他人をして之を遂為せしむ。水已に行き、民大いに其の利を得、相與に之を歌いて曰く、「鄴に聖令有り、時れ史公為り、漳水を決し、鄴の旁に灌ぐ。終古の斥鹵、之の稻粱を生ず。」民をして可と不可とを知らしむれば、則ち用うる所無し。賢主忠臣、愚を導き陋を教うる能わざれば、則ち名後に冠せず、實世に及ばず。史起、化を知らざるに非ざるなり、主に忠なるを以てなり。魏の襄王は能く善を決すと謂う可し。誠に能く善を決すれば、衆諠譁すと雖も變を為さず。功の立ち難きや、其れ必ず哅哅に由るか。國の殘亡も亦た猶ほ此くのごときなり。故に哅哅の中、味わざる可からざるなり。中主は之が哅哅を以て善を止め。賢主は之が哅哅を以て功を立つるなり。
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呂氏春秋・爲欲④凡そ國を治むるは、其の民をして爭いて義行わしめ、亂國は其の民をして爭いて不義を為さしむるなり。彊國は其の民をして爭いて用いらるるを樂しましめ、弱國は其の民をして爭いて用いられざるを競わしむ。夫れ爭いて義を行いて用いらるるを樂しむと、爭いて不義を為して用いられざるを競うとは、此れ其の禍福為ることは、天覆うこと能わず、地載すること能わず。晉の文公、原を伐ち、士と七日を期す。七日して原下らず。命じて之を去らしめんとす。謀士言いて曰く、「原將に下らんとす。」師吏、之を待たんことを請う。公曰く、「信は、國の寶なり。原を得て寶を失うは、吾為さざるなり。」遂に之を去る。明年復た之を伐ち、士と必ず原を得て然る後反らんことを期す。原人之を聞き乃ち下る。衛人之を聞き、文公の信を以て至れりと為し、乃ち文公に歸す。故に、原を攻めて衛を得たりと曰うは、此の謂なり。文公は原を得ることを欲せざるに非ざるなり。不信を以て原を得るは、得ること勿きに若かざればなり。必ず誠信にして以て之を得れば、之に歸する者は獨り衛のみに非ざるなり。文公は欲を求むることを知れりと謂う可し。
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説苑・尊賢魏の文侯、中山より安邑に奔命す。田子方之に従う。夫子撃(太子撃)之に過ぐるに、車を下りて趨る。子方坐乗すること故の如し。太子に告げて曰く、「我が為に君に請え、我が朝歌するを待て」と。太子説ばず、因りて子方の為に曰く、「貧窮なる者の人に驕るを識らざるか、富貴なる者の人に驕るをや」と。子方曰く、「貧窮なる者は人に驕る、富貴なる者は安んぞ敢えて人に驕らんや。人主人に驕りて其の国を亡ぼす、吾未だ国を以て亡ぶるを待つ者を見ざるなり。大夫人に驕りて其の家を亡ぼす、吾未だ家を以て亡ぶるを待つ者を見ざるなり。貧窮なる者若し意を得ずんば、履を納れて去る、安くに往くとして貧窮を得ざらんや。貧窮なる者は人に驕る、富貴なる者は安んぞ敢えて人に驕らんや」と。太子及び文侯、田子方の語を道う。文侯歎じて曰く、「吾が子の故に非ずんば、吾安んぞ賢人の言を聞くを得んや。吾子方に下るに行を以てし、得て之を友とせり。吾子方を友としてより、君臣益々親しみ、百姓益々附す、吾是を以て士を友とするの功を得たり。我中山を伐たんと欲するに、吾武を以て楽羊に下る、三年にして中山我に献ぜらる、我是を以て武を有つの功を得たり。吾此に少しく進む所以の者は、吾未だ智を以て我に驕る者を見ざればなり。若し智を以て我に驕る者を得ば、豈古の人に及ばざらんや」と。