呂氏春秋 / 悔過①
穴深尋則人之臂必不能極矣,是何也?不至故也。智亦有所不至。所不至,說者雖辯,為道雖精,不能見矣。故箕子窮于商,范蠡流乎江。
新字:穴深尋則人之臂必不能極矣,是何也?不至故也。智亦有所不至。所不至,説者雖弁,為道雖精,不能見矣。故箕子窮于商,范蠡流乎江。
書き下し
穴深きこと尋なれば、則ち人の臂必ず極むること能わず。是れ何ぞや。至らざるが故なり。智も亦た至らざる所有り。至らざる所は、説く者辯なりと雖も、道を為むること精なりと雖も、見ること能わず。故に箕子は商に窮し、范蠡は江に流る。
現代語訳
穴が一尋も深ければ、人の腕は必ず底まで届かない。なぜか。届かないからである。知恵にもまた及ばぬ領域がある。及ばぬところは、説く者がいかに弁が立ち、道理をいかに精密に説いても、見通すことができない。だから賢者の箕子でさえ商(殷)で行き詰まり、范蠡は長江へ身を流したのである。
解説
知恵にも必ず届かない領域があると説く、篇の短い総論です。深い穴に腕が届かない比喩で、どんな名弁も精密な理論も、認識の及ばないところは見通せないと示します。箕子が殷で窮し范蠡が身を退いた例は、賢者ですら限界に阻まれることの証しです。続く秦繆公の失敗談への導入で、聡明な者でも及ばない点があるという自覚が、過ちを悔いて改める前提になります。自分の判断の限界を知ることの大切さは、意思決定に臨む現代人にも通じる教えです。
この章句が説くこと
悔過智の限界箕子范蠡認識自覚
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