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呂氏春秋 / 知化①

夫以勇事人者以死也,未死而言死,不論,以雖知之與勿知同。凡智之貴也,貴知化也。人主之惑者則不然。化未至則不知,化已至,雖知之與勿知一貫也。事有可以過者,有不可以過者。而身死國亡,則胡可以過?此賢主之所重,惑主之所輕也。所輕,國惡得不危?身惡得不困?危困之道,身死國亡,在於不先知化也。吳王夫差是也。子胥非不先知化也,諫而不聽,故吳為丘墟,禍及闔廬。

新字:夫以勇事人者以死也,未死而言死,不論,以雖知之与勿知同。凡智之貴也,貴知化也。人主之惑者則不然。化未至則不知,化已至,雖知之与勿知一貫也。事有可以過者,有不可以過者。而身死国亡,則胡可以過?此賢主之所重,惑主之所輕也。所輕,国悪得不危?身悪得不困?危困之道,身死国亡,在於不先知化也。吳王夫差是也。子胥非不先知化也,諫而不聴,故吳為丘墟,禍及闔廬。

書き下し

夫れ勇を以て人に事うる者は、死を以てするなり。未だ死せずして死を言うとも、論らず。以に之を知ると雖も知ること勿きと同じなり。凡そ智の貴きは、化を知るを貴ぶなり。人主の惑う者は則ち然らず。化未だ至らざれば則ち知らず。化已に至れば、之を知ると雖も、知ること勿きと一貫なり。事、以て過つ可き者有り、以て過つ可からざる者有り。而して身死して國亡ぶるは、則ち胡ぞ以て過つ可けん。此れ賢主の重んずる所にして、惑主の輕んずる所なり。輕んずる所、國惡くんぞ危うからざるを得ん。身惡くんぞ困しまざるを得ん。危困の道、身死し國亡ぶるは、化を先知せざるに在るなり。呉王夫差は是れなり。子胥は化を先知せざるに非ざるなり。諫むれども聽かれず。故に呉は丘墟と為り、禍い闔廬に及べり。

現代語訳

そもそも勇をもって人に仕える者は、死をもって仕えるのだ。まだ死んでいないうちに死を口にしても、その覚悟は理解されない。すでにそれを知っていても、知らないのと同じことになる。およそ知恵が貴いのは、変化の兆しを知ることを貴ぶからだ。ところが惑う君主はそうではない。変化がまだ至らなければ気づかず、変化がすでに至れば、それを知っても知らないのと変わりがない。事には過ちが許されるものと、許されないものとがある。しかし身が死に国が滅ぶことは、どうして過ちで済まされようか。これは賢主が重んじるところであり、惑う君主が軽んじるところである。軽んじれば、国はどうして危うくならずにいられよう。身はどうして苦しまずにいられよう。危難と困窮の道、身が死に国が滅ぶのは、変化を予知しないことにある。呉王夫差がこれである。子胥は変化を予知しなかったのではない。諫めても聞き入れられなかった。それゆえ呉は廃墟となり、災いは先王闔廬にまで及んだのだ。

解説

この段は知化篇の総論として、知恵の本質は変化の兆しを事前に察知することにあると説きます。愚かな君主は危機が迫っても気づかず、露見してからでは手遅れです。過ちには取り返せるものとそうでないものがあり、亡国は決して取り返せません。呉王夫差はまさにその例で、忠臣子胥は変化を予知しながら諫言を退けられ、国は滅びました。現代でも、問題が表面化してから動くのでは遅く、兆候の段階で先手を打つ洞察力が求められます。変化を読む力こそが、個人にも組織にも致命的な破局を避ける鍵だと教えてくれます。

この章句が説くこと

知化変化の予知呉王夫差子胥洞察先見

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