呂氏春秋 / 先識③
殷內史向摯見紂之愈亂迷惑也,於是載其圖法,出亡之周。武王大說,以告諸侯曰:“商王大亂,沈于酒德,辟遠箕子,爰近姑與息,妲己為政,賞罰無方,不用法式,殺三不辜,民大不服,守法之臣,出奔周國。”
新字:殷内史向摯見紂之愈乱迷惑也,於是載其図法,出亡之周。武王大説,以告諸侯曰:“商王大乱,沈于酒徳,辟遠箕子,爰近姑与息,妲己為政,賞罰無方,不用法式,殺三不辜,民大不服,守法之臣,出奔周国。”
書き下し
殷の內史向摯、紂の愈々亂れて迷惑するを見るや、是に於て其の圖法を載せ、出亡して周に之く。武王大いに悦び、以て諸侯に告げて曰く、「商王大いに亂れ、酒德に沈み、箕子を辟遠し、爰に姑と息とを近づけ、妲己政を為し、賞罰に方無く、法式を用いず、三不辜を殺し、民大いに服さず。守法の臣、周國に出奔す。」
現代語訳
殷の内史であった向摯は、紂王がますます乱れ迷うのを見て、そこで国の図録と法典を車に載せ、出奔して周へと向かった。武王は大いに喜び、諸侯に告げた、「商(殷)王はひどく乱れ、酒色に溺れ、賢臣の箕子を遠ざけ、婦人や寵臣を近づけ、妲己に政治をとらせ、賞罰に基準がなく、法度を用いず、罪なき者を殺し、民はまったく服さない。法を守る臣下が周へ出奔してきた」と。
解説
前段の夏と対をなし、殷の記録官向摯が図法を携えて周へ亡命した故事です。紂王が賢臣箕子を退けて妲己を重用し、賞罰の基準を失う様は、夏の桀の無道と重ねられます。武王はこれを名分として周の正統を主張しました。ここでも要点は、制度と記録を担う専門家の離反が滅亡の前兆になるという一貫した論理です。トップが判断の基準を失い側近政治に傾くと、まともな人材から順に去っていくという構図は、時代を超えた組織崩壊のパターンを示しています。
この章句が説くこと
向摯殷紂武王妲己箕子図法
関連する章句
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呂氏春秋・先識②夏の太史令終古、其の圖法を出だし、執りて之に泣く。夏桀迷惑して、暴亂愈々甚だし。太史令終古乃ち出奔して商に如く。湯喜びて諸侯に告げて曰く、「夏王無道にして、百姓を暴虐し、其の父兄を窮しめ、其の功臣を恥かしめ、其の賢良を輕んじ、義を棄てて讒を聽き、衆庶咸怨む。守法の臣、自ら商に歸せり。」
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史記 殷本紀紂曰く、「我生まれて命の天に在る有らずや」と。祖伊反りて、曰く、「紂諫む可からず」と。西伯既に卒し、周の武王の東伐して、盟津に至る。諸侯の殷に叛きて周に会する者八百。諸侯皆曰く、「紂伐つ可し」と。武王曰く、「爾未だ天命を知らず」と。乃ち復た帰る。紂愈淫乱して止まず。微子数諫むるも聴かず、乃ち大師・少師と謀り、遂に去る。比干曰く、「人臣為る者は、死を以て争はざるを得ず」と。迺ち強ひて紂を諫む。紂怒りて曰く、「吾聞く、聖人の心に七竅有りと」と。比干を剖き、其の心を観る。箕子懼れ、乃ち詳狂して奴と為る。紂又之を囚ふ。殷の大師・少師乃ち其の祭楽器を持ちて周に奔る。周の武王是に於て遂に諸侯を率ゐて紂を伐つ。紂も亦兵を発して之を牧野に距ぐ。甲子の日、紂の兵敗る。紂走り、入りて鹿台に登り、其の宝玉の衣を衣て、火に赴きて死す。
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呂氏春秋・貴因②武王、人をして殷を候わしむ。反りて岐周に報じて曰く、「殷は其れ亂れたり。」武王曰く、「其の亂るるや焉にか至る。」對えて曰く、「讒慝、良に勝つ。」武王曰く、「尚ほ未だしきなり。」又復た往きて、反りて報じて曰く、「其の亂るること加われり。」武王曰く、「焉にか至る。」對えて曰く、「賢者出でて走れり。」武王曰く、「尚ほ未だしきなり。」又往き、反りて報じて曰く、「其の亂るること甚だし。」武王曰く、「焉にか至る。」對えて曰く、「百姓敢て誹怨せず。」武王曰く、「嘻。」遽く太公に告ぐ。太公對えて曰く、「讒慝、良に勝つを、命づけて戮と曰い、賢者の出で走るを、命づけて崩と曰い、百姓敢て誹怨せざるを、命づけて刑勝と曰う。其の亂るること至れり。以て駕うる可からず。」故に選車三百・虎賁三千、朝に甲子の期を要して、紂禽と為る。則ち武王は固より其の與に敵為る無きを知るなり。其の用うる所に因らば、何の敵か之れ有らん。
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史記 殷本紀帝紂資辨捷疾にして、聞見甚だ敏なり。材力人に過ぎ、手づから猛獣を格つ。知は以て諫を距ぐに足り、言は以て非を飾るに足る。人臣に矜るに能を以てし、天下に高ぶるに声を以てし、以為へらく皆己の下に出づと。酒を好み楽に淫し、婦人に嬖す。妲己を愛し、妲己の言是れ従ふ。是に於て師涓をして新淫の声、北里の舞、靡靡の楽を作らしむ。賦税を厚くして以て鹿台の銭を実たし、而して鉅橋の粟を盈たす。益狗馬奇物を収め、宮室に充仞す。益沙丘の苑台を広め、多く野獣蜚鳥を取りて其の中に置く。鬼神に慢る。大いに楽戯を沙丘に㝡め、酒を以て池と為し、肉を県けて林と為し、男女をして倮にして其の間に相逐はしめ、長夜の飲を為す。百姓怨望して諸侯畔く者有り。是に於て紂乃ち刑辟を重くし、炮格の法有り。西伯昌・九侯・鄂侯を以て三公と為す。九侯に好女有り、之を紂に入る。九侯の女淫を憙まず、紂怒りて之を殺し、而して九侯を醢にす。鄂侯之を争ふこと彊く、之を辨ずること疾し。并せて鄂侯を脯にす。西伯昌之を聞き、竊かに嘆ず。崇侯虎之を知り、以て紂に告ぐ。紂西伯を羑里に囚ふ。西伯の臣閎夭の徒、美女奇物善馬を求めて以て紂に献ず。紂乃ち西伯を赦す。西伯出でて洛西の地を献じ、以て炮格の刑を除かんことを請ふ。紂乃ち之を許し、弓矢斧鉞を賜ひ、征伐するを得しめ、西伯と為す。而して費中を用ゐて政を為さしむ。費中は諛を善くし、利を好む。殷人親しまず。紂又悪来を用ゐる。悪来は毀讒を善くし、諸侯此を以て益疏んず。西伯帰り、乃ち陰かに徳を修め善を行ふ。諸侯多く紂に叛きて往きて西伯に帰す。西伯滋大にして、紂是に由りて稍権重を失ふ。王子比干諫むるも、聴かず。商容は賢者にして、百姓之を愛す。紂之を廃す。
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呂氏春秋・貴因④武王、殷に入り、殷に長者有りと聞く。武王往きて之を見て、殷の亡びし所以を問う。殷の長者對えて曰く、「王之を知らんと欲すれば、則ち請う日中を以て期と為さん。」武王、周公旦と明日早に期を要すれども、則ち得ざるなり。武王之を怪しむ。周公曰く、「吾已に之を知れり。此れ君子なり。其の主に能くせざるを取りて、有た其の惡を以て告ぐるは、為すに忍びざるなり。若し夫れ期して當たらず、言いて信ならざるは、此れ殷の亡びし所以なり、已に此を以て王に告げたり。」
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史記 殷本紀周の武王遂に紂の頭を斬り、之を大白旗に県く。妲己を殺す。箕子の囚を釈き、比干の墓を封じ、商容の閭を表す。紂の子武庚禄父を封じて、以て殷の祀を続がしめ、盤庚の政を修行せしむ。殷の民大いに説ぶ。是に於て周の武王天子と為る。其の後世帝号を貶して、号して王と為す。而して殷の後を封じて諸侯と為し、周に属せしむ。周の武王崩じ、武庚管叔・蔡叔と乱を作す。成王周公に命じて之を誅せしめ、而して微子を宋に立て、以て殷の後を続がしむ。太史公曰く、余頌を以て契の事を次で、成湯より以来は、書・詩に采る。契は子姓為り、其の後分封せられ、国を以て姓と為す。殷氏・来氏・宋氏・空桐氏・稚氏・北殷氏・目夷氏有り。孔子曰く、殷の路車を善しと為し、而して色は白を尚ぶと。

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