呂氏春秋 / 貴因④
武王入殷,聞殷有長者。武王往見之,而問殷之所以亡。殷長者對曰:“王欲知之,則請以日中為期。”武王與周公旦明日早要期,則弗得也。武王怪之。周公曰:“吾已知之矣。此君子也,取不能其主,有以其惡告王,不忍為也。若夫期而不當,言而不信,此殷之所以亡也,已以此告王矣。”
新字:武王入殷,聞殷有長者。武王往見之,而問殷之所以亡。殷長者対曰:“王欲知之,則請以日中為期。”武王与周公旦明日早要期,則弗得也。武王怪之。周公曰:“吾已知之矣。此君子也,取不能其主,有以其悪告王,不忍為也。若夫期而不当,言而不信,此殷之所以亡也,已以此告王矣。”
書き下し
武王、殷に入り、殷に長者有りと聞く。武王往きて之を見て、殷の亡びし所以を問う。殷の長者對えて曰く、「王之を知らんと欲すれば、則ち請う日中を以て期と為さん。」武王、周公旦と明日早に期を要すれども、則ち得ざるなり。武王之を怪しむ。周公曰く、「吾已に之を知れり。此れ君子なり。其の主に能くせざるを取りて、有た其の惡を以て告ぐるは、為すに忍びざるなり。若し夫れ期して當たらず、言いて信ならざるは、此れ殷の亡びし所以なり、已に此を以て王に告げたり。」
現代語訳
武王が殷に入り、殷に立派な長者がいると聞いた。武王は出向いて会い、殷の滅んだわけを問うた。長者は「王がそれをお知りになりたいなら、では正午を約束の刻限といたしましょう」と答えた。ところが武王が翌日、周公旦とともに早くから約束の刻限を待っても、長者は現れなかった。武王が不審に思うと、周公は「私にはもう分かりました。この人は君子です。自分の旧主(殷)を悪く言うにしのびず、その悪を口にすることを潔しとしなかったのです。そもそも約束の刻限に現れず、言ったことを守らない――これこそが殷が滅んだ原因です。彼はすでにこのことをもって、無言のうちに王にお答えしたのです」と言った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『智囊』知微・殷長者武王が殷に入ると、殷に長者がいると聞き、武王は往いてこれに見え、殷の亡びた所以を問うた。殷の長者は対えて、「王が知ろうと欲するなら、請う日中を期としましょう」と言った。期に及んで至らなかったので、武王はこれを怪しんだ。周公は曰く、「吾は已に知りました。この人は君子であり、義として其の主を非としません。かの期にして当たらず、言って信ならざること、これが殷の亡びた所以です。已にこれを以て王に告げたのです」と。
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呂氏春秋・貴因②武王、人をして殷を候わしむ。反りて岐周に報じて曰く、「殷は其れ亂れたり。」武王曰く、「其の亂るるや焉にか至る。」對えて曰く、「讒慝、良に勝つ。」武王曰く、「尚ほ未だしきなり。」又復た往きて、反りて報じて曰く、「其の亂るること加われり。」武王曰く、「焉にか至る。」對えて曰く、「賢者出でて走れり。」武王曰く、「尚ほ未だしきなり。」又往き、反りて報じて曰く、「其の亂るること甚だし。」武王曰く、「焉にか至る。」對えて曰く、「百姓敢て誹怨せず。」武王曰く、「嘻。」遽く太公に告ぐ。太公對えて曰く、「讒慝、良に勝つを、命づけて戮と曰い、賢者の出で走るを、命づけて崩と曰い、百姓敢て誹怨せざるを、命づけて刑勝と曰う。其の亂るること至れり。以て駕うる可からず。」故に選車三百・虎賁三千、朝に甲子の期を要して、紂禽と為る。則ち武王は固より其の與に敵為る無きを知るなり。其の用うる所に因らば、何の敵か之れ有らん。
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呂氏春秋・貴因③武王鮪水に至る。殷、膠鬲をして周師を候わしむ。武王之を見る。膠鬲曰く、「西伯、將に何くに之かんとする。我を欺くこと無かれ。」武王曰く、「子を欺かず。將に殷に之かんとするなり。」膠鬲曰く、「朅か至らん。」武王曰く、「將に甲子を以て殷の郊に至らんとす。子、是を以て報ぜよ。」膠鬲行く。天雨りて、日夜休まず。武王疾く行きて輟めず。軍師皆諫めて曰く、「卒病まん。請う之を休めよ。」武王曰く、「吾已に膠鬲をして甲子の期を以て其の主に報ぜしむ。今甲子に至らずんば、是れ膠鬲をして信ならざらしむるなり。膠鬲信ならずんば、其の主必ず之を殺さん。吾疾く行くは、以て膠鬲の死せんとするを救わんとするなり。」武王果して甲子を以て殷の郊に至る。殷已に先に陳せり。殷に至り、因りて戰い、大いに之に克てり。此れ武王の義なり。人、人の欲する所を為し、己は人の惡む所を為さば、先に陳すれども何の益かあらん。適に武王をして耕やさずして穫せしむ。
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説苑・貴德武王殷に克ち、太公を召して問ひて曰く、「将に其の士衆を奈何にせんとするか」と。太公対へて曰く、「臣聞く、其の人を愛する者は屋上の烏をも兼ね、其の人を憎む者は其の余胥をも悪む、と。厥の敵を咸く劉し、余す有ら靡からしめんこと、何如」と。王曰く、「不可なり」と。太公出でて邵公入る。王曰く、「之を奈何にせんか」と。邵公対へて曰く、「罪有る者は之を殺し、罪無き者は之を活かさん、何如」と。王曰く、「不可なり」と。邵公出でて周公入る。王曰く、「之を奈何にせんか」と。周公曰く、「各々其の宅に居らしめ、其の田を田せしめ、旧新を変ずる無く、唯だ仁のみ是れ親しめ、百姓過ち有らば、予一人に在らん」と。武王曰く、「広大なるかな、天下を平らぐるや。凡そ士君子を貴ぶ所以の者は、其の仁にして徳有るを以てなり」と。
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呂氏春秋・不苟②武王、殷郊に至り、係墮す。五人、前に御し、肯て之を為す莫し。曰く、「吾の君に事うる所以の者は係に非ざるなり。」武王、左に白羽を釋き、右に黃鉞を釋き、勉めて自ら係を為す。孔子、之を聞きて曰く、「此の五人の者の王の為にする所以の者は佐なり。不肖の主の安んぜざる所なり。」故に天子にも細民に勝たざる者有り、天下にも千乘に勝たざる者有り。
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史記 殷本紀紂曰く、「我生まれて命の天に在る有らずや」と。祖伊反りて、曰く、「紂諫む可からず」と。西伯既に卒し、周の武王の東伐して、盟津に至る。諸侯の殷に叛きて周に会する者八百。諸侯皆曰く、「紂伐つ可し」と。武王曰く、「爾未だ天命を知らず」と。乃ち復た帰る。紂愈淫乱して止まず。微子数諫むるも聴かず、乃ち大師・少師と謀り、遂に去る。比干曰く、「人臣為る者は、死を以て争はざるを得ず」と。迺ち強ひて紂を諫む。紂怒りて曰く、「吾聞く、聖人の心に七竅有りと」と。比干を剖き、其の心を観る。箕子懼れ、乃ち詳狂して奴と為る。紂又之を囚ふ。殷の大師・少師乃ち其の祭楽器を持ちて周に奔る。周の武王是に於て遂に諸侯を率ゐて紂を伐つ。紂も亦兵を発して之を牧野に距ぐ。甲子の日、紂の兵敗る。紂走り、入りて鹿台に登り、其の宝玉の衣を衣て、火に赴きて死す。

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