呂氏春秋 / 務本③
古之事君者,必先服能然後任,必反情然後受。主雖過與,臣不徒取。大雅曰:“上帝臨汝,無貳爾心”,以言忠臣之行也。解在鄭君之問被瞻之義也,薄疑應衛嗣君以無重稅,此二士者皆近知本矣。
新字:古之事君者,必先服能然後任,必反情然後受。主雖過与,臣不徒取。大雅曰:“上帝臨汝,無貳爾心”,以言忠臣之行也。解在鄭君之問被瞻之義也,薄疑応衛嗣君以無重税,此二士者皆近知本矣。
書き下し
古の君に事えし者は、必ず先づ能に服して然る後任ず。必ず情に反りて然る後受く。主過與すと雖も、臣徒らには取らず。大雅に曰く、「上帝汝に臨めり、爾の心を貮にする無かれ。」以て忠臣の行いを言うなり。解は鄭君の被瞻の義を問い、薄疑の衛の嗣君に應うるに税を重くする無きを以てするに在り。此の二士は、皆本を知るに近し。
現代語訳
昔、君に仕えた者は、必ずまず能力を身につけてから任につき、必ず自分を省みてから禄を受けた。主君が過分に与えても、臣はいたずらに受け取らなかった。詩経の大雅に、上帝があなたに臨んでいる心を二つにしてはならない、とあり、これは忠臣の行いを言うのである。詳しい解説は、鄭君が被瞻に義について問うた話、薄疑が衛の嗣君に税を重くしないよう答えた話にある。この二人の士は、いずれも根本を知るに近い。
解説
この段は務本篇を締めくくり、臣下のあるべき根本を説きます。昔の忠臣は、まず能力を備えてから任につき、身を省みてから禄を受け、主君が過分に与えても受け取りすぎなかった、というのです。詩経大雅の心を二つにするなという句を引き、一途な忠誠を忠臣の行いと重ねます。鄭君が被瞻に義を問うた話、薄疑が衛の嗣君に減税を説いた話を、根本を知る例として挙げます。呂氏春秋は、分をわきまえ実力に応じて職と禄を受ける誠実さを重んじました。能力を備えてから任につき、分不相応な報酬を求めないという姿勢は、実力と誠実さを土台とする、現代の職業倫理にも通じます。
この章句が説くこと
務本忠臣能力と任禄詩経大雅薄疑
関連する章句
-
十七条憲法 第十五条私(わたくし)に背(そむ)き公(おおやけ)に向(むか)うは、是(こ)れ臣(しん)の道(みち)なり。凡(およ)そ人に私(わたくし)有れば必ず恨(うら)み有り。恨み有れば必ず同(どう)ぜず。同ぜざれば則(すなわ)ち私を以(もっ)て公(おおやけ)を妨(さまた)ぐ。情(じょう)を以て制(せい)に違(たが)い、法(ほう)を害(そこ)ない公を損(そこ)なう。故(ゆえ)に第一章(はじめのまき)に云(い)わく、上下(かみしも)和諧(わかい)せよと。それ亦(また)是(こ)の情(こころ)か。
-
十七条憲法 第八条群卿百寮(ぐんけいひゃくりょう)、早(つと)に朝(まい)りて晏(おそ)く退(しりぞ)け。公事(くじ)盬(しお)きこと靡(な)く、終日(ひねもす)にも尽(つ)くし難(がた)し。是(ここ)を以(もっ)て遅(おそ)く朝(まい)れば急(きゅう)に逮(およ)ばず、早く退(しりぞ)けば必(かなら)ずその功(こう)を尽(つ)くさず。
-
言志四録・南洲手抄凡そ事を作すには、須らく天に事ふるの心あるを要すべし。人に示すの念あるを要せず。
-
葉隠・聞書第二武士たる者は、武勇(ぶゆう)に大高慢(だいこうまん)をなし、死狂(しにぐる)ひの覚悟(かくご)が肝要(かんよう)なり。不断(ふだん)の心立(こころだ)て・物云(ものい)ひ・身の取廻(とりまわ)し、よろづ綺麗(きれい)にと心掛(こころが)け、嗜(たしな)むべし。奉公方(ほうこうかた)は其の位(くらい)を落着(おちつ)け、人によく談合(だんごう)し、大事のことは構(かま)はぬ人に相談し、一生の仕事は人の為になるばかりと心得(こころえ)、雑務方(ざつむかた)を知らぬがよし。
-
呂氏春秋・務本①嘗試に上古の記を觀るに、三王の佐、其の名榮ならざる者無く、其の實安からざる者無きは、功大なればなり。詩に云う、「晻たる有りて淒淒たり、雲を興すこと祁祁たり、我が公田に雨ふり、遂に我が私に及ぶ。」三王の佐は、皆能く公を以て其の私に及ぶ。俗主の佐は、其の名實を欲すること、三王の佐と同じくして、其の名辱められざる者無く、其の實危うからざる者無きは、公無きが故なり。皆其の身の國に貴からざるを患えて、其の主の天下に貴からざるを患えざるなり。皆其の家の富まざるを患えて、其の國の大ならざるを患えず。此れ榮を欲して愈々辱められ、安きを欲して益々危き所以なり。安危榮辱の本は主に在り、主の本は宗廟に在り、宗廟の本は民に在り、民の治亂は有司に在り。易に曰く、「復ること道に自る、何ぞ其れ咎あらん、吉なり。」以て本異なること無ければ則ち動きて卒に喜び有るを言うなり。今官に處れば則ち荒亂し、財に臨めば則ち得るを貪ぼり、近きに列すれば則ち諫を持し、衆を將いれば則ち罷怯なり。此を以て厚く主に望むは、豈に難からずや。
-
呂氏春秋・務本②今此に人有り、修身會計すれば則ち恥づ可く、財物資盡に臨めば、則ち己の為にす。此くの若くにして富む者は、盜に非ざれば則ち取る所無し。故に榮富は自ら至るに非ざるなり。功伐に縁るなり。今功伐甚だ薄くして望む所厚きは、誣なり。功伐無くして榮富を求むるは、詐なり。詐誣の道は、君子由いず。人の議に多く曰く、「上、我を用うれば、則ち國必らず患無からん。」己を用うる者未だ必らずしも是ならざれば、其の身自ら賢とするに若くは莫し。而し己猶ほ患い有らば、己を國に用うるに、惡くんぞ患い無きを得んや。己は制する所なり。其の制する所を釋てて、其の制せざる所に奪わるるは誖れり。未だ國を治め官を治むるを得ざるも可なり。若し夫れ內は親に事え、外は友に交わるは、必ず得可きなり。苟しくも親に事えて未だ孝ならず、友に交わりて未だ篤からざれば、是れ未だ得ざる所のもの、惡くんぞ能く之を善くせん。故に人を論ずるには、其の未だ得ざる所を以てすること無くして、其の已に得る所を用てすれば、以て其の未だ得ざる所を知る可し。