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呂氏春秋 / 務本②

今有人於此,修身會計則可恥,臨財物資盡則為己,若此而富者,非盜則無所取。故榮富非自至也,緣功伐也。今功伐甚薄而所望厚,誣也;無功伐而求榮富,詐也;詐誣之道,君子不由。人之議多曰:“上用我則國必無患。”用己者未必是也,而莫若其身自賢,而己猶有患,用己於國,惡得無患乎?己,所制也,釋其所制,而奪乎其所不制,誖,未得治國治官可也。若夫內事親,外交友,必可得也。苟事親未孝,交友未篤,是所未得,惡能善之矣?故論人無以其所未得,而用其所已得,可以知其所未得矣。

新字:今有人於此,修身会計則可恥,臨財物資尽則為己,若此而富者,非盗則無所取。故栄富非自至也,縁功伐也。今功伐甚薄而所望厚,誣也;無功伐而求栄富,詐也;詐誣之道,君子不由。人之議多曰:“上用我則国必無患。”用己者未必是也,而莫若其身自賢,而己猶有患,用己於国,悪得無患乎?己,所制也,釈其所制,而奪乎其所不制,誖,未得治国治官可也。若夫內事親,外交友,必可得也。苟事親未孝,交友未篤,是所未得,悪能善之矣?故論人無以其所未得,而用其所已得,可以知其所未得矣。

書き下し

今此に人有り、修身會計すれば則ち恥づ可く、財物資盡に臨めば、則ち己の為にす。此くの若くにして富む者は、盜に非ざれば則ち取る所無し。故に榮富は自ら至るに非ざるなり。功伐に縁るなり。今功伐甚だ薄くして望む所厚きは、誣なり。功伐無くして榮富を求むるは、詐なり。詐誣の道は、君子由いず。人の議に多く曰く、「上、我を用うれば、則ち國必らず患無からん。」己を用うる者未だ必らずしも是ならざれば、其の身自ら賢とするに若くは莫し。而し己猶ほ患い有らば、己を國に用うるに、惡くんぞ患い無きを得んや。己は制する所なり。其の制する所を釋てて、其の制せざる所に奪わるるは誖れり。未だ國を治め官を治むるを得ざるも可なり。若し夫れ內は親に事え、外は友に交わるは、必ず得可きなり。苟しくも親に事えて未だ孝ならず、友に交わりて未だ篤からざれば、是れ未だ得ざる所のもの、惡くんぞ能く之を善くせん。故に人を論ずるには、其の未だ得ざる所を以てすること無くして、其の已に得る所を用てすれば、以て其の未だ得ざる所を知る可し。

現代語訳

今ここに人がいて、身を修め会計を正せば恥をかき、財物を使い尽くすときには自分のためにするというなら、こうして富む者は、盗みでなければ手に入れようがない。ゆえに栄えや富はひとりでに至るのではなく、功績によって得られる。今、功績がごく薄いのに望みが厚いのは、いつわり(誣)である。功績がないのに栄富を求めるのは、いつわり(詐)である。詐や誣の道を、君子は用いない。人の議論に多く、上が自分を用いれば国は必ず憂いがなくなる、というが、自分を用いる者が必ずしも正しいとは限らないなら、自分自身を賢くするに越したことはない。それでも自分になお憂いがあるなら、自分を国政に用いてどうして憂いがなくせよう。自分は自分で制御できるものだ。その制御できるものを捨てて、制御できないものに心を奪われるのは、道理に背く。まだ国や官を治められなくてもよい。だが内では親に仕え、外では友と交わることは、必ずできるはずだ。もし親に仕えて孝でなく、友と交わって篤くないなら、それはまだできていないことで、どうして国政をうまくできようか。ゆえに人を評価するには、まだできていないことでなく、すでにできていることによって見れば、まだできていないことも推し量れる。

解説

この段は、栄えや富は功績あってこそだと説き、実のない栄達を戒めます。功が薄いのに多くを望むのは誣すなわちいつわり、功がないのに栄富を求めるのは詐すなわちいつわりであり、君子は用いない。人はよく、自分を登用すれば国は安泰と言うが、まず自分自身を修めよ、と説きます。国政という制御しにくいものより、親への孝や友との交わりという身近で確実なことを、まず全うせよというのです。人を評価するにも、できていることから推し量れと述べます。呂氏春秋は、身近な実践から根本を固めることを重んじました。大言を並べる前に足元の務めを果たせという教えは、実績と自己修養を評価の土台とする、現代の生き方にも通じます。

この章句が説くこと

務本功伐栄富詐誣修身孝と交友

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