葉隠 / 聞書第二
武士は武勇に大高慢で死狂ひの覺悟が肝要、よろづ綺麗に武士たる者は、武勇に大高慢をなし、死狂ひの覺悟が肝要なり。不斷の心立て物云ひ、身の取廻し、よろづ綺麗にと心掛け、嗜むべし。奉公方は其の位を落着け、人によく談合し、大事のことは構はぬ人に相談し、一生の仕事は人の爲になるばかりと心得、雜務方を知らぬがよし。
新字:武士は武勇に大高慢で死狂ひの覺悟が肝要、よろづ綺麗に武士たる者は、武勇に大高慢をなし、死狂ひの覺悟が肝要なり。不断の心立て物云ひ、身の取廻し、よろづ綺麗にと心掛け、嗜むべし。奉公方は其の位を落着け、人によく談合し、大事のことは構はぬ人に相談し、一生の仕事は人の為になるばかりと心得、雑務方を知らぬがよし。
書き下し
武士たる者は、武勇(ぶゆう)に大高慢(だいこうまん)をなし、死狂(しにぐる)ひの覚悟(かくご)が肝要(かんよう)なり。不断(ふだん)の心立(こころだ)て・物云(ものい)ひ・身の取廻(とりまわ)し、よろづ綺麗(きれい)にと心掛(こころが)け、嗜(たしな)むべし。奉公方(ほうこうかた)は其の位(くらい)を落着(おちつ)け、人によく談合(だんごう)し、大事のことは構(かま)はぬ人に相談し、一生の仕事は人の為になるばかりと心得(こころえ)、雑務方(ざつむかた)を知らぬがよし。
現代語訳
武士たる者は、武勇にかけては大いに高慢であってよく、死に物狂いの覚悟こそが肝要である。日頃の心構え、物言い、身のこなし——万事を清潔にと心掛け、慎み深くあるべきだ。奉公のうえでは自分の身の程を落ち着けてわきまえ、人とよく相談し、大事なことは利害の絡まぬ第三者に相談し、一生の仕事は人のためになることばかりだと心得て、こまごました損得勘定などは知らぬくらいでよい。
解説
武士の理想像を凝縮した一条です。武勇に関してだけは「大高慢」であれ——つまり誇り高く己を恃め、といい、その裏づけとして死に物狂いの覚悟を置きます。一方で日常のふるまいは「よろづ綺麗に」、つまり言葉も所作も清く整え、慎み深くあれと説く。剛と潔さの両立が武士の姿だというのです。死狂いの覚悟という表現には現代と隔たる激しさもありますが、本質は自分の誇りの持ち場を武勇(本分)に絞り、細かな損得には拘泥せず、人のために働くという清々しい生き方にあります。誇るべきところで誇り、身辺を潔く保つ——今日の職業倫理にも通じる姿勢です。
この章句が説くこと
葉隠武勇覚悟誇り潔さ身の処し方
関連する章句
-
葉隠・聞書第一途中にて俄雨にあひて、濡れじとて道を急ぎ走り、軒下などを通りても、濡る〳〵事は替らざるなり。初より思ひはまりて濡る〳〵時、心に苦しみなく濡る〳〵事は同じ。これ萬づにわたる心得なり。
-
葉隠・聞書第一何某申し候は、「しほがれ浪人などと云ふは難儀千萬此の上なき樣に皆人思うて、其の期には殊の外しほがれ草臥る〳〵事なり。浪人して後は左程にはなきものなり。今一度浪人仕度し。」と云ふ。尤もの事なり。死の道も、平生に死習うては、心安く死ぬべき事なり。奉公人の打留は浪人切腹に極りたると、兼ねて覺悟すべきなり。災難は前方了簡したる程には無きものなるを、先を量つて苦しむは愚かなる事なり。
-
論語 公冶長篇子曰:『士而懷居、不足以為士矣。』
-
論語 憲問篇子曰:士而懷居,不足以為士矣。
-
葉隠・聞書第一打返しは踏懸けて切殺さるゝ迄、赤穗義士の敵討は延びゝ。打返しの仕樣は、踏懸けて切殺さるゝ迄なり。これにて恥にならぬなり。仕果すべしと思ふ故、間に合はず。向は大勢などと云ひて時を移し、しまり止めになる相談に極まるなり。相手何千人もあれ、片端より撫切と思ひ定めて、立向ふ迄にて成就なり。多分仕濟ますものなり。又淺野殿浪人夜討も、泉岳寺にて腹切らぬが落度なり。又主を討たせて、敵を討つ事延びゝなり。若し、その内に吉良殿病死の時は殘念千萬なり。上方衆は智慧かしこき故、褒めらるゝ仕樣は上手なれども、長崎喧嘩の樣に無分別にする事はならぬなり。又曾我殿夜討も殊の外の延引。幕の紋見物の時、祐成圖をはづしたり。不運の事なり。五郎申樣見事なり。總じて斯樣の批判はせぬものなれども、これも武道の吟味なれば申すなり。前方に吟味して置かねば、行當りて分別出來合はぬ故、大かた恥になり候。話を聞覺え、物の本を見るも、かねての覺悟のためなり。就中、武道は今日の事も知らずと思ひて、日々夜々に簡條を立てゝ吟味すべき事なり。時の行掛りにて勝負はあるべし。恥をかゝぬ仕樣は別なり。死ぬ迄なり。これには智慧も業も入らぬなり。死ぬ迄といふは勝負を考へず、無二無三に死狂ひするばかりなり。これにて夢覺むるなり。
-
葉隠・聞書第一古人の覺悟は深き事なり。十三以上六十以下出陣と云ふ事あり。それ故に、古老は年をかくすといへり。