呂氏春秋 / 知分④
晏子與崔杼盟,其辭曰:「不與崔氏而與公孫氏者受其不祥」。晏子俛而飲血,仰而呼天曰:「不與公孫氏而與崔氏者受此不祥。」崔杼不說,直兵造胸,句兵鉤頸,謂晏子曰:「子變子言,則齊國吾與子共之;子不變子言,則今是已。」晏子曰:「崔子!子獨不為夫詩乎?《詩》曰:『莫莫葛藟,延于條枚,凱弟君子,求福不回。』嬰且可以回而求福乎?子惟之矣。」崔杼曰:「此賢者,不可殺也。」罷兵而去。晏子授綏而乘,其僕將馳,晏子無良其僕之手曰:「安之!毋失節。疾不必生,徐不必死。鹿生於山而命懸於廚。今嬰之命,有所懸矣。」晏子可謂知命矣。命也者,不知所以然而然者也,人事智巧以舉錯者不得與焉。故命也者,就之未得,去之未失。國士知其若此也,故以義為之決而安處之。
新字:晏子与崔杼盟,其辞曰:「不与崔氏而与公孫氏者受其不祥」。晏子俛而飲血,仰而呼天曰:「不与公孫氏而与崔氏者受此不祥。」崔杼不説,直兵造胸,句兵鉤頸,謂晏子曰:「子変子言,則斉国吾与子共之;子不変子言,則今是已。」晏子曰:「崔子!子独不為夫詩乎?《詩》曰:『莫莫葛藟,延于条枚,凱弟君子,求福不回。』嬰且可以回而求福乎?子惟之矣。」崔杼曰:「此賢者,不可殺也。」罷兵而去。晏子授綏而乗,其僕将馳,晏子無良其僕之手曰:「安之!毋失節。疾不必生,徐不必死。鹿生於山而命懸於廚。今嬰之命,有所懸矣。」晏子可謂知命矣。命也者,不知所以然而然者也,人事智巧以舉錯者不得与焉。故命也者,就之未得,去之未失。国士知其若此也,故以義為之決而安処之。
書き下し
晏子、崔杼と盟い、其の辭に曰く、「崔氏に與せずして、公孫氏に與する者は、其の不祥を受けん。」。晏子俛して血を飲み、仰ぎて天を呼びて曰く、「公孫氏に與せずして崔氏に與する者は、此の不祥を受けん。」崔杼、說ばず。直兵胸に造り、句兵頸に鉤し、晏子に謂いて曰く、「子、子の言を變ずれば、則ち齊國は吾と子と之を共にせん。子、子の言を變ぜずんば、則ち今是れのみ。」晏子曰く、「崔子、子獨り夫の詩を為めざるか。詩に曰く、『莫莫たる葛藟は、條枚に延えり。凱弟の君子は、福を求めて回わず。』嬰は且た回うを以て福を求む可けんや。子之を惟え。」崔杼曰く、「此れ賢者なり。殺す可からざるなり。」兵を罷めて去る。晏子、綏を援りて乘る。其の僕將に馳せんとす。晏子、其の僕の手を撫して曰く、「之を安らかにせよ。節を失うこと毋かれ。疾きも必ずしも生きず、徐きも必ずしも死せず。鹿は山に生まるれども、命は厨に懸かる。今嬰の命、懸かる所有り。」晏子、命を知ると謂う可し。命なる者は、然る所以を知らずして然る者なり。人、智巧を事として以て舉錯するも、與るを得ず。故に命なる者は、之に就くとも未だ得ず、之を去るとも未だ失わず。國士は其の此の若きを知るなり。故に義を以て之が決を為して之に安處す。
現代語訳
晏子は崔杼と盟約を結んだ。その誓いの言葉は「崔氏に味方せず公孫氏(斉の公室)に味方する者は、その災いを受けよ」というものだった。晏子はうつむいて血をすすり、天を仰いで叫んだ、「公孫氏に味方せず崔氏に味方する者は、この災いを受けよ」。崔杼は喜ばず、矛を胸に突きつけ戟を首に引っかけて、晏子に言った、「お前が言葉を変えれば、斉の国はお前と分け合おう。言葉を変えなければ、今この場で終わりだ」。晏子は言った、「崔子よ、あなたはあの詩を学ばなかったのか。詩に『生い茂る葛かずらは枝に絡む。楽しく和らぐ君子は、福を求めて道に背かない』とある。この嬰(晏子)が、道に背いて福を求めてよいものか。よく考えられよ」。崔杼は「これは賢者だ、殺してはならぬ」と言い、兵を収めて去った。晏子は綱を取って車に乗った。御者が馬を駆けさせようとすると、晏子はその手を撫でて言った、「落ち着けよ、節度を失うな。速く走っても必ず生きるとは限らず、ゆっくりでも必ず死ぬとは限らない。鹿は山に生まれても、その命は厨房にかかっている。今この嬰の命も、かかるべきところにかかっているのだ」。晏子は命を知る者と言えよう。命というものは、なぜそうなるかわからずにそうなるものだ。人が知恵や技巧で立ち回っても、あずかることはできない。だから命というものは、就こうとしても得られず、去ろうとしても失われない。国士はこのことを知っている。だから義によって決断を下し、安んじてそこに身を処するのだ。
解説
この章句が説くこと
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『弁名』義古は詩書を以て義の府と為す。書は帝王の大訓にして、万世奉じて以て道と為す。而して其の片辞隻言、援きて以て事を断ずるに足る。故に之を義の府と謂ふ者、亦た然らずや。詩の義の府為るに至りては、則ち人多く其の解に難む。夫れ古の詩は、猶ほ今の詩のごときなり。其の言は人情を主とす。豈に義理の言ふべき有らんや。後儒以て勧善懲悪の設と為す者は、皆其の解を得ざる者の言なり。蓋し先王の道は、人情に縁りて以て之を設く。苟も人情を知らずんば、安んぞ能く天下に通行して窒碍する所有ること莫からんや。学者能く人情を知りて、而る後に書の義神明変化す。故に詩を以て義の府と為す者は、必ず書を併せて之を言ふのみ。是れ先王の教の妙為る所以なり。豈に浅智の能く知る所ならんや。
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『弁名』義人多く礼の先王の礼為るを知りて、義も亦た先王の義為るを知らず。故に其の解皆通ぜず。蓋し義は道の分なり。千差万別、各〻宜しき所有り。故に曰く、「義は宜なり」と。先王既に其の千差万別なる者を以て、制して以て礼と為す。学者猶ほ其の之を制する所以の意を伝ふ。是れ所謂礼の義なり。而して其の空言を以て伝ふる者、是れ所謂義なり。故に礼義は皆古より之を伝ふ。豈に先王の義に非ずや。
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『五常訓』巻之四・義是行ふ所は善にして、王道に似たれども、内心には、国土を得んと思へる利欲ありて、偽て仁義を行へるなり。是を覇道と云ふ。斉の桓公、晋の文公などの行へるわざなり。是亦義と利とのわかちなり。学者のなす所も、是に同じ。孔子曰く、古の学者は己の為にす。是ひとへに、身ををさめん為にせし学問にて、義なり。又曰く、今の学者は人の為にす。是人にほめられ、名を得んためにする学問なれば、利なり。しかれば、王伯のわかちも、君子小人の分も、学問の実否も、皆義と利との二よりわかる。
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『春秋左氏伝』昭公三年 趙文子、州を取らず夏、四月、鄭伯晉に如く。公孫段相たり。甚だ敬にして卑し、禮違ふ者無し。晉侯焉を嘉し、之に授くるに策を以ってして曰く、「子豐晉國に勞有り。余聞きて忘れず。女に州の田を賜ひ、以って乃(なんぢ)の舊勳に胙(むく)いん」と。伯石再拜稽首し、策を受けて以って出づ。君子曰く、「禮は其れ人の急なるか。伯石の汏(おご)れるや、一たび晉に禮を為して、猶ほ其の祿を荷ふ。況んや禮を以って終始するをや。詩に曰く、『人にして禮無くんば、胡ぞ遄やかに死せざる』と。其れ是を之れ謂ふか」と。初め、州縣は欒豹の邑なり。欒氏亡ぶるに及び、范宣子・趙文子・韓宣子、皆之を欲す。文子曰く、「溫は吾が縣なり」と。二宣子曰く、「郤稱より以って別れて三傳す。晉の別縣は、唯だ州のみならず。誰か獲て之を治めん」と。文子之を病み、乃ち之を舍つ。二子曰く、「吾以って正議して自ら與ふ可からず」と。皆之を舍つ。文子政を為すに及び、趙獲曰く、「以って州を取る可し」と。文子曰く、「退け。二子の言は義なり。義に違ふは禍なり。余は余が縣を治むる能はず、又焉んぞ州を用ゐん。其れ以って禍を徼(まね)かん。君子曰く、『知らざるは實に難し。知りて從はざるは、禍焉より大なるは莫し』と。州を言ふ有らば必ず死せん」と。豐氏は故(もと)より韓氏に主たり。伯石の州を獲るや、韓宣子之が為に之を請ふ。其の復た之を取るが為の故なり。
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『講孟余話』盡心上 第三十四章是れ上章「其の有に非ずして之を取るは義に非ず」と云ふに因りて、陳仲子の義、大義とするに足らず、只是れ簞食豆羹を舎つるの義なるを云ふ。陳仲子の事は、滕文公下篇末章に詳らかなり。仲子兄を避け母を離れ、吾が禄を食はず、これ親戚・君臣・上下を亡みするなり。已に人の大倫を外したる人なれば、他の小義は復た云ふに足る者なし。今斉国大なる如しと云へども、畢竟簞食豆羹と異なることなし。孟子論ずる所は物の大小に非ず、乃ち義の大小なり。是れを以て知るべし、聖人は人倫の至りにて、聖人の道は又人倫を以て大綱とす。受与の際に至りては、特に其の細目のみ。夷・斉の餓死する如くにして君臣の義あり、匡章の養はれざる如くにして、却つて父子の親ありと知るべし。
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『武士訓』卷三・第6段たとえば。人ありて。命を千貫萬貫にかへんかといふとも。かゆるものあるべからず。さほど大切なる命なれども。義によつて拋こと。塵よりも輕し。しかるときは。義ほどにおもきもの。世にあるべからず。源致雄歌に「いのちをばかろきになしてものゝふの道よりおもき道やらめやは(風雅集に見えたり。)

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