呂氏春秋 / 簡選⑥
吳闔廬選多力者五百人,利趾者三千人,以為前陣,與荊戰,五戰五勝,遂有郢。東征至于庳廬,西伐至於巴、蜀,北迫齊、晉,令行中國。
新字:呉闔廬選多力者五百人,利趾者三千人,以為前陣,与荊戦,五戦五勝,遂有郢。東征至于庳廬,西伐至於巴、蜀,北迫斉、晋,令行中国。
書き下し
吳の闔廬は、多力の者五百人、利趾の者三千人を選びて、以て前陳と為し、荊と戰い、五たび戰い五たび勝ち、遂に郢を有つ。東征して庳廬に至り、西伐して巴・蜀に至り、北のかた齊・晉に迫り、令、中國に行わる。
現代語訳
呉の闔廬は、力の強い者五百人、足の速い者三千人を選んで前陣とし、楚(荊)と戦って五戦五勝し、ついに郢を我がものとした。東は庳廬まで征し、西は巴・蜀まで討ち、北は斉・晋に迫り、その命令は中国に行き渡った。
解説
この段は、呉の闔廬が力自慢の者と俊足の者をそれぞれ選抜して前陣とし、楚に連勝してその都である郢を落とした武功を語ります。兵一人ひとりの適性を見極めて配置した精鋭により、五戦五勝という圧倒的な戦果を挙げ、四方に威を広げました。適材適所の選抜が勝利を支えた実例です。個々の特性を丁寧に見極めて最適な役割に配置するというこの発想は、現代の適材適所の人材配置や、強みを生かしたチーム編成の考え方にそのまま通じます。
この章句が説くこと
呉闔廬郢荊前陣適材適所簡選
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