呂氏春秋 / 音律②
大聖至理之世,天地之氣,合而生風,日至則月鐘其風,以生十二律。仲冬日短至,則生黃鐘。季冬生大呂。孟春生太蔟。仲春生夾鐘。季春生姑洗。孟夏生仲呂。仲夏日長至,則生蕤賓。季夏生林鐘。孟秋生夷則。仲秋生南呂。季秋生無射。孟冬生應鐘。天地之風氣正,則十二律定矣。
新字:大聖至理之世,天地之気,合而生風,日至則月鐘其風,以生十二律。仲冬日短至,則生黄鐘。季冬生大呂。孟春生太蔟。仲春生夾鐘。季春生姑洗。孟夏生仲呂。仲夏日長至,則生蕤賓。季夏生林鐘。孟秋生夷則。仲秋生南呂。季秋生無射。孟冬生応鐘。天地之風気正,則十二律定矣。
書き下し
大聖の至理の世、天地の氣、合して風を生ず。日至れば則ち月ごとに其の風を鐘め、以て十二律を生ず。仲冬日短かきこと至れば、則ち黃鐘を生じ、季冬は大呂を生じ、孟春は太蔟を生じ、仲春は夾鐘を生じ、季春は姑洗を生じ、孟夏は仲呂を生じ、仲夏日長きこと至れば、則ち蕤賓を生じ、季夏は林鐘を生じ、孟秋は夷則を生じ、仲秋は南呂を生じ、季秋は無射を生じ、孟冬は應鐘を生ず。天地の風氣正しければ、則ち十二律定まる。
現代語訳
大聖人が至高の治を行う世では、天地の気が合わさって風を生じる。日が至れば月ごとにその風を集め、それによって十二律を生じる。仲冬に昼が最も短くなれば黄鐘を生じ、季冬は大呂、孟春は太蔟、仲春は夾鐘、季春は姑洗、孟夏は仲呂を生じ、仲夏に昼が最も長くなれば蕤賓を生じ、季夏は林鐘、孟秋は夷則、仲秋は南呂、季秋は無射、孟冬は応鐘を生じる。天地の風気が正しければ、十二律は定まる。
解説
この段は、十二律が天地の気の運行から生まれるとする思想を述べています。季節ごとに天地の気が風となって現れ、それに応じて各月に対応する律が生じるとされます。冬至の黄鐘、夏至の蕤賓を軸に、十二の月と十二の律が一対一で対応づけられます。音律を自然の運行と結びつけ、正しい政治のもとで天地の気が整えば律も正しく定まるという、天人相応の世界観がここにあります。自然のリズムと人為の秩序を一体でとらえるこの発想は、季節や環境の周期に合わせて営みを整える現代の姿勢にも通じます。
この章句が説くこと
十二律風気冬至夏至天人相応黄鐘
関連する章句
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呂氏春秋・音律③黃鐘の月は、土事作すこと無く、慎みて蓋を發する無く、以て天を固め地を閉づ。陽氣且に泄れんとすればなり。大呂の月は、數將に終わりに幾からんとし、歲且に更め起こらんとす。而ち農民、使う所有る無かれ。太蔟の月は、陽氣始めて生じ、草木繁動す。農をして土を發せしめて、時を失うこと或る無かれ。夾鐘の月は、寬裕和平にして、德を行い刑を去り、事を作して、以て群生を害すること或る無かれ。姑洗の月は、道を達し路を通じ、溝瀆修利す。此の令を申ぶれば、嘉氣趣やかに至る。仲呂の月、大衆を聚むること無く、巡りて農事を勸む。草木方に長ず、民心を攜つこと無かれ。蕤賓の月、陽氣上に在り、壯を安んじ佼を養う。本朝靜かならざれば、草木早く槁る。林鐘の月、草木盛んに滿ち、陰將に刑を始めんとす。大事を發して、以て陽氣を將うこと無かれ。夷則の月、法を修め刑を飭し、士を選び兵を厲ぎ、不義を詰誅して、以て遠方を懷けよ。南呂の月、蟄蟲穴に入る。農を趣して收聚し、敢て懈怠すること無く、多きを以て務と為す。無射の月、疾く有罪を斷じ、法に當りて赦すこと勿れ。獄訟を留むること無く、以て亟やかなるを故と以てす。應鐘の月、陰陽通ぜず、閉じて冬と為る。喪紀を修別し、民の終る所を審らかにせよ。
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五行大義・第十五論律呂黄鐘の気は子に在り、十一月焉(ここ)に建つ。その辰は星紀に在り。下りて林鐘を生ず。林鐘の数は五十四、気は未に在り、六月焉に建つ。その辰は鶉火(じゅんか)。上りて大蔟を生ず。大蔟の数は七十二、気は寅に在り、正月焉に建つ。その辰は諏訾(しゅし)。下りて南呂を生ず。南呂の数は四十八、気は酉に在り、八月焉に建つ。その辰は寿星。上りて姑洗を生ず。姑洗の数は六十四、気は辰に在り、三月焉に建つ。その辰は大梁。下りて応鐘を生ず。応鐘の数は四十二、気は亥に在り、十月焉に建つ。その辰は析木(せきぼく)。上りて蕤賓を生ず。蕤賓の数は五十六、気は午に在り、五月焉に建つ。その辰は鶉首。上りて大呂を生ず。大呂の数は七十六、気は丑に在り、十二月焉に建つ。その辰は玄枵(げんきょう)。下りて夷則を生ず。夷則の数は五十一、気は申に在り、七月焉に建つ。その辰は鶉尾。上りて夾鐘を生ず。夾鐘の数は六十八、気は卯に在り、二月焉に建つ。その辰は降婁(こうろう)。下りて無射を生ず。無射の数は四十五、気は戌に在り、九月焉に建つ。その辰は大火。上りて中呂を生ず。中呂の数は六十、気は巳に在り、四月焉に建つ。その辰は実沈。辰と建とは、交錯して表裏を為す。即ちその合なり。然るに相生は乾坤の六体を以てこれを為す。黄鐘は初九、下りて林鐘を生ず。初六、又上りて大蔟を生ず。『楽緯』に云う、黄鐘は中宮、数は八十一。天一・地二・人三の数を以て、以て律を増減し、五音を成す。中和の気なり。増して上生を治め、減じて下生を治む。上生とは、三分して一を益す。下生とは、三分して一を減ず。益すとは、四を以てこれに乗じ、三を以てこれを除す。減ずとは、二を以てこれに乗じ、三を以てこれを除す、と。『三礼義宗』に云う、
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呂氏春秋・音律①黃鐘は林鐘を生じ、林鐘は太蔟を生じ、太蔟は南呂を生じ、南呂は姑洗を生じ、姑洗は應鐘を生じ、應鐘は蕤賓を生じ、蕤賓は大呂を生じ、大呂は夷則を生じ、夷則は夾鐘を生じ、夾鐘は無射を生じ、無射は仲呂を生ず。生ずる所を三分して、之に一分を益して以て上生し、生ずる所を三分して、其の一分を去りて以て下生す。黃鐘・大呂・太蔟・夾鐘・姑洗・仲呂・蕤賓を上と為し、林鐘・夷則・南呂・無射・應鐘を下と為す。
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五行大義・第十五論律呂『春秋元命苞』に云う、律の言たるや率なり、と。『続漢書』に云う、律は術なり、と。『律書』に云う、呂は序なり。四時の気を序述し、十二月の位を定むるなり、と。陰陽各々六、合して十二有り。陽の六を律と為し、陰の六を呂と為す。律の六とは、黄鍾(こうしょう)・大蔟(たいそう)・姑洗(こせん)・蕤賓(すいひん)・夷則(いそく)・無射(ぶえき)なり。呂の六とは、林鐘(りんしょう)・南呂(なんりょ)・応鐘(おうしょう)・大呂(たいりょ)・夾鐘(きょうしょう)・仲呂(ちゅうりょ)なり。『史記』に云う、律暦は、天の五行八正の気を運らし、万物を成熟する所以なり、と。『帝王世紀』に云う、黄帝、伶倫(れいりん)をして大夏の西、崑崙(こんろん)の陰に於いて、竹を解谷に取らしむ。その竅(あな)厚く均しき者、両節の間を断ちてこれを吹き、以て黄鐘の管と為し、以て鳳の鳴くに象る。雌雄各々六、以て律呂を定め、以て星次を分かつ、と。伶洲鳩(れいしゅうきゅう)曰く、律は均を立て度を出だす所以なり。故に云う、紀すに三を以てし、平らぐに六を以てし、成すに十二を以てす、天の道なり、と。此れ六中の元なり。古の神瞽(しんこ)は、中声を考えてこれを量り、以て度律を制し、鐘を均しくす、故に黄鐘と名づく。六気を宣養する所以なり。二に曰く太蔟、金奏する所以にして、乃ち陽を賛けて滞りを出だす。三に曰く姑洗、百物を脩潔し、神を考え賓を納るる所以なり。四に曰く蕤賓、神人を安静し、献酬交酢する所以なり。五に曰く夷則、九則を詠歌し、民を平らかにして弐(ふたごころ)無からしむる所以なり。六に曰く無射、哲人の令徳を宣布し、民に軌儀を示す所以なり。これが六間を為し、以て沈伏を揚げて散越を黜(しりぞ)く。元間は大呂、物を宣ぶるを助くるなり。
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五行大義・第十五論律呂旅して去るなり、と。『三礼義宗』に云う、呂は助なり。十二月は陽方に生長し、陰気これを助く。生育の功、その道広大なり、と。故に一に云う、呂は侶なり。陽と侶を為し、対して万物を生ず、と。大蔟は、万物始めて大にして、地に湊(あつま)りて出づるを言うなり。『淮南子』に云う、万物蔟(あつま)りて未だ出でざるなり、と。『三礼義宗』に云う、蔟は湊の義なり。正月の時、万物始めて大にして、地に蔟りて出づ、と。夾鐘とは、万物孚甲(ふこう)して種類出づるを言うなり。『淮南子』に云う、種始めて夾(はさ)まるなり、と。『三礼義宗』に云う、夾は佐なり。二月の中、物未だ尽くは出でず、陰、陽気を佐けて、時に応じて出でしむ、と。一に云う、夾は俠(はさ)むなり。万物孚甲の為に俠まれ、此に至りて方に解け、鐘応じて出づるを言う、と。姑洗とは、姑は古なり、洗は鮮なり。万物故きを去り新しきに就き、鮮明ならざる莫きなり。『淮南子』に云う、姑洗は陳(ふる)き去りて新しき来るなり、と。『三礼義宗』に云う、姑は枯なり。洗濯の義なり。三月、物生じて新潔、その枯を洗除するなり、と。中呂とは、万物中に当たりて皆出づるなり。『淮南子』に云う、中は宛(えん)なり、と。『三礼義宗』に云う、呂は距難の義なり。陰出でんと欲し、陽気中に在りてこれを距執するを言う、と。一に云う、呂とは、四月の時、陽気盛長し、陰の功を助くること微なり、故に爾(しか)云う、と。蕤賓とは、蕤は下なり、賓は敬なり。陽気下降す、故にこれを敬するを言うなり。『淮南子』に云う、
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『淮南子』天文訓道を規と曰う。一に始まる。一にして生ぜず。故に分かれて陰陽と為り、陰陽合和して萬物生ず。故に曰く、一は二を生じ、二は三を生じ、三は萬物を生ず、と。天地は三月にして一時と為す。故に祭祀は三飯して以て禮と為し、喪紀は三踊して以て節と為し、兵は三罕を重んじて以て制と為す。三を以て物を參し、三三は九の如し。故に黃鐘の律は九寸にして宮音調う。因りて之を九すれば、九九八十一。故に黃鐘の數立つ。黃なる者は、土德の色なり。鐘なる者は、氣の種うる所なり。日冬至に德氣は土と為り、土の色は黃なり。故に黃鐘と曰う。律の數は六、分かれて雌雄と為る。故に十二鐘と曰い、以て十二月に副う。十二は各ミ三を以て成る。故に一を置きて十一たび、之を三すれば、積分十七萬七千一百四十七と為り、黃鐘の大數立つ。凡そ十二律、黃鐘を宮と為し、太蔟を商と為し、姑洗を角と為し、林鐘を徵と為し、南呂を羽と為す。物は三を以て成り、音は五を以て立つ。三と五とは八の如し。故に卵生の者は八竅なり。律の初めて生ずるや、鳳の音を寫す。故に音は八を以て生ず。黃鐘を宮と為す。宮なる者は、音の君なり。故に黃鐘は子に位し、其の數は八十一、十一月を主り、下りて林鐘を生ず。林鐘の數は五十四、六月を主り、上りて太蔟を生ず。太蔟の數は七十二、正月を主り、下りて南呂を生ず。南呂の數は四十八、八月を主り、上りて姑洗を生ず。姑洗の數は六十四、三月を主り、下りて應鐘を生ず。應鐘の數は四十二、十月を主り、上りて蕤賓を生ず。蕤賓の數は五十七、五月を主り、上りて大呂を生ず。大呂の數は七十六、十二月を主り、下りて夷則を生ず。夷則の數は五十一、七月を主り、上りて夾鐘を生ず。夾鐘の數は六十八、二月を主り、下りて無射を生ず。無射の數は四十五、九月を主り、上りて仲呂を生ず。仲呂の數は六十、四月を主り、極まりて生ぜず。徵は宮を生じ、宮は商を生じ、商は羽を生じ、羽は角を生じ、角は姑洗を生じ、姑洗は應鐘を生ず。正音に比するが故に和と為す。應鐘は蕤賓を生ずるも、正音に比せず。故に繆と為す。日冬至には、音は林鐘に比し、浸ミ以て濁る。日夏至には、音は黃鐘に比し、浸ミ以て清む。十二律を以て二十四時の變に應ず。甲子は、仲呂の徵なり。丙子は、夾鐘の羽なり。戊子は、黃鐘の宮なり。庚子は、無射の商なり。壬子は、夷則の角なり。

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