呂氏春秋 / 古樂③
昔葛天氏之樂,三人摻牛尾投足以歌八闋:一曰《載民》,二曰《玄(鳥)〔身〕》,三曰《遂草木》,四曰《奮五穀》,五曰《敬天常》,六曰《達帝功》,七曰《依地德》,八曰《總萬物之極》。
新字:昔葛天氏之楽,三人摻牛尾投足以歌八闋:一曰《載民》,二曰《玄(鳥)〔身〕》,三曰《遂草木》,四曰《奮五穀》,五曰《敬天常》,六曰《達帝功》,七曰《依地徳》,八曰《総万物之極》。
書き下し
昔、葛天氏の樂は、三人、牛尾を操り足を投じ、以て八闋を歌う。一を載民と曰い、二を玄鳥と曰い、三を遂草木と曰い、四を奮五穀と曰い、五を敬天常と曰い、六を達帝功と曰い、七を依地德と曰い、八を總禽獣之極と曰う。
現代語訳
むかし葛天氏の音楽は、三人が牛の尾を手に持ち、足を踏み鳴らして八つの楽曲を歌うものだった。第一を『載民』、第二を『玄鳥』、第三を『遂草木』、第四を『奮五穀』、第五を『敬天常』、第六を『達帝功』、第七を『依地徳』、第八を『総禽獣之極』という。
解説
太古の帝王葛天氏の素朴な歌舞を伝える段です。三人が牛の尾を持ち、足を踏み鳴らして八つの曲を歌うという、ごく簡素な形が描かれます。曲名は民や鳥、草木、五穀、天の常道、帝の功、地の徳、万物と、人が拠って立つ自然と生命の営みを順に讃えるもので、農耕社会の祈りと感謝が歌に込められていたことがうかがえます。飾り立てた楽器も大がかりな仕掛けもない原初の音楽が、天地万物への素朴な信頼を表している点が印象的です。後の贅沢な音楽との対比の中で、音楽の本来の姿を示す例として置かれています。素朴さの中にこそ真の豊かさを見るこの視点は、現代の私たちにも新鮮に響きます。
この章句が説くこと
葛天氏八闋載民牛尾歌舞農耕
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