呂氏春秋 / 古樂⑮
故樂之所由來者尚矣,非獨為一世之所造也。
新字:故楽之所由来者尚矣,非独為一世之所造也。
書き下し
故に樂の由來する所の者は尚しく、獨り一世の造りし所為るに非ざるなり。
現代語訳
だから音楽の由来は古く、ただ一つの時代だけで作られたものではないのである。
解説
古樂篇全体を締めくくる総括の一句です。音楽の由来ははるかに古く、けっして一つの時代だけで作られたものではない、と結びます。この篇は朱襄氏から葛天氏、堯・舜、禹・湯、そして周の文王・武王・成王に至るまで、歴代の聖王が世を治めるたびに、その功と徳を映す音楽を生み受け継いできた系譜を語ってきました。その積み重ね全体を振り返り、音楽が長い歴史の連続の中で形づくられてきた文化の結晶であることを改めて強調しているのです。今ある文化を一時代の産物とみず、連綿たる継承の成果として尊ぶこの視点は、伝統をどう受けとめ次代へ渡すかを考えるうえで、現代にも通じる示唆を与えてくれます。
この章句が説くこと
音楽の由来歴代の聖王系譜伝統継承古楽
関連する章句
-
言志四録・言志録 第七十七条 古楽は亡びざる能はず古楽は亡びざること能はず。楽は其れ何れの世に始まるか。果して聖人に前だつか。若し聖人を待ちて而る後に作らば、則ち其の人既に亡びて、其の作る所安んぞ能く独り久遠を保たんや。聖人の徳の精英、発して楽と為り、乃ち之を管絃に被らせ、之を簫磬に諧へ、聴く者をして之に親炙するが如くならしむ。則ち楽の感召は、其の徳の此に寓するを以てなり。今聖を去ること既に遠く、之を伝ふる者其の人に非ず。其の漸く差繆を致し、遂に以て亡ぶるは、亦理勢の必然なり。韶の斉に伝はるや、孔子深く心に契ふ。然れども恐らくは已に当時の全きに非ず。但だ其の遺音尚ほ以て人を感ぜしむるに足る。而して今亦遂に亡びたり。凡そ天地間の事物、生ずる者は皆死し、金鉄も亦滅す。況んや物に寓する者、能く久遠を保たんや。故に曰く、古楽は亡びざること能はずと。但だ元声太和の、天地人心に存する者に至りては、則ち聖人に前だち、聖人に後るるも、未だ嘗て始終有らず。是れも亦知らざるべからず。
-
論語・学而篇子曰く、「父在せば其の志を観、父没すれば其の行いを観る。三年父の道を改むること無くんば、孝と謂う可し。」
-
『玉勝間』十一の巻 堀川ノ天皇神楽を多ノ近方に伝へさせ給へる事神楽の曲は、すでに絶えぬべかりける事を、御門の御口より給いける。めでたかりける事なり。(私に云う、堀川院御宸筆の神楽譜、多近方に給いて、今多朝臣久時、同じく子久泰まで所持し畢んぬ。)
-
『新論』國體上其の他凡百の具を供するも亦斎部の掌る所に非ざるは莫し。而して百執事に至る者も、亦皆其の職を世々にし、奕世墜さず、駿奔承事して、毫も天祖伝祚の日に異なる無し。而して君臣皆其の初めを忘るるを得ざるなり。(太玉、日鷲・手置帆負・彦狭知・櫛明玉・目一箇等を統領して、以て天祖に奉事す。天富も亦悉く諸氏の後を率ゐて、鏡及び矛盾の諸物を造る。大嘗の日、日鷲・手置帆負等の孫、諸物を供奉すること、一に其の先世の旧の如し。而して其の細なる、伴の燧火、安曇の吹火、車持の執菅蓋の類の如きも、亦其の職を世々にせざるは莫きなり。)
-
孔子家語・冠頌懿子曰く、「三王の冠、其の異なる所は何ぞや。」孔子曰く、「周の弁、殷の哻、夏の收は、一なり。三王皮弁を共にす。素績の委貌は、周の道なり。章甫は、殷の道なり。母追は、夏后氏の道なり。」
-
『墨子』非儒下儒者曰く、「君子は必ず古を服し古を言い、然る後に仁なり」と。之に應じて曰く、所謂る古なる者は、皆な嘗て新しかりき。而して古人、之を服せば、則ち君子なり。然らば則ち必ず君子に非ざるの法を法とし、君子に非ざるの言を言いて、而る後に仁ならんや。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る