呂氏春秋 / 古樂⑮
故樂之所由來者尚矣,非獨為一世之所造也。
新字:故楽之所由来者尚矣,非独為一世之所造也。
書き下し
故に樂の由來する所の者は尚しく、獨り一世の造りし所為るに非ざるなり。
現代語訳
だから音楽の由来は古く、ただ一つの時代だけで作られたものではないのである。
解説
古樂篇全体を締めくくる総括の一句です。音楽の由来ははるかに古く、けっして一つの時代だけで作られたものではない、と結びます。この篇は朱襄氏から葛天氏、堯・舜、禹・湯、そして周の文王・武王・成王に至るまで、歴代の聖王が世を治めるたびに、その功と徳を映す音楽を生み受け継いできた系譜を語ってきました。その積み重ね全体を振り返り、音楽が長い歴史の連続の中で形づくられてきた文化の結晶であることを改めて強調しているのです。今ある文化を一時代の産物とみず、連綿たる継承の成果として尊ぶこの視点は、伝統をどう受けとめ次代へ渡すかを考えるうえで、現代にも通じる示唆を与えてくれます。
この章句が説くこと
音楽の由来歴代の聖王系譜伝統継承古楽
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