呂氏春秋 / 圜道②
日夜一周,圜道也。月躔二十八宿,軫與角屬,圜道也。精行四時,一上一下各與遇,圜道也。物動則萌,萌而生,生而長,長而大,大而成,成乃衰,衰乃殺,殺乃藏,圜道也。雲氣西行,云云然冬夏不輟;水泉東流,日夜不休;上不竭,下不(滿)〔盈〕;小為大,重為輕;圜道也。黃帝曰:「帝無常處也,有處者乃無處也」,以言不刑蹇,圜道也。人之竅九,一有所居則八虛,八虛甚久則身斃。故唯而聽,唯止;聽而視,聽止。以言說一,一不欲留,留運為敗,圜道也,一也(齊)〔者〕至貴,莫知其原,莫知其端,莫知其始,莫知其終,而萬物以為宗。聖王法之,以令其性,以定其正,以出號令。令出於主口,官職受而行之,日夜不休,宣通下究,瀸於民心,遂於四方,還周復歸,至于主所,圜道也。令圜則可不可善不善無所擁矣。無所擁者,主道通也。故令者,人主之所以為命也,賢不肖安(之)危之所定也。人之有形體四枝,其能使之也,為其感而必知也,感而不知,則形體四枝不使矣。人臣亦然,號令不感,則不得而使矣。有之而不使,不若無有。主也者,使非〔其〕有者也,舜、禹、湯、武皆然。
新字:日夜一周,圜道也。月躔二十八宿,軫与角属,圜道也。精行四時,一上一下各与遇,圜道也。物動則萌,萌而生,生而長,長而大,大而成,成乃衰,衰乃殺,殺乃蔵,圜道也。雲気西行,云云然冬夏不輟;水泉東流,日夜不休;上不竭,下不(満)〔盈〕;小為大,重為軽;圜道也。黄帝曰:「帝無常処也,有処者乃無処也」,以言不刑蹇,圜道也。人之竅九,一有所居則八虚,八虚甚久則身斃。故唯而聴,唯止;聴而視,聴止。以言説一,一不欲留,留運為敗,圜道也,一也(斉)〔者〕至貴,莫知其原,莫知其端,莫知其始,莫知其終,而万物以為宗。聖王法之,以令其性,以定其正,以出号令。令出於主口,官職受而行之,日夜不休,宣通下究,瀸於民心,遂於四方,還周復帰,至于主所,圜道也。令圜則可不可善不善無所擁矣。無所擁者,主道通也。故令者,人主之所以為命也,賢不肖安(之)危之所定也。人之有形体四枝,其能使之也,為其感而必知也,感而不知,則形体四枝不使矣。人臣亦然,号令不感,則不得而使矣。有之而不使,不若無有。主也者,使非〔其〕有者也,舜、禹、湯、武皆然。
書き下し
日夜一周するは、圜道なり。月、二十八宿に躔り、軫と角と屬くは、圜道なり。精、四時に行り、一上一下して各々與に遇うは、圜道なり。物動けば則ち萌し、萌して生じ、生じて長じ、長じて大に、大にして成り、成りて乃ち衰え、衰えて乃ち殺れ、殺るれば乃ち藏るるは、圜道なり。雲氣は西行し、云云然として、冬夏輟まず。水泉東流して、日夜休まず。上竭きず、下滿たず。小、大と為り、重、輕と為るは、圜道なり。黃帝曰く、「帝は常處無し。處有る者は、乃ち處無きなり。」以て刑蹇せざるを言う。圜道なり。人の竅は九、一居がる所有れば則ち八は虚たり。八、虚たること甚だ久しければ則ち身斃る。故に唯して聽けば、唯止み、聽いて視れば、聽止む。言を以て一を説くも、一は留まるを欲せず。運ることを留むれば敗を為す。圜道なり。一なる者は至って貴なり。其の原を知る莫く、其の端を知る莫く、其の始めを知る莫く、其の終わりを知る莫くして、萬物以て宗と為す。聖王は之に法り、以て其の性を令くし、以て其の正を定め、以て號令を出だす。令、主の口より出で、官職受けて之を行い、日夜休まず、宣通下究して、民心に瀸く、四方に遂げ、還周復歸し、主の所に至る。圜道なり。令圜れば則ち可不可・善不善は壅る所無し。壅がる所無きは、主道通ずればなり。故に令は、人主の命を為す所以なり。賢不肖・安危の定まる所なり。人の形體四枝有りて、其の能く之を使うは、其の感ずれば必ず知るが為なり。感ずるも知らざれば、則ち形體四枝使われず。人臣も亦た然り。號令感ぜざれば、則ち得て使われず。之れ有るも使われざれば、有ること無きに若かず。主なる者は、有に非ざる者をも使うなり。舜・禹・湯・武、皆然り。
現代語訳
昼夜が一巡りするのは円の道である。月が二十八宿を巡り、軫宿と角宿が連なるのも円の道である。精気が四季を巡り、上下しながらそれぞれ出会うのも円の道である。物は動けば芽ぐみ、芽ぐんで生じ、生じて伸び、伸びて大きくなり、大きくなって成熟し、成熟すれば衰え、衰えれば枯れ、枯れれば土に蔵される、これも円の道である。雲気は西へ流れ、盛んに湧いて冬も夏もやまず、泉の水は東へ流れて昼夜休まない。天上の水は尽きず、下界の川はあふれない。小さいものが大きくなり、重いものが軽くなる、これも円の道である。黄帝は「帝(中心)には定まった場所がない。場所を持つものは、かえって場所がないのだ」と言った。これは一つの所に停滞しないことを言う。円の道である。人の穴(感覚器官)は九つ、一つがふさがれば他の八つはむなしくなる。八つが長くむなしくなれば体は死ぬ。だから返事をしながら聞けば返事が止まり、聞きながら見れば聞くのが止まる。言葉で一(根本)を説いても、一はとどまることを望まない。巡りをとどめれば失敗を招く。円の道である。一なるものはこの上なく貴い。その源も、端も、始まりも、終わりも知る者はなく、万物はこれを宗とする。聖王はこれにのっとり、自らの本性を善くし、政を定め、号令を出す。命令は君主の口から出て、役人が受けて実行し、昼夜休まず、広く行き渡って下々に達し、民心にしみわたり、四方に及び、巡り巡って君主のもとへ戻る。円の道である。命令が円環をなせば、可否・善悪はふさがる所がない。ふさがる所がないのは、君主の道が通じているからだ。だから命令は、君主が命を成し遂げる手段であり、賢愚や安危を定めるものである。人に体と四肢があってそれをよく使えるのは、感じれば必ず知覚するからだ。感じても知覚しなければ、体も四肢も使えない。臣下も同じで、号令が感応しなければ使えない。臣下がいても使えないなら、いないのと同じだ。君主というものは、自分の所有でない者すら使いこなす。舜・禹・湯・武はみなそうであった。
解説
この章句が説くこと
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論語・子罕篇子曰く、法語の言は、能く従うこと無からんや。之を改むるを貴しと為す。巽与の言は、能く説ばざらんや。之を繹ぬるを貴しと為す。説びて繹ねず、従いて改めずんば、吾之を如何ともする末きのみ。
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『韓非子』安危第二十五病みて痛みを忍ばざれば、則ち扁鵲の巧を失い、危うくして耳に拂らざれば、則ち聖人の意を失う。
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