呂氏春秋 / 貴生⑦
子華子曰:「全生為上,虧生次之,死次之,迫生為下。」故所謂尊生者,全生之謂。所謂全生者,六欲皆得其宜也。所謂虧生者,六欲分得其宜也。虧生則於其尊之者薄矣。其虧彌甚者也,其尊彌薄。所謂死者,無有所以知,復其未生也。所謂迫生者,六欲莫得其宜也,皆獲其所甚惡者,服是也,辱是也。辱莫大於不義,故不義,迫生也,而迫生非獨不義也,故曰迫生不若死。奚以知其然也?耳聞所惡,不若無聞;目見所惡,不若無見。故雷則揜耳,電則揜目,此其比也。凡六欲者,皆知其所甚惡,而必不得免,不若無有所以知,無有所以知者,死之謂也,故迫生不若死。嗜肉者,非腐鼠之謂也;嗜酒者,非敗酒之謂也;尊生者,非迫生之謂也。
新字:子華子曰:「全生為上,虧生次之,死次之,迫生為下。」故所謂尊生者,全生之謂。所謂全生者,六欲皆得其宜也。所謂虧生者,六欲分得其宜也。虧生則於其尊之者薄矣。其虧弥甚者也,其尊弥薄。所謂死者,無有所以知,復其未生也。所謂迫生者,六欲莫得其宜也,皆獲其所甚悪者,服是也,辱是也。辱莫大於不義,故不義,迫生也,而迫生非独不義也,故曰迫生不若死。奚以知其然也?耳聞所悪,不若無聞;目見所悪,不若無見。故雷則揜耳,電則揜目,此其比也。凡六欲者,皆知其所甚悪,而必不得免,不若無有所以知,無有所以知者,死之謂也,故迫生不若死。嗜肉者,非腐鼠之謂也;嗜酒者,非敗酒之謂也;尊生者,非迫生之謂也。
書き下し
子華子曰く、「全生を上と為し、虧生之に次ぎ、死之に次ぎ、迫生を下と為す。」故に所謂生を尊ぶとは、全生の謂なり。所謂全生とは、六欲皆其の宜しきを得るなり。所謂虧生とは、六欲分ば其の宜しきを得るなり。虧生は則ち其の之を尊ぶ者に於いて薄きなり。其の虧くこと彌々甚だしき者は、其の尊ぶこと彌々薄し。所謂死とは、以て知る所有る無く、其の未生に復るなり。所謂迫生とは、六欲其の宜しきを得ること莫く、皆其の甚だしく惡む所の者を獲。服是れなり、辱是れなり。辱は不義より大なるは莫し。故に不義は、迫生なり。而して迫生は獨り不義のみに非ざるなり。故に曰く、迫生は死に若かず、と。奚を以て其の然るを知る。耳惡む所を聞くは、聞くこと無きに若かず。目惡む所を見るは、見ること無きに若かず。故に雷すれば則ち耳を揜い、電すれば則ち目を揜う。此れ其の比なり。凡て六欲の者、皆其の甚だしく惡む所を知りて、而も必ず免るることを得ざれば、以て知る所有る無きに若かず。以て知る所有る無きとは、死の謂なり。故に迫生は死に若かず。肉を嗜むとは、腐鼠の謂に非ざるなり。酒を嗜むとは、敗酒の謂に非ざるなり。生を尊ぶとは、迫生の謂に非ざるなり。
現代語訳
子華子は言った。『生をまっとうする全生を最上とし、生が少し欠ける虧生がこれに次ぎ、死がその次、欲にせまられて生きる迫生を最下とする』と。だから、いわゆる生を尊ぶとは全生のことである。全生とは、六つの欲がみなその適切さを得ている状態をいう。虧生とは、六欲が半分だけ適切さを得ている状態である。虧生では、生を尊ぶ度合いがそれだけ薄くなる。欠け方がはなはだしいほど、生を尊ぶ度合いも薄い。いわゆる死とは、もはや何かを知る働きがなく、生まれる前の状態に戻ることである。いわゆる迫生とは、六欲がまったく適切さを得られず、みな最も嫌うものばかりを受ける状態で、屈服であり、恥辱である。恥辱は不義より大きいものはない。だから不義は迫生である。しかも迫生は不義だけにとどまらない。だからこそ迫生は死に及ばない(死のほうがましだ)と言うのだ。どうしてそう分かるのか。耳で嫌なものを聞くのは、聞かないほうがましであり、目で嫌なものを見るのは、見ないほうがましだ。だから雷が鳴れば耳をふさぎ、稲妻が光れば目をおおう。これがその例えだ。すべて六欲について、最も嫌うものばかりだと分かっていて、しかもどうしても逃れられないのなら、いっそ何も知る働きがないほうがましだ。何も知る働きがないとは、死のことである。だから迫生は死に及ばない。肉を好むといっても腐った鼠の肉のことではなく、酒を好むといっても腐った酒のことではない。生を尊ぶといっても、欲にせまられただけの迫生のことではないのだ。
解説
この章句が説くこと
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呂氏春秋・本生⑤貴富にして道を知らずんば、適に以て患いと為すに足るのみ、貧賤なるに如かず。貧賤の物を致すや難し、之に過ぎんと欲すと雖も奚にか由らん。出づるには則ち車を以てし、入るには則ち輦を以てし、務めて以て自ら佚す。之を命けて招蹶の機と曰う。肥肉厚酒、務めて以て自ら彊うる。之を命けて爛腸の食と曰う。靡曼皓齒、鄭・衛の音、務めて以て自ら樂しむ。之を命けて伐性の斧と曰う。三患は、貴富の致す所なり。故に古の人、貴富を肯ぜざる者有り。生を重んずるに由るの故なり。夸名を以てするに非ざるなり。其の實を為さんとすればなり。則ち此の論は之れ察せざる可からざるなり。
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呂氏春秋・情欲①天、人を生じて、貪有り欲有らしむ。欲に情有り、情に節有り。聖人、節を修めて以て欲を止む。故に其の情を行うを過ごさざるなり。故に耳の五聲を欲し、目の五色を欲し、口の五味を欲するは、情なり。此の三者は、貴賤愚智賢不肖、之を欲すること一の若し。神農・黃帝と雖も、其れ桀・紂と同じ。聖人の異なる所以は、其の情を得ればなり。生を貴ぶに由りて動けば、則ち其の情を得、生を貴ぶに由らずして動けば、則ち其の情を失う。此の二者は、死生存亡の本なり。
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呂氏春秋・節喪①審らかに生を知るは、聖人の要なり。審らかに死を知るは、聖人の極なり。生を知るとは、以て生を害せずして、生を養うの謂なり。死を知るとは、以て死を害せずして、死に安んずるの謂なり。此の二つの者は、聖人の獨り決する所なり。
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呂氏春秋・本生③今、此に聲有り。耳に之を聽けば必ず慊し。已に之を聽けば、則ち人をして聾ならしめば、必ず聽かざらん。此に色有り。目に之を視れば必ず慊し。已に之を視れば、則ち人をして盲ならしめば、必ず視ざらん。此に味有り。口に之を食らえば必ず慊し。已に之を食らえば、則ち人をして瘖ならしめば、必ず食らわざらん。是の故に聖人の聲色滋味に於けるや、性に利あれば則ち之を取り、性に害あれば則ち之を舎つ。此れ性を全くするの道なり。世の貴富なる者は、其の聲色滋味に於けるや、惑える者多し。日夜に求め、幸にして之を得れば則ち遁す。遁すれば、性惡くんぞ傷なわざるを得ん。
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呂氏春秋・本生②夫れ水の性は清し。土は之を抇す。故に清きを得ず。人の性は壽し。物は之を抇す。故に壽きを得ず。物なる者は、性を養う所以にして、性を以て養う所に非ざるなり。今の世の人、惑う者、多く性を以て物を養う。則ち輕重を知らざるなり。輕重を知らざれば、則ち重き者を輕しと為し、輕き者を重しと為す。此の若ければ、則ち動く毎に敗れざる無し。此を以て君と為れば悖り、此を以て臣と為れば亂り、此を以て子と為れば狂う。三者、國に一も有れば、幸い無くして必ず亡びん。