呂氏春秋 / 情欲①
天生人而使有貪有欲。欲有情,情有節。聖人修節以止欲,故不過行其情也。故耳之欲五聲,目之欲五色,口之欲五味,情也。此三者,貴賤愚智賢不肖欲之若一,雖神農、黃帝,其與桀、紂同。聖人之所以異者,得其情也。由貴生動則得其情矣,不由貴生動則失其情矣。此二者,死生存亡之本也。
新字:天生人而使有貪有欲。欲有情,情有節。聖人修節以止欲,故不過行其情也。故耳之欲五声,目之欲五色,口之欲五味,情也。此三者,貴賤愚智賢不肖欲之若一,雖神農、黄帝,其与桀、紂同。聖人之所以異者,得其情也。由貴生動則得其情矣,不由貴生動則失其情矣。此二者,死生存亡之本也。
書き下し
天、人を生じて、貪有り欲有らしむ。欲に情有り、情に節有り。聖人、節を修めて以て欲を止む。故に其の情を行うを過ごさざるなり。故に耳の五聲を欲し、目の五色を欲し、口の五味を欲するは、情なり。此の三者は、貴賤愚智賢不肖、之を欲すること一の若し。神農・黃帝と雖も、其れ桀・紂と同じ。聖人の異なる所以は、其の情を得ればなり。生を貴ぶに由りて動けば、則ち其の情を得、生を貴ぶに由らずして動けば、則ち其の情を失う。此の二者は、死生存亡の本なり。
現代語訳
天は人を生むにあたって、貪りと欲を持たせた。欲には自然な情があり、情には節度がある。聖人は節度を修めることで欲を抑える。だから情のままに走りすぎることがない。耳が五種の音を、目が五種の色を、口が五種の味を欲するのは、人の自然な情である。この三つの欲求は、身分の高低・愚かさ賢さ・善悪を問わず、みな一様に持っている。神農や黄帝のような聖人でさえ、桀・紂のような暴君と同じである。聖人が彼らと異なるのは、その情の適切さ(節度)を得ているからだ。生命を貴ぶことに基づいて動けばその情の適切さを得られ、生命を貴ぶことによらずに動けばその情を失う。この二つこそ、生死・存亡の分かれ目なのである。
解説
この段は、篇の総論として、欲望そのものは天から与えられた自然なものだと認めます。耳目口が音・色・味を求める情は、聖人でも暴君でも変わりません。両者を分けるのは、その情に節度を保てるかどうかだと説きます。聖人は節を修めて欲を度を越さないよう抑え、情のままに暴走しません。呂氏春秋は、生命を貴ぶ姿勢に基づいて動くか否かが、情の適切さを得るか失うかを決め、それが死生・存亡の根本になると論じます。欲を否定せず飼いならすという発想が特徴です。現代でも、欲求そのものを悪とせず、節度をもって適切に付き合うことが、心身と人生の分かれ目になるという自己管理の思想として読めます。
この章句が説くこと
情欲欲望節度五声五色五味聖人生を貴ぶ
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