呂氏春秋 / 貴生①
聖人深慮天下,莫貴於生。夫耳目鼻口,生之役也。耳雖欲聲,目雖欲色,鼻雖欲芬香,口雖欲滋味,害於生則止。在四官者不欲,利於生者則弗為。由此觀之,耳目鼻口,不得擅行,必有所制。譬之若官職,不得擅為,必有所制。此貴生之術也。
新字:聖人深慮天下,莫貴於生。夫耳目鼻口,生之役也。耳雖欲声,目雖欲色,鼻雖欲芬香,口雖欲滋味,害於生則止。在四官者不欲,利於生者則弗為。由此観之,耳目鼻口,不得擅行,必有所制。譬之若官職,不得擅為,必有所制。此貴生之術也。
書き下し
聖人、深く天下を慮るに、生より貴きものは莫し、と。夫れ耳目鼻口は生の役なり。耳、聲を欲すと雖も、目、色を欲すと雖も、鼻、芬香を欲すと雖も、口、滋味を欲すと雖も、生に害あれば、則ち止む。四官に在る者欲せずとも、生に利ある者は、則ち為す。此に由りて之を觀れば、耳目鼻口は、擅に行うことを得ず、必ず制する所有り。之を譬うれば、官職の、擅に為すことを得ずして、必ず制する所有るが若し。此れ生を貴ぶの術なり。
現代語訳
聖人が深く天下のことを考えぬいたところ、生命ほど貴いものはないという結論に至った。そもそも耳・目・鼻・口は生命に仕える器官である。耳が音を、目が色を、鼻が香りを、口が味を欲したとしても、それが生を害するならやめる。逆にこの四つの器官が欲しなくても、生のためになることなら行う。こう見れば、耳目鼻口は勝手気ままに働くことは許されず、必ず制御されるものである。たとえば官職にある者が勝手に振る舞えず、必ず統制を受けるのと同じだ。これが生命を貴ぶための方法である。
解説
この段は、篇の総論として、生命こそ最も貴いという原則を示します。耳目鼻口といった感覚器官は、あくまで生に奉仕する下役であり、快楽を求めても生を害するなら抑え、逆に生の益になることは器官が欲しなくても行うべきだと説きます。器官を、勝手に動けず統制を受ける官職にたとえるのが特徴です。呂氏春秋の養生思想では、欲望を主人ではなく道具として位置づけ、生命を守ることを判断の基準に据えます。現代でも、目先の快楽や欲求に流されず、心身の健康という本質を優先して自らを律するという、セルフコントロールの原理として読むことができます。
この章句が説くこと
貴生感覚器官欲望の制御耳目鼻口養生自制
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