了凡四訓 / 積善之方・君知らずと謂ひて自ら恣にすること毋かれ
何謂護持正法?法者、萬世生靈之眼目也。不有正法,何以參贊天地?何以裁成萬物?何以脫塵離縛?何以經世出世?故凡見聖賢廟貌,經書典籍,皆當敬重而修飭之。至於舉揚正法,上報佛恩,尤當勉勵。 何謂敬重尊長?家之父兄,國之君長,與凡年高、德高、位高、識高者,皆當加意奉事。在家而奉侍父母,使深愛婉容,柔聲下氣,習以成性,便是和氣格天之本。出而事君,行一事,毋謂君不知而自恣也。刑一人,毋謂君不知而作威也。事君如天,古人格論,此等處最關陰德。試看忠孝之家,子孫未有不綿遠而昌盛者,切須慎之。
新字:何謂護持正法?法者、万世生霊之眼目也。不有正法,何以参賛天地?何以裁成万物?何以脱塵離縛?何以経世出世?故凡見聖賢廟貌,経書典籍,皆当敬重而修飭之。至於舉揚正法,上報仏恩,尤当勉励。 何謂敬重尊長?家之父兄,国之君長,与凡年高、徳高、位高、識高者,皆当加意奉事。在家而奉侍父母,使深愛婉容,柔声下気,習以成性,便是和気格天之本。出而事君,行一事,毋謂君不知而自恣也。刑一人,毋謂君不知而作威也。事君如天,古人格論,此等処最関陰徳。試看忠孝之家,子孫未有不綿遠而昌盛者,切須慎之。
書き下し
何をか正法を護持すと謂ふ。法なる者は、萬世の生靈の眼目なり。正法有らずんば、何を以てか天地に參贊せん。何を以てか萬物を裁成せん。何を以てか塵を脫し縛を離れん。何を以てか世を經め世を出でん。故に凡そ聖賢の廟貌、經書典籍を見ば、皆な當に敬重して之を修飭すべし。正法を舉揚して、上佛恩に報ゆるに至りては、尤も當に勉勵すべし。 何をか尊長を敬重すと謂ふ。家の父兄、國の君長、與び凡そ年高く、德高く、位高く、識高き者は、皆な當に意を加へて奉事すべし。家に在りて父母に奉侍するには、深愛婉容、柔聲下氣ならしめ、習ひて以て性と成さば、便ち是れ和氣天に格るの本なり。出でて君に事ふるには、一事を行ふに、君知らずと謂ひて自ら恣にすること毋かれ。一人を刑するに、君知らずと謂ひて威を作すこと毋かれ。君に事ふること天の如くせよとは、古人の格論なり。此れ等の處最も陰德に關はる。試みに看よ、忠孝の家、子孫未だ綿遠にして昌盛ならざる者有らず。切に須らく之を慎むべし。
現代語訳
正しい教えを守り保つとは何でしょうか。教え(法)とは、万世の生きとし生けるものの眼です。正しい教えがなければ、何によって天地の営みに参与し助けることができましょう。何によって万物をほどよく整えることができましょう。何によって俗世の塵を脱し、束縛を離れることができましょう。何によって世を治め、また世を超え出ることができましょう。だから、聖賢の廟や像、経書や典籍を見たら、みな敬い重んじて手入れをすべきです。正しい教えを世に広めて、上は仏の恩に報いることについては、なおさら努め励むべきです。 目上の人を敬い重んじるとは何でしょうか。家の父や兄、国の君主や長官、そしておよそ年齢の高い人、徳の高い人、位の高い人、見識の高い人には、みな心を込めて仕えるべきです。家で父母に仕えるときは、深い愛情と穏やかな顔つきで、声を和らげ気を静めるようにし、それが習い性となれば、それこそが和やかな気が天に届く根本です。外に出て君主に仕えるときは、一つの事を行うにも、君主が知らないからといって好き勝手をしてはなりません。一人を罰するにも、君主が知らないからといって威張ってはなりません。「君主に仕えるには天に仕えるようにせよ」とは、昔の人の確かな言葉です。こうしたところが最も陰徳に関わります。試しに見てごらんなさい。忠と孝を尽くす家で、子孫が長く続き栄えなかったものはありません。くれぐれも慎まなければなりません。
解説

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『武士道』第九章 忠節・忠と孝の衝突平家物語の作者は、小松内府の父清盛の暴虐を憂ふるの条に至り、惻然として、『悲しきかな、君の御為に奉公の忠を致さんとすれば、迷盧八万の巓よりもなほ高き父の恩、たちまちに忘れんとす。いたましきかな、不孝の罪を遁れんとすれば、君の御為には既に不忠の逆臣ともなりぬべし、進退これ谷れり』と歎ぜり。哀れむべし重盛、彼れ後、霊性の誠を披いて死を天に祈り、純潔正義の宿するに難き此塵世を出離せんことを願ふを見るに非らずや。義理と人情との衝突によりて心破れたるもの、古来其人多し、あに独り重盛のみならんや。シェイクスピアも将た旧約全書も、孝を説いて未だ明かなるものあるを見ず。然るに一旦此の衝突の起るや、武士道は孝を捨てて寧ろ忠を取るに遅疑せず。しかのみならず、女子も亦た敢て其子を励まして君主の為に死せしむ。
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『童子問』卷中問ふ、忠と孝と孰れか重き。曰く、軽重無し。君親躰均しく、恩義相倚る。其の親に孝なる者は、必ず其の君に忠なり。其の君に忠なる者は、必ず其の親に孝なり。未だ其の親に孝ならずして、能く其の君に忠なる者有らざるなり。又未だ其の君に忠ならずして、能く其の親に孝なる者有らざるなり。故に孔子曰く、孝を以て君に事ふれば、則ち忠なりと。又曰く、忠臣を孝子の門に求むと。世俗多く忠孝両全する能はずと言ふ。此の言を為す者は、蓋し其の一を勤めて、其の一を緩くせんと欲する意有り。若し不孝の子に非ざれば、必ず是れ不忠の臣なり。不孝の子は人に非ず、不忠の臣も亦人に非ず。之を戒めよ、之を戒めよ。欧陽子曰く、君に在りては則ち君の為にし、親に在りては則ち親の為にすと。此の言之を得たり。
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『翁問答』上卷之本臣下は忠節を以て、君に事ふるを根本とす、忠は二心なく、一筋に君の為め而己思ひ入れ、夫々の職分を能く勤めて我身を捨てゝ奉公する徳なり、夫々の位に由て、大小の差別はあれ共、忠の心法は同じ者なり、君の恩は親の恩に等しき厚恩なれば、親に事ふるが如く、心を尽して仕なり、親は此形を生み育てたる恩なり、君は此身を養ひ給ふ恩なり、親無ければ此身なく、君無ければ此身の養ひ無し皆命を保つ恩なる故に、親にも君にも命を棄て、奉公する道理なり、
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