了凡四訓 / 積善之方・布施なる者は只だ是れ捨の一字のみ
何謂捨財作福?釋門萬行,以布施為先。所謂布施者,只是捨之一字耳。達者內捨六根,外捨六塵,一切所有,無不捨者。苟非能然,先從財上布施。世人以衣食為命,故財為最重。吾從而捨之,內以破吾之慳,外以濟人之急;始而勉強,終則泰然,最可以蕩滌私情,祛除執吝。
新字:何謂捨財作福?釈門万行,以布施為先。所謂布施者,只是捨之一字耳。達者内捨六根,外捨六塵,一切所有,無不捨者。苟非能然,先従財上布施。世人以衣食為命,故財為最重。吾従而捨之,内以破吾之慳,外以済人之急;始而勉強,終則泰然,最可以蕩滌私情,祛除執吝。
書き下し
何をか財を捨てて福を作すと謂ふ。釋門の萬行は、布施を以て先と為す。所謂布施なる者は、只だ是れ捨の一字のみ。達者は內に六根を捨て、外に六塵を捨て、一切の所有、捨てざる者無し。苟くも能く然るに非ずんば、先づ財上より布施せよ。世人は衣食を以て命と為す。故に財を最も重しと為す。吾從ひて之を捨つれば、內は以て吾の慳を破り、外は以て人の急を濟ふ。始めは勉強し、終りは則ち泰然たり。最も以て私情を蕩滌し、執吝を祛除すべし。
現代語訳
財を捨てて福を作るとは何でしょうか。仏門のあらゆる修行は、布施を第一とします。いわゆる布施とは、ただ「捨」の一字に尽きます。悟った人は、内には六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)を捨て、外には六塵(色・声・香・味・触・法の六つの対象)を捨て、持っているものすべてを捨てないものはありません。もしそこまでできないのなら、まず財から布施しなさい。世の人は衣食を命としているので、財を最も大切に思います。私がそれをあえて捨てれば、内には自分の物惜しみを打ち破り、外には人の急を救うことになります。はじめは無理をしてでも行い、やがては平然とできるようになります。これは私情を洗い流し、執着と物惜しみを取り除くのに最も効き目があります。
解説
第七の綱目は、財を捨てて福を作ることです。了凡は仏門の布施を「捨」の一字に集約し、本来は感覚もその対象もすべて捨てるものだが、それが無理ならまず財から始めよと言います。人は衣食を命とするので財を最も惜しむ、だからこそ財を手放すことが、自分の物惜しみを破る修行になるのです。布施の効き目を、相手を救うことと自分の心を洗うことの両面から説いているのが特徴です。はじめは無理をしてでも、続けるうちに平然とできるようになるという見通しも実際的です。寄付でも時間でも、手放すことに慣れていくと、執着が薄れて心が軽くなります。与えることが与える側を変える、という視点がここにあります。
この章句が説くこと
布施捨慳吝積善執着
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