了凡四訓 / 積善之方・捨て難き處に能く捨つ
何謂難易?先儒謂克己須從難克處克將去。夫子論為仁,亦曰先難。必如江西舒翁,捨二年僅得之束脩,代償官銀,而全人夫婦;與邯鄲張翁,捨十年所積之錢,代完贖銀,而活人妻子,皆所謂難捨處能捨也。如鎮江靳翁,雖年老無子,不忍以幼女為妾,而還之鄰,此難忍處能忍也;故天降之福亦厚。凡有財有勢者,其立德皆易,易而不為,是為自暴。貧賤作福皆難,難而能為,斯可貴耳。
新字:何謂難易?先儒謂克己須従難克処克将去。夫子論為仁,亦曰先難。必如江西舒翁,捨二年僅得之束脩,代償官銀,而全人夫婦;与邯鄲張翁,捨十年所積之銭,代完贖銀,而活人妻子,皆所謂難捨処能捨也。如鎮江靳翁,雖年老無子,不忍以幼女為妾,而還之鄰,此難忍処能忍也;故天降之福亦厚。凡有財有勢者,其立徳皆易,易而不為,是為自暴。貧賤作福皆難,難而能為,斯可貴耳。
書き下し
何をか難易と謂ふ。先儒謂ふ、己に克つは須らく克ち難き處より克ち將ち去るべし、と。夫子仁を為すを論じても、亦た難きを先にすと曰ふ。必ずや江西の舒翁の、二年にして僅かに得たる束脩を捨てて、官銀を代はり償ひて、人の夫婦を全うし、邯鄲の張翁の、十年積む所の錢を捨てて、贖銀を代はり完うして、人の妻子を活かすが如き、皆な所謂捨て難き處に能く捨つるなり。鎮江の靳翁の如き、年老いて子無しと雖も、幼女を以て妾と為すに忍びずして、之を鄰に還す。此れ忍び難き處に能く忍ぶなり。故に天の之に福を降すも亦た厚し。凡そ財有り勢有る者は、其の德を立つること皆な易し。易くして為さざるは、是れ自暴と為す。貧賤の福を作すは皆な難し。難くして能く為すは、斯れ貴ぶべきのみ。
現代語訳
難と易とは何でしょうか。昔の儒者は「己に克つには、克ちにくいところから克っていかなければならない」と言いました。孔子も仁を行うことを論じて「難しいことを先にする」と言っています。たとえば江西の舒翁は、二年かけてやっと得た塾の謝礼をすべて差し出して、人の代わりに官への銀を返し、その夫婦が離れずにすむようにしました。邯鄲の張翁は、十年かけてためた銭を差し出して、人の代わりに贖いの銀を納め、その妻子の命を救いました。これらはいわゆる、捨てにくいところで捨てることができた例です。鎮江の靳翁は、年老いて子がなかったのに、隣家の幼い娘を妾にすることを忍びないとして、隣家へ返しました。これは、こらえにくいところでこらえることができた例です。だから天が降す福もまた厚かったのです。およそ財産や権勢のある者は、徳を立てるのはたやすいことです。たやすいのにしないのは、自ら身を損なう「自暴」です。貧しく身分の低い者が福を作るのは、みな難しいことです。難しいのに行えるからこそ、尊いのです。
解説

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