了凡四訓 / 積善之方・惠は大に在らず、人の急に赴けば可なり
何謂救人危急?患難顛沛,人所時有。偶一遇之,當如痌瘝之在身,速為解救。或以一言伸其屈抑;或以多方濟其顛連。崔子曰:惠不在大,赴人之急可也。蓋仁人之言哉。 何謂興建大利?小而一鄉之內,大而一邑之中,凡有利益,最宜興建;或開渠導水,或築堤防患;或修橋樑,以便行旅;或施茶飯,以濟飢渴;隨緣勸導,協力興修,勿避嫌疑,勿辭勞怨。
新字:何謂救人危急?患難顛沛,人所時有。偶一遇之,当如痌瘝之在身,速為解救。或以一言伸其屈抑;或以多方済其顛連。崔子曰:恵不在大,赴人之急可也。蓋仁人之言哉。 何謂興建大利?小而一郷之内,大而一邑之中,凡有利益,最宜興建;或開渠導水,或築堤防患;或修橋梁,以便行旅;或施茶飯,以済飢渇;随縁勧導,協力興修,勿避嫌疑,勿辞労怨。
書き下し
何をか人の危急を救ふと謂ふ。患難顛沛は、人の時に有る所なり。偶ま一たび之に遇はば、當に痌瘝の身に在るが如く、速やかに為に解救すべし。或いは一言を以て其の屈抑を伸べ、或いは多方を以て其の顛連を濟ふ。崔子曰く、惠は大に在らず、人の急に赴けば可なり、と。蓋し仁人の言なるかな。 何をか大利を興建すと謂ふ。小にしては一鄉の內、大にしては一邑の中、凡そ利益有るものは、最も宜しく興建すべし。或いは渠を開きて水を導き、或いは堤を築きて患を防ぎ、或いは橋樑を修めて、以て行旅を便にし、或いは茶飯を施して、以て飢渴を濟ふ。緣に隨ひて勸導し、力を協せて興修し、嫌疑を避くる勿かれ、勞怨を辭する勿かれ。
現代語訳
人の危急を救うとは何でしょうか。災難や苦境は、人にはときどき訪れるものです。たまたまそういう人に出会ったら、自分の身の痛みのように感じて、すぐに救ってやるべきです。ある時は一言でその人の不当な扱いを晴らし、ある時はあれこれ手を尽くしてその人の困窮を助けます。崔子は「恵みは大きさではない。人の急に駆けつければよいのだ」と言いました。まことに仁ある人の言葉です。 大きな利益となる事業を興すとは何でしょうか。小さくは一つの村の中、大きくは一つの県の中で、およそ人々の利益になることは、ぜひ興すべきです。ある時は水路を開いて水を引き、ある時は堤を築いて水害を防ぎ、ある時は橋を架け直して旅人の便をはかり、ある時は茶や食事をふるまって飢えや渇きを救います。縁に応じて人々に呼びかけ、力を合わせて造り直し、あらぬ疑いをかけられることを避けず、苦労や恨まれることをいといません。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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