了凡四訓 / 積善之方・百世に人に勸むるは書を以てす
何謂勸人為善?生為人類,孰無良心?世路役役,最易沒溺。凡與人相處,當方便提撕,開其迷惑。譬猶長夜大夢,而令之一覺;譬猶久陷煩惱,而拔之清涼,為惠最溥。韓愈云:一時勸人以口,百世勸人以書。較之與人為善,雖有形跡,然對證發藥,時有奇效,不可廢也;失言失人,當反吾智。
新字:何謂勧人為善?生為人類,孰無良心?世路役役,最易没溺。凡与人相処,当方便提撕,開其迷惑。譬猶長夜大夢,而令之一覚;譬猶久陥煩悩,而抜之清涼,為恵最溥。韓愈云:一時勧人以口,百世勧人以書。較之与人為善,雖有形跡,然対証発薬,時有奇効,不可廃也;失言失人,当反吾智。
書き下し
何をか人に勸めて善を為さしむと謂ふ。生まれて人類と為る、孰か良心無からん。世路役役として、最も沒溺し易し。凡そ人と相處るには、當に方便して提撕し、其の迷惑を開くべし。譬へば猶ほ長夜の大夢に、之をして一たび覺めしむるがごとく、譬へば猶ほ久しく煩惱に陷るに、之を清涼に拔くがごとし。惠を為すこと最も溥し。韓愈云ふ、一時に人に勸むるは口を以てし、百世に人に勸むるは書を以てす、と。之を人と善を為すに較ぶれば、形跡有りと雖も、然れども證に對して藥を發すれば、時に奇效有り、廢すべからざるなり。言を失ひ人を失はば、當に吾が智に反るべし。
現代語訳
人に善を勧めるとは何でしょうか。人として生まれて、良心のない者がいるでしょうか。しかし世渡りにあくせくしていると、良心は最も沈みやすいのです。およそ人と付き合うときには、折にふれて手立てを尽くして目を覚まさせ、その迷いを開いてやるべきです。それはたとえば、長い夜の深い夢から一度目を覚まさせるようなものであり、長く煩悩に沈んでいた人を清らかな涼しさへ引き上げるようなもので、その恵みは最も広く行き渡ります。韓愈(唐の文人)は「一時に人に勧めるには口で、百世に人に勧めるには書物で」と言いました。これを「人と共に善を行う」ことと比べると、形跡が残るという違いはありますが、症状に合わせて薬を出すように勧めれば、時に目覚ましい効き目があり、やめてはなりません。言うべきでない相手に言って言葉を無駄にしたり、言うべき相手に言わずに人を失ったりしたときは、自分の知恵の足りなさを振り返るべきです。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・應務・人を曉すは當に是の如くなるべきか固より之をして愧ぢしむ可きに、乃ち之をして怨ましむ。固より之をして悔いしむ可きに、乃ち之をして怒らしむ。固より之をして感ぜしむ可きに、乃ち之をして恨ましむ。人を曉すは當に是の如くなるべきか。
-
言志四録・言志録 第百五十一条 善を責むるは朋友の道善を責むるは、朋友の道なり。只須らく懇到切至にして以て之に告ぐべし。然らずして、徒らに口舌を資りて以て善を責むるの名を博せば、渠は以て徳と為さず、却つて以て仇と為す。益無きなり。
-
『呻吟語』内篇・應務・忠告して善く之を道く今子弟の父兄の責を受くるや、尚ほ堪へざる所有り。而るに況んや他人をや。孔子曰く、「忠告して善く之を道き、不可なれば則ち止む」と。此の語は交はりを全うするに止まらず、亦た以て氣を養ふ可し。
-
『武士訓』卷四・第8段わがあしき事をつぐる人あらば。拜してよろこぶべし。太公曰。女無明鏡。不知面精粗。士無良友。不知行歩虧踰とあるがごとし。およそ一箇のおくりものを得てだに。よろこんでむくひんことをおもふ。いはむや身をおさむるのたよりとなれることをや。其あやまちをきくことをいはば。身をほろぼすの大敵うちに有とわきまふべし。
-
自警録・第二十章 忠告の取捨・功を奏する忠告と奏せぬ忠告(1)人を批評するにも、人を判断するにも、また人に忠告を与えるにも、先方の事情を深くかつ同情的に汲むにあらざれば、われわれの批評がけっしてその当を得ない。かえってわれわれの判断が誤りやすい、すなわちわれわれの忠告は功を奏しない。 管仲が戦場で遁げたからとてただちにこれを卑怯と批評し臆病者と判断し、しかして勇敢なれと忠告した者があったならば、おそらく彼は腹の底で笑うのみであったろう。彼を知る鮑叔が彼を目して臆病者とも卑怯者とも言わなかったのは、彼の人となりと、彼の事情を知っているからである。 僕はずいぶん異なった境遇に遭遇したあまたの人に接して考える。教訓も忠告も、その百分の一も功の無きはこれを受ける人の真情に当たらぬのと、これを受ける人に対する同情の薄きによると思う。約言すればとかくわれわれの忠告なるものには誠意誠心が欠けがちで、軽々しくするがゆえに、先方を動かさぬは当然のことである。人に忠告せんと思う者は口に言を発するに先だちて深く心に念ずるこそ順序であろう。また人より忠告を受くるものは先方の誠意を疑ってはならぬ。彼の言は長く心中に念じたる結果、やむなく口外に出でたるものと思えば、これ実に天の声である。 貝原益軒がものせる『大和俗訓』の中に、忠告に関するまことに穿った教訓があるから、左に抜萃する。
-
自警録・第二十章 忠告の取捨・正しき時に正しき言を放つは賢人なお他人に忠告するについては、一言したいことがある。たびたび言うとおり聖人君子でないわれわれ凡人に訓戒を与えることははなはだむずかしいし、また与えたところが釈迦、孔子、耶蘇の訓戒でさえもいちいち反応ないのに、われわれの訓戒が功を奏することはおぼつかなく思う。 友人に忠告することは常にあることで、ある意味においては世にありすぎることである。こんなことまで忠告するにおよばんのにと思うことがままある。 しかし忠告する値があることについても、もっとも注意すべきは時を選ぶ一条である。友人の心の畑が耕されているや否や、英国の諺に賢人とは正しき時に、正しき言を放つ者なりとあるが、実にそのとおりで、どんな正しい言でも時ならぬ時に放てば愚人の言にも劣る。おそらく多くの人はみな経験があるだろう。 まじめになって、友人を諫めたためにあるいは友誼を破り、あるいは他人の心に反抗心を惹き起こさせて、いっそう彼を堕落せしむるの機縁となることがある。時ならぬ忠告は有害ならぬまでも、無益におわる場合多ければ、葬式に祝詞を呈し、めでたき折に泣き言を述ぶるに等しきことは常識に任せて謹みたい。 僕のたびたび引用する『菜根譚』に、 「人の悪を攻むるは太だ厳なるなかれ、その受くるに堪うるを思うを要す。人に教うるに善を以てするは、高きに過ぐるなかれ、それをして従うべからしむべし」 とある。